第九話 努力してる無垢なアイドルが泣くぞ
「よし、今日も金づるのために頑張るぞい!」
「ファンって言えファンって」
翌日――涼香がアイドルデビューして二日目となる。
今日はレッスンコーチとの初顔合わせとちょっとしたテストを行うことになっていた。
涼香と和人は、事務所から離れた場所にあるビルのレッスン場に来ている。
「そういえば、蓮次郎の奴がいないな?」
「昨日の配信を受けて、仕事のオファーが殺到してるんだとよ。その処理とかに専念してる」
「おぉ! やはり私はスーパーアイドルになれる素質があるのだな!」
(企業は話題性だけで食い付いてる感あるけどな。ビジュアルの良さは否定しないが)
前半はダンスレッスンだ。
涼香はコーチとの挨拶を済ませ、軽いテストを行うことに。
「涼香さん、ダンスの経験はありますか?」
「ない」
「わかりました。経験のないアイドルは多いですから、大丈夫ですよ! それじゃ、簡単なステップから!」
「うい!」
コーチが手本を見せた後、涼香がそれを真似してみる。
(……涼香、あぁ見えて運動神経いいんだよな。ゲームばっかしてる癖に)
コーチの動きとほぼ同じ動きをしてみせた涼香。
「今度はちょっとした振り付けを入れますね!」
コーチが振り付けも入れ、涼香もそれに合わせる。
涼香の動きに全く問題はなかった。
「素晴らしいです! 何かスポーツしてました?」
「男の金玉を潰すスポーツをしてました」
「それスポーツじゃねぇ。ただの暴力だ」
学生時代、素行不良だった涼香は不良の男どもに絡まれることが多かった。その度に、涼香は金的で男を沈めていたので、彼女の発言は間違いではないだろう。
「ま、まぁ! 見た感じ難しい振り付けが来ても問題なさそうで、安心しました!」
「どんなに難しくても、完璧に熟してみせますよ! 他アイドルを蹴落とすためにも!」
「お前はもう少し謙虚になれ」
数時間後、二人はボイスレッスンのために場所を移し変えていた。
「……君、合唱部とかの経験は?」
「ない。カラオケぐらいしかない」
「なるほど……タバコ吸ってる奴なんて期待してないが、一曲聞いてやる」
(言いたいことは分からんでもねぇが、新人アイドルに対して失礼すぎやしないか?)
男性ボイストレーナーの態度に和人は物言いたげだったが、涼香が反論しない以上こちらが下手な発言をする訳にはいかなかった。
「十八番は?」
「この曲」
涼香はスマホのミュージックアプリから十八番の曲を示してくる。
(――まだ、その曲を十八番として選ぶのか…………)
その曲は和人にも分かった。
彼が初めて彼女とカラオケに行ったときに歌ってくれたバラード曲である。
今の涼香のイメージとはかけ離れた、切ない恋愛を歌った曲だ。
「……イメージより静かな曲だな。とはいえ、その曲はバラードの中でも難しい方だぞ」
「構わない」
「そうかよ。容赦はしないぞ。マイクの前に立て」
涼香は言われたよう、コンデンサーマイクの前に立つと、トレーナーがインストの音源を流し始める。
「――♪」
「!?」
彼女の声を聞いたトレーナーの表情が変わる。
ヘビースモーカーとは思えない肺活量と、濁りのない綺麗な声は、プロでも通用するレベルだ。
(歌が上手いのは、俺が一番良く分かってる。出会った当初は物静かで可愛い先輩だったのに、どうして破天荒になってしまったんだっけ? ……あぁ、そうだ。俺のせいだったな)
数分後、涼香は歌い終えると、トレーナーが拍手する。
「素晴らしい、花子に並ぶ逸材かもしれんな。先程の非礼を詫びよう」
「そう思うならタバコ買ってこい!」
「調子乗んじゃねぇ」
残酷なことに、涼香はアイドル失格の発言とは反対に、ダンスと歌のセンスはズバ抜けてあったのだ。
「あはは! やはり私は、調子こいたアイドルを踏みならすために生まれてきたのだ!」
「その調子こいてるアイドルに、お前が含まれないことを祈ってるよ」
事務所のフロント――共有スペースのソファで涼香と和人は、プロデューサーの蓮次郎が来るのを待っていた。
「安心しろ、私の体は地雷で出来ているので、踏みつけた奴が死ぬ」
「…………俺、死ぬのか?」
「なんだお前、女を踏む趣味があったのか? そう言ってくれればやらせたぞ、マッサージを」
「絶対後でタバコ請求されるだろうから、やらねーよ」
「冗談だ。お前は踏まれる方が好きなんだろ?」
「そうはならないだろ」
「――あなたたち、仲良さそうね」
二人の会話に入って来たのは、同じく共有スペースにいた夏実だ。
彼女も次の仕事まで待機していた。
「なんだお前、いたのか」
「最初からずっといたわよ!! というか、いい加減『お前』はやめなさい!!」
「……夏実さんは、翔一さんとあまり仲良くないのか?」
和人が聞くと、夏実は首を横に振る。
「悪い訳ではないけど、あなた達ほど仲良く話すこともないわ。というか、あんたはこいつの護衛をよく引き受けたわね」
夏実は和人に対しても容赦無い口調で話す。
「それが、涼香をニートから卒業させる最後のチャンス――だったかもしれないからな」
「ふーん…………二人ってどういう関係?」
「同棲相手」
「寄生先」
和人と涼香は、夏実の問いに即答で答えた。
「淡泊としてるわね……というか、普通堂々と寄生を宣言する?」
「だってこいつ、関係を発展させないんだ。私と何年も同棲しているのに童貞を守っている、頭のおかしい奴だ」
「俺ら、そういう関係じゃねぇだろ」
「ほう、私を女として見てないと?」
「そうは言ってねぇだろ」
「でしょうねぇ~…………眠ってる私の胸をこっそり触るくらいだもんね」
「そりゃ確かめたく――ってはぁ!?」
和人は思わず立ち上がって叫ぶ。
「えぇ、あなたそんなことするの……」
これには夏実もドン引きする。
「違う! 断じてやってない!!」
「そういう反応に見えないのだけれど……まぁ私にも弟がいるし、多少理解してあげるわ」
「そういう優しい理解が、男を傷つけるんだぞ……」
和人は床に倒れる。
その様子に、夏実は「自業自得でしょ」と呟いた。
「どうした、ヤニ切れか? それより触った感想が聞きたい」
「…………」
「おい、どうして答えてくれない? 私、ガチの貧乳ではないぞ!! 何かないのか感想は!?」
「あってもここで言えるかボケェ!!」
(えっ、これで恋人じゃないってどういうことなの?)
夏実が疑問に思っていると、蓮次郎がやってくる。
「二人とも、お待たせしました――って、和人さん大丈夫ですか!?」
「大丈夫です……致命傷で済んだだけなので」
「人はそれを大丈夫じゃないと言うんだが」
和人がボケて、涼香がツッコミをするという普段とは真逆の立場になっていた。
「涼香さんに、動画を作ってもらいたいので、配信スペースに案内します!」
二人は蓮次郎の後を追い、PCのある一室に案内される。
すると中には、櫨染姉弟――早織と早風が動画を撮っている姿があった。
カメラは早風の方にフォーカスされ、彼はトランプタワーを高速で作っていたのだ。六層で作るトランプタワーを崩しては作り、また崩すを繰り返し、十秒間に四回建てることに成功していた。
「流石、私の弟ですわ! 私なんて一段も作れませんの」
「コツを掴めば……姉さんでもできるよ……」
「では教えてくださります! 手取足取り……グヘヘ」
(……アイドル配信というより、カップル配信に近いな、あれ)
和人と涼香は同じ事を思った。
「――――あら、いらっしゃっていたのですね」
撮影を終えた櫨染姉弟は、和人たちの存在に気づき、立ち上がる。
「ど、どうも…………和人さん……調子はどう、ですか?」
「お、おう、悪くないぞ」
「よ、良かった……!」
オドオドとしていた早風が、眩しい笑顔を見せる。
(こいつ……本当に男、だよな? ここまで可愛い男が存在するんだな。そりゃアイドルの動画に入り込んでも批判されねぇわな)
「あなた今、私の弟をいかがわしい目で見ませんでした?」
「はいぃ!?」
すると、早織から難癖をつけられる。
「そんな目で見ても、私の早風は渡せませんよ!」
「違う! 断じてそういう目で見ていたわけではない!!」
「えっ、和人……お前ってそういう趣味――」
「なわけねぇだろ!? 涼香が一番わかってると思ったんだがなぁ!?」
「姉さんやめて……和人さん、困ってる……」
「た、大変失礼致しました。私としたことが……」
早風に注意され、早織は我に返る。
「それでは、私たちは別の仕事がありますので、ごきげんよう」
「お、お疲れ様でした……!」
二人は部屋を抜けていく。
(相変わらずインパクトの強い姉弟だな……)
「さて、私は何の動画を作ればいいんだ?」
涼香が訊ねると、蓮次郎が答える。
「企業から商品の案件を貰ってるから、その宣伝動画を撮って欲しいんです!」
「なるほど、任せておけ!」
涼香は自信ありげに親指を立てた。
そんな中、和人は思ったことを率直に伝える。
「最初の動画が案件って、大丈夫なんですかね?」
「私もそれは思ったのですが、涼香さんならむしろ受けがいいとも思ったんです!」
(あぁ……悪印象を逆手に取るパターンか。そこをちゃんと考えてるあたり、プロデューサーって感じだな)
「それから、涼香さんにとっていいニュースがあるんです」
「ほう? あまり良くなかったら和人の黒歴史を世にバラすぞ」
「なんで俺に矛先が向くんだよ!?」
「昨日までこのスペースも禁煙だったんですけど、社長のご意向で喫煙可になったんです! 必ず消臭、清掃することが条件ではありますが」
「マジで…………マジでマジでマジでぇ!?」
涼香は早速タバコに火を点け、何の打ち合わせもなくPCの前に座り、録画を開始する。
「待たせたな、社会の役立たずども! 茜宮涼香、初の単独配信だ!」




