あゝ、無情。
試験結果が発表された後の弟は修復不可能な状態だったので、しばらく放置しておくことにしました。ごめん、弟。それでも姉さんは別に勉強を油断していたわけじゃないんだからね。むしろ、ルディガーは師匠を越えるほどに成績を伸ばしたんだ。これもすべては師匠がよかったから。そんな姉を誇ってくれていいのだよ。
ちなみに勉強会の他のメンバーは、ルディガーほどには及ばないものの、それぞれかなり成績をアップさせていました。特に二年生組は主席に迫る勢いだったらしい。
「わたくし……わたくしだって、成績上位になって、フランカとお泊り会……うぅ。世の中はこんなにも無情だったのですね……」
悲痛な顔で沈み込むカティア。その眼には光るものが。
見た目は完全に恋に破れた悲劇のヒロイン。……でも、悲しんでいる内容が「お泊り会」。
「カティアだって、頑張っていたじゃないの。私はちゃんと見ていたわよ。何か言いたげにこっちばかり見ていたディータよりもよっぽど真剣だったじゃない」
イレーネはカティアの背中をさすりながら慰めています。なんなんだ、この光景……。まるで大事にしてきた恋人を捨てた男のような罪悪感がひしひしと……。
どうにも落ち着かない私に、イレーネはふと視線をやり、
「カティアは、本当に今回の勉強会を頑張っていたわよ」
「うん、知っている」
私はぽりぽりと頬を掻いて、カティアの隣に座りました。とんとん、と軽く肩を叩いて、振り向かせます。
「カティア」
「……はい」
「お泊り会とはいかないけれど、お散歩したり、お茶会でもしてみる?」
カティアは小さな鼻の頭を赤らめながら、
「……二人で、ですか?」
「そう、二人で。もちろん、賑やかなほうがいいなら……」
「いえ、二人きりで。二人きりがいいのです」
即答だった。
熱烈な愛の告白を聞いた気分だわ。さすが美少女、同性の私でさえどきりとさせるとは、末恐ろしい。
「わかった。じゃ、いつにする?」
「明日で」
「は?」
「明日がいいのです」
私はイレーネと顔を見合わせた。イレーネはすぐにふい、と視線を逸らせてきた。え、何、その「付き合ってらんねえ」みたいな諦めの顔は。
「えーと、明日って何かあったっけ?」
「何もありません。ただ、一緒にいる時間は、できるだけ早く、できるだけ長いほうがいいものなのです!」
「そ、そう……」
それでいいというのなら、いいのか? まあ、いいか。
ともかく、急ではあるものの、美少女との逢引きの約束ができました。世の男たちは地団駄踏んで悔しがるだろうね。ちょっとした優越感はありますね、ふふふ……。
※
そして、次に赴いたのは、男子寮です。相変わらず女子寮よりも非常に歴史がありそうなご立派な建物が建っておりますね。そして、ご立派な建物の、ご立派な玄関扉の前までやってきました。
せっかくなので、ちょっとお茶目心を起こしてみましょう。
「たのもー!」
バーン、と扉を開いて、特攻かけました。案の定、玄関近くにいた生徒たちが驚きすぎて、二度見三度見してきます。小声で聞こえてきましたよ、「とうとう、寮にまでフランカ・ツヴィックナーグルの魔の手が……!」ってさ。私の手は純人間製ですよ、失礼な。
箒を持ったままのハンスがぱたぱたと駆け寄ってきた。
「フ、フランカ様。ここは男子寮ですよ!」
「もちろんわかってるわよ。ちょっと私、人を探していて……って、あぁ、いた」
ハンスと同じ方向から姿を現したその人に向かって、手招き。ちょいちょい、こっちにおいで。
その人は、つかつかと靴音鳴らして、というか駆け寄ってくる勢いで私の前に立ちました。どうやらご機嫌ななめのようです。えー、せっかくこっちから出向いてあげたのに、その歓待の仕方はどうなのよ。
「……何の用だ」
「少し外でお話をしません? そんなに長い話にはなりません」
「わかった」
そう言って、ハンスの方を睨む。ハンスは縮み上がった。
「……ハンス。あなたはついてこないでね。……絶対に」
私も賛同しました。ハンスが近くにいると、色々と厄介なことになるのですよね。
私とその人は寮を出て、そんなに人目につかない寮の裏手にやってきました。
そこで私はくるりと振り向きます。
「ルディガー様。さぁ、私に何かお願い事をしてください。女に二言はありませんよ」
そう、そのために私は来たのですよ。
私より成績上位になったら、なんでもお願い事を叶える。そういう約束だったのだから。
そして、私にはルディガーが自分から言いに来るのを流暢に待っていられるほどの時間がありません。すべては時間との勝負なので、どんなことでもちゃっちゃと済ませてしまいたいのです。
私はルディガーに詰め寄った。今の気分は借金取り。さあ、差し出すもんがあれば差し出せやぁ!
相手は私の勢いに気圧され、非常にうっとうしそうな……ん? 違う。ものすごく苛立たし気な目で私を見ている?
「まだ決まっていませんか。なら、こちらで適当に何かご褒美でも贈りましょうか。おすすめはツヴィックナーグル騎士団ご用達のジム爺印のダンベルなのですが」
日々の健康はいい筋肉から培われるもの。
それに、ほどよく鍛えられた身体は女性にモテモテって、おばあさまが言ってた。私はガムムチの方がいいけど。
「……私は、お前のそういうとぼけたところがものすごく嫌いだ。まったく人の気持ちに頓着しないのが透けて見えるからな」
ちょっとびっくりした。
「ルディガー様って、案外私のこと見ているんですねえ」
これも日ごろ一緒にやるダンスの成果かしら。
確かに私は、いざとなれば誰の意志をも切り捨てることを躊躇わないもんなぁ。途中で人の気持ちを察することがあったとしても、必要だと思えば最後まで自分の意志を優先させる。結局のところ、自分本位になってしまう。一番の問題は、こういうところを自覚しても変える気がないというひねくれたところ。この辺は弟もよくよくわかっているから、非常に後から怒られる。理由は大抵、自分にも一枚かませろ、だけれど。
「当たり前だ。私とて、かかしではない」
「そうですね。それでどうしましょう?」
「何がだ?」
「ダンベルオア剣」
「知らん選択肢が増えているぞ。あと、ダンベルや剣の類は我が家でも十分いいものが手に入る。正直言っていらん」
ですよねー。私はあっさりと前言を撤回することにした。
でも、本人の意志だけはきちんと聞いておきたかったので、相手の言葉を待った。じいっと見てみる。じいっと。
ルディガーは簡単にひるんだ。もうちょい頑張れよ。
「な、何でも、と言っていたな」
「そうですよ。かなえられる限りのことはしますよ」
だったら、とルディガーは意を決したように顔を上げます。瞳には何やら情熱が灯っているようでした。
「私は……」
ルディガーが願ったことは、本当にそれでいいのかと尋ね返したくなる代物です。けれどもそうしなかったのは、あまりにもささいなことすぎて、逆にそれが彼の本心を語っているからでしょうか。
私が言うのも変だけれど。
ルディガー・ネリウスは可哀想な男だ。
報われないからじゃない。
報われないことを知っていてもなお、手を伸ばそうとして、落ちる。
私はきっとルディガーにとっての「非日常」であり続ける。間違っても、いつでも近くにいる「日常」にはならない。もしも、かりに「日常」になってしまっていたとしたら。
彼の人生はこれまでと百八十度変わってしまっていることでしょうね。
だから、私はルディガーの気持ちなんて、気づいていない。
にこりと笑ってみせます。
「いいですよ。それぐらい、簡単なことです」
「そ、そうか……」
「では、ごきげんよう」
さっさと踵を返します。
女子寮へと向かっていたところ、今度はパルノフ先生とばったり出会いました。
「なんだよ、ふくれっ面しているな。嫌なことでもあったか?」
「別に。人間という生き物の面倒さを身をもって体験してきただけですけど」
「ふうん。それで、以前話してくれたあの計画だが、実行までに準備は間に合うのか?」
「ご心配なく。必要な荷物はある程度のお金を積んで何とかしました。一応、学院長が来てから報告するつもりですよ。そっちも、王子様に話をつけておきましたか?」
「それぐらいはな。だが、やつは残念がっていたぞ。全然、自分のところに来ていないって」
私は思わず顔をしかめました。
「それは何の冗談? ほぼ毎日顔を合わせているじゃないの」
「見当はついているんだな」
探そうと思えば、私の勘はさらに精度が増すのです。な、それでもほうっとおいたのですけど。相手するのがメンドクサイから。
「ええ、だって……」
私が小声でパルノフ先生の耳にその人の名を囁こうとしたら。
「あ、あの……」
体をもじもじとさせた見習い使用人のハンスくんがいらっしゃった。
「パ、パルノフ先生に、ご伝言が……」
「あら、また会ったわね、ハンス」
「そ、そうですね……」
身体を縮み上がらせるハンスにずかずかと近づいて、私はそのビン底眼鏡をひっぺがしました。
そこから、現われたのは、ガラス細工のような美貌です。
私は笑いました。
「ごきげんよう、クレオーン王子殿下」




