第84話:淳志、口上を聞き流す
「里見が騒ぐだけでは、北条は平井の兵を動かしませぬ」
出立の支度をしている俺のところに、源三郎がやってきた。
「北条は、里見を侮っております。一度、思い知らせておかねば。里見の後ろには、あの化け物がついている、と」
「急いでるんだけどな」
「一戦だけにございます。それで平井の兵が下総へ戻れば、高梨は西の武田だけを見ればよい。急がば回れ、と申しまする」
こいつ、本当に親父より頭が回るなあ。
ただ、「あの化け物」って…、一応お前らの「殿」だよ?
◇
二日後、物見が駆け込んできた。
北条の兵が三千ほど、砦に向かってきているらしい。梶間刑部の五百が崩れたのを聞いて、本腰を入れてきたってことだ。里見の手勢は、かき集めても八百ほどしかいない。
義弘の顔色は、もう紙みたいに白かった。
「さ、三千だぞ。まともにぶつかるなと申したのは、そなたではないか」
「うん。だから、まともにはぶつからないよ」
「五郎、あそこに置いてあった杭は何本あったの?」
「へい。箕輪で削らせた杭なら、たしか四百本はあったかと」
箕輪でひと月暇をしていた間に、五郎や浦部の兵たちに、杭を削らせておいたんだ。腕くらいの太さで、背丈より少し長い丸太の先を、槍みたいに尖らせて焼いて固めたやつだ。俺が「暇なら杭でも削っとけ」って言ったら、兵たちは何に使うのか分からないまま、毎日せっせと削ってつみあげていた。
俺はこっちに来る前に纏めて収納してきたんだよ。
使い道は、すぐ分かる。
◇
昼過ぎ、砦の前の野っ原で、北条の兵が陣を敷いた。
旗がずらりと並んで、その真ん中から、立派な具足をつけた武者が一騎、ゆっくりと馬を進めてきた。
「やあやあ、遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ!」
また始まったよ。
「我こそは北条左京大夫氏康が家臣、松浦左近将監なり! そもそも我が松浦の家は、遠く肥前の松浦党の流れを汲み、祖父の代に相模へ下りて伊勢宗瑞公にお仕えし……」
長いなあ。増田のところにいた石堂って奴も、名乗りがやたら長かった。あの時は途中で飽きて、砂で目潰ししたんだっけ。武士ってのは、どうしてこう前置きが長いのかねえ。
横を見ると、源三郎がにやにや笑っていた。勘解由は、なぜか背筋を伸ばして真面目に聞いている。礼儀にうるさい奴は、敵の口上まで礼儀正しく聞くらしい。
「……里見の小倅が、どこぞの化け物を雇うたと聞く! されど北条には、八幡大菩薩のご加護がある! いざ尋常に……」
俺は何も持たずに、腕を大きく振りかぶった。
全力で振り抜いて、手が一番速くなったところで、掌から杭を十本まとめて出す。
尖った杭が、時速二百キロ近い速さで、扇みたいに広がりながら飛んでいった。
松浦の口が、「尋常に」の形のまま止まった。
馬ごと胸を杭に貫かれて、松浦はそのまま後ろにひっくり返った。後ろに控えていた旗持ちと、馬廻りの侍たちも、まとめて杭に縫い止められている。
北条の陣が、しんと静まり返った。
何が起きたのか、誰にも分かっていないみたいだった。俺はただ、腕を振っただけにしか見えなかっただろうから。
しばらくして、陣の中から誰かが裏返った声で叫んだ。
「よ、妖術じゃ! あの男、手から杭を……」
手からっていうか、収納からなんだけどな。説明してやる義理もない。
「続きは『勝負!』で合ってるよな」
もう一度、腕を振る。今度は二十本。
北条の先手の真ん中に、杭の雨が降った。具足ごと貫かれた足軽が、何人もまとめて地面に縫い止められていく。三度目は、牛ほどもある大岩を本陣めがけて飛ばした。地響きがして、本陣の幕が人ごと吹き飛んだ。
「殿について行けば、手柄首が取り放題ですぞ!」
五郎が吠えて、十騎が一斉に駆け出した。
崩れた先手の隙間を抜けて、そのまま本陣へ突っ込んでいく。権之丞は、相変わらず黙って俺の背中にぴったり付いてきていた。太助は馬の上から、逃げようとする侍大将を次々に射落としている。
源三郎は、笑いながら槍を振り回していた。
「あははは! 殿、杭が刺さったまま逃げる者がおりまするぞ!」
「若様ぁ! 笑っとる場合ではござらぬ!」
新八が、泣きそうな声で追いかけている。
小次郎は、半泣きのまま刀を振り回していた。今度は、ちゃんと鞘から抜けていた。ちょっとは成長したらしい。
与一郎は、俺のすぐ横で槍を振るいながら、じっと俺の腕を見ていた。どうやったら同じことができるか考えてるんだろうけど、たぶん一生無理だぞ。
◇
後ろから、里見の兵がようやく追いついてきた。
先頭で馬を走らせている義弘が、杭だらけになった野っ原と、ばらばらに逃げていく北条の兵を見て、大声で叫んだ。
「こ奴ら、みんな頭おかしいわ!」
失礼な奴だなあ。
半刻もしないうちに、北条の三千は野っ原から消えていた。残っていたのは、杭に縫い止められた死体と、本陣のあった場所に転がる大岩だけだった。
野っ原の隅で、腰を抜かして動けなくなっている北条の足軽が一人いた。俺はそいつの前にしゃがんだ。
「小田原まで走れるか」
「へ、へい……」
「じゃあ、氏康に伝えとけ。上野の小鳥遊淳志だ。里見に手を出したら、次は小田原に杭を降らせるってな」
足軽は、何度も頷いてから転がるように逃げていった。これで北条も、平井の兵を下総に回すしかなくなるだろう。ついでに名前も広まる。ミクの耳に届くまで、あと何年かかるかは分からないけど。
◇
その夜、俺は義弘に別れを告げた。
「じゃ、あとよろしく。さっき言った通り、まともにはぶつかるなよ」
「わ、分かっておる。……いや、分かっておりまする」
義弘は、なぜか言い直した。
小次郎が、馬の横で俺を見上げていた。目が赤い。
「叔父上は……間に合いましょうか」
「間に合わせるよ」
俺は馬の腹を蹴った。
西の空の向こうに、上野がある。




