第十一話 不穏な雲行き
「お、おはようございます!」
次の日。
事務所に挨拶して入って来たのは、紅藤結生だ。
「おう! 久しぶりだな! もう大丈夫なのか?」
それに反応し、彼女に駆け寄ったのは涼香。
結生の護衛がいなくなったことで心に傷を負ったのではないかと心配になっていた。
「大丈夫です。そろそろ早織さんとの仕事もありますし……何より、ファンの想いを無下にしたくありませんので」
「――素晴らしいですわ!」
称賛の声を上げたのは、共有スペースのソファに座っていた早織。
「私だったらアイドル辞めてますわ……早風が死んだら立ち直れる気がしませんわ……!」
そう言って、早織は隣に座っている早風に抱きつく。
「だ、大丈夫……僕は死んだりしないから……」
「そうですわね! 早風は最強ですものね!」
「それはないよ……僕は基本、二位止まりだから……」
「私の中では常に一番ですわ! 何も問題ありません!」
下を向く早風を励まそうとする早織。
あることが気になった涼香は、何の躊躇いもなく問いかける。
「……零が来る前にも強かった奴がいるのか?」
「零さんが来る前の空白期間は……一位だったけど……その前にかなり強い人がいたんだ。双子のアイドル――藍白姉妹を護衛してた長男で、下手すると零さんと互角――いや、それ以上に強かったかもしれない…………その双子が亡くなると同時に、行方不明になってしまったけれど」
「懐かしいですわね……私の弟と彼の妹たち、どっちが可愛いかで言い争った記憶が蘇りますわ……」
「そ、そうなんですね……」
しょうもないように聞こえる思い出に浸る早織に、引き気味の結生。
「零と互角……彼の戦闘を見てはいないから何とも言えんが、やっぱり《ツヴァイスター》だったのか?」
「ううん……普通の《アインスター》だったけど……事前に彼の能力を把握してない人じゃ、相手にならない――そのくらい強い能力を持ってた。その上で、彼は元々山奥の集落育ちだったから……僕以上に鋭い直感と立ち回りだけで圧倒できる。彼がトラオムとの戦闘で、一度も負傷した記憶がないほどに……」
「そんなに強い奴がいたのか……」
涼香が驚いていると、その場を社長の拓真が通りかかる。
「お疲れ様です、社長!」
「おぉ、結生か。もう復帰できそうなのか……?」
「はい、大丈夫です!」
「そうか。無理はするなよ……明後日の写真撮影は、早織も一緒だ。早風に護衛の負担がかかるが、彼は事務所の中で一番歴の長い護衛だ。何も心配する必要はない」
「当然ですわ! 早風がいれば、全てが解決しますわ!」
「全てってことはないだろ……それから、涼香」
拓真は涼香に視線を切り替える。
「へい、なんすか?」
「お前も明後日、花子のミニライブに出演するのは知っているが…………くれぐれも、余計な真似はするなよ。昨日の配信も色々とやらかしてくれたからな!」
「でもファンは喜んでましたよ?」
「それが第一なのは確かだが、のし上がるには多方面にも考慮しないと仕事が回ってこなくなるぞ! 故にテレビ出演のオファーが来てないんだ!」
「うぃー、出来たらやります」
「はぁ……三咲をプロデュースしてた頃を思い出す…………ところで、和人はどうした?」
「トイレ行ったっきりっすね。多分シコってるか、そのまま喫煙所に向かったかと」
※
涼香の予想通り、和人は外の喫煙所にいた。
「…………」
(明後日のミニライブ、零さんも一緒だから何かあっても問題ないとは思うが……花子が主演のライブだ。何かは起きてもおかしくない。それに、聞いた話だと早織さんと結生さんの写真撮影もある……この日に組織が集中狙いしてくる可能性も考慮しないとな……)
考え事をしながらタバコを吸っていた和人。
ふと、遠くに見える二人の人物に目が留まる。
「花子と零さんだ。これから出勤なのか?」
二人が事務所に向かって歩いてくるのが見えた。
(……あそこに、あいつがいれば完璧なんだがな)
和人はふと想像してしまう。
あの二人の中に、聖也が混ざる様子を。花子は人目も憚らずに聖也の腕に抱きついているかもしれない。それに困るも満更でもない顔をする聖也と、慌てて自身を盾にして一般人に見えないようにする零の姿が思い浮かんできたのだ。
(聖也……どうして頑なにこっちに来ねぇんだよ……)
そう想いながらタバコをふかしていると、零の背後を歩いている男に目が移る。
その男は自然に歩いていたが、零との距離が限りなく近くなったところで懐からナイフを取り出し、零の首に突き立てようとする。
「零さん! 後ろぉ!!」
助けにいける距離ではなかった和人は叫ぶ。
それも虚しく、男のナイフが零の首に――。
「――無駄だよ」
「!?」
突き刺さらなかった。
男の目の前から零が消え、ナイフが空振る。
男が左右を見渡すも、視界に入らない。零は男の後ろに回っていたからだ。まるで、瞬間移動したかのように。
零はそのまま足払いをし、男を横に倒した。
「なっ!?」
男は倒れると同時に、ナイフを手放す。
零はそのまま男を組み伏せ、拘束する。
「?」
花子がそれに気づいたのは、零が男を制圧仕切ってからだった。
「花子! 零さん!」
和人がその現場へ駆け寄ってくる。
「あっ、和人くん!」
花子は男が襲ってきた事実よりも、和人が来た方に反応を見せた。
和人の姿を見た零は、男を拘束させたまま立ち上がる。
「ちょうど良かった。そのまま花子ちゃんを事務所にお願い。僕はこいつを警察に突き出してくるから」
「あ、あぁ……わかった……」
そう言うと、零は近くの交番まで男を歩かせ始める。
「…………」
ほんの一瞬で終わったものの、零の戦闘を見た和人は、瑛土から言われた言葉を思い出す。
――この男に気をつけろ。嫌な気配を感じる。
(って、瑛土さんは言ってたが、根っこからのいい人にしか見えないんだよな……俺が零さんの立場だったら男の顔面を一発殴ってると思うし、聖也だったら花子に危害を加える可能性があるとかほざいて殺しそうだしな……必要最低限の攻撃で制圧する人が、常人の皮を被った狂人であるとは思えねぇが……)
※
同時刻、街のとある場所にあるヘアクラーズのアジト。
その中には、五人の男女が座っており、聖也の姿はなかった。
「明後日のスケジュール、ヤバくない?」
そう口を開いたのは、オレンジ髪の男。顔の半分に火傷の跡が残っている彼は、小学生ほどの少年から雅彦と呼ばれていた男だ。
彼の発言に、少年が反応する。
「……動く予定入ってたっけ?」
「予定は入ってなかったが、丁度今、その予定が入る。明後日、ファルベ・プロダクションのアイドルが同時に四人も動くぞ」
「その何がマズいの?」
「少し前に、トラオムにスパイを送り込んでる話をしたのは覚えているよな? そいつから、明後日にその四人を同時に殺す計画を立てているとの情報が入ってきた。四人はそれぞれ二人ずつ、別の場所で仕事をするみたいだから、俺らが動く際も役割分担が必要になる」
「――その四人は誰だ?」
雅彦に訊ねたのは、俊樹。
彼に聞かれた雅彦は、液晶タブレットを取り出して確認する。
「あーっと……紅藤結生、櫨染早織、茜宮涼香、そしてトップアイドル軍団の一人――瑠璃川花子だ。当日は紅藤と櫨染、茜宮と瑠璃川の二グループに分かれて活動する。瑠璃川がいる方には間違いなく幹部クラス――下手すると『タウルス』が向かう可能性も否定できない」
「櫨染…………」
「? どうした、〔ファーブロス〕?」
「何でもない。俺らが動くのであれば、櫨染の方に雅彦、勝正さん。瑠璃川の方は俺だけで行く」
勝正とは、灰色の髪をした中年の男――雅彦に〔グラオ〕と呼ばれていた男のことだ。
名前を呼ばれた勝正は、俊樹に問いかける。
「俺は問題ないが……また聖也の親分を省くのかい?」
「仮に『タウルス』が来ても、俺一人で問題ない。今回の件で我が主が動くまでもない……動いてしまっては、過剰戦力になる」
「――悪いが、俊樹は早織の方に行ってほしい」
「!?」
俊樹の案に口を出したのは、入ってきたばかりの聖也だった。
「雅彦、丈留も早織の方へ。俊樹は丈留のサポートをしてほしい」
丈留は、雅彦に当たりの強い少年の名前だ。
「やっと、僕も前線で戦っていいんですね?」
「俊樹のお守り付きで動きにくいとは思うが、よろしく頼む」
「わかった。聖也さんが言うなら、それに従うよ」
丈留の言葉を聞いた雅彦が「なんで〔ブラオ〕だけには『さん』付けなんだ……?」と呟く。
「オレと勝正さんで花子の方へ向かう」
「あいよ、聖也の親分!」
「あの……私、は…………?」
そう小さな声で訊ねたのは、黒髪のおさげをした少女。雅彦に〔シュヴァルツ〕と呼ばれていた少女だ。
「二千花はアイドルのセーフハウスを守って貰う。万が一、オレらがいない間に襲われたら困るからな」
「う、うん! わかった……!」
聖也の指示に、おさげの少女――二千花は大きく頷いた。
「我が主……」
「なんだ俊樹。オレは何が何でも前線で戦うぞ」
「いえ、もう止めることは致しません。一昔の主でしたら、全部一人で熟そうとしていましたから我々を頼ってくださる。それだけで、充分でございます」
「今回は一筋縄で行きそうな気がしないからな…………何がともあれ――」
聖也は一息吐いた後、こう言い放った。
「明後日、トラオムからアイドル達を守ってくれ。……全員、死ぬなよ」




