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好きな女の子と同じ高校に行くために自転車競技を始めたら光速スプリンターと呼ばれるようになっていました  作者: 中原圭一郎
全国高校自転車競技会 2年生編

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【外伝18】鞘形亜綱の章(前編)

 早朝に時間を取ってくれた神崎との話は、冬希にとって有意義なものであったといってよかった。神崎は、冬希が見ていなかった側面から、プロチームに所属するということについて語ってくれた。それは、単純に助言をしてくれたというより、神崎自身が冬希の気持ちの奥を測りたいという思いがあったのではないか、と思い至った。

 自分にも見えていない気持ちの奥。それが見えていれば教えてほしいとも思うのだが、決して教えてはくれないだろうという事も、冬希にはわかっていた。神崎に、自分の心がどのようにあるか言われてしまえば、冬希はきっとその通りに決めてしまうだろう。そして、その程度ことは神崎もわかっているはずだ。だから何も言わないのだ。

 人生とは、予想がつかない事ばかりだ。もともと予想をするようなことでもないのだろう。

 冬希の心を動かすことは、別にもあった。

 神崎との話が終わった後、冬希はそのまま授業に出た。昨夜フランクフルトから帰ってきたばかりであったし、学校には今日まで休むと伝えていたののだから、別に神崎との話が終わった後にすぐに帰ってもよかったのだ。そう思い至ったのは、三時限目の英会話の授業が始まる直前だった。

 オーストラリア人の英会話教師ブラッドリーは、英語で冬希が休んでいた理由を訊いてきた。冬希は、覚えたての英語でその経緯を説明した。ブラッドリーとのやり取りは10分にもおよび、自分の英語の引き出しが増えていたことに、冬希自身驚きを隠せなかった。

 話を終えて着席するとき、クラスメイトの唖然とする表情が印象的だった。

 先週までは、自分たちと同程度の英語力だった人間が、一週間足らずでオーストラリア人と自然に会話できるようになっていたのだから、無理もないかもしれない。                                      

 ヨーロッパで出会ったすべての人々が、冬希にとっての英語の先生であり、その口から聞いた言葉は、冬希の英語の発音のお手本でもあった。

 昼休みになると、冬希は朝方コンビニで買ったおにぎりを抱えて、自転車競技部の部室に向かった。ふくろ代を節約するために、買った商品をすべて通学鞄に押し込んで持ってきたため、教室から部室まで手で持ち運びしなければならなかった。

 今日のご飯代1,000円は、ギリギリまでおにぎりで使い込まれていた。ビニール袋代が出せない程、きれいに使い切っていた。当然、飲み物を買うお金もない。だが、部室に行けば、ウォーターサーバーが設置してある。水は飲み放題だ。

 部室の前に敷かれた玄関マットで靴についた土や砂をよく落とし、扉を開けるとそこには平良兄弟が、まったく同じ中身の弁当を広げているところだった。

「お疲れ様です」

 冬希は頭を下げた。二人に会うのは、ずいぶん久しぶりのように思える。

 兄の潤は嬉しそうであり、弟の柊は、少し拗ねたような顔をしているようにも見えた。

「お疲れ様」

「座れ」

 潤は穏やかに言い、柊は視線で向かいの席を指した。当たり前だが貫禄はない。

「さきに水を汲ませてください」

 冬希は、部室の棚から富士山の描かれたマグカップを取り出した。ウォーターサーバーの青いボタンを押し、冷たい水をなみなみ注ぐ。

「部室のウォーターサーバーも、部費からお金を出して買っているものだからもっと大事に飲めよな。まったくお前は、湯水のように使いやがって」

 柊はぷんぷん怒っているが、ウォーターサーバーから出るのは湯と水だけなので、そりゃ湯水のようには使うだろう、と冬希は思った。

 冬希は、テーブルを挟んで柊の向かいの席に着いた。目の前に、おにぎりを並べる。

「おまえ、そんなもんばかり。めずらしいな」

 柊が不思議そうに冬希を見つめてきた。

「なんか、こういうものが食べたい気分なんですよ」

「たいへんだったんだなぁ」

 潤と柊には、ことの成り行きをある程度はメッセージアプリで送っていた。

「朝は、同じようなパンを同じように食べて、他はだいたい肉料理で」

「お前がドイツなんかに行くからだ」

「でも、おいしいものもあったんじゃないか?」

 潤が首をかしげながらいった。

「パスタとピザはおいしかったですね」

「イタリア料理じゃねーか!」

 事実、フランクフルトで入ったイタリア料理店での食事が一番冬希にはおいしく感じられた。

「おまえがいない間、部員4人で銚子丸にいったぞ」

「回転寿しですか、いいなぁ。おすし食べたい」

「柊は寿司は食べずに、ずっとメイプルバナナ杏仁豆腐を食べてたじゃないか」

 寿司屋でバナナ、この人は猿なのか。冬希には理解できなかった。寿司を食え。

「そういう潤は、カッパ巻きばかり食べてただろ」

 猿と河童で4人組、冬希は西遊記の三蔵法師の一行を思い浮かべていた。

「1年生の二人組は、豚のように何でも食べてたな」

「猪八戒2人!?三蔵法師の一行なのに三蔵法師が居なかった!」

 思わず声に出た。潤と柊は、何を言っているのかと怪訝に冬希を見た。

「寿司屋なんだから魚食べましょうよ」

 冬希は咳ばらいをしながら言った。

「ちゃんと寿司も食べたぞ。ほら、あれだ、タコ。あれはおいしかったなぁ。おれが今まで食べた魚介類の中でも、8本の足に入るうまさだった」

「8本の足ってなんですか。タコに引っ張られすぎでしょう…」

 冬希は3つ目のおにぎりに手を伸ばした。

「それはそうと冬希。よく向こうに一週間も滞在できたね。郷田先輩もそうだけど、とてもじゃないけど僕には自信がないよ。言葉は大丈夫だった?」

 潤が、食べ終えた弁当箱を包みながら言った。

「ほとんど片言でした。あっちの言っていることは、ある程度なんとなく、聞き取れた単語をつなぎあわせて、あとは感覚で」

「それでも大したものだと思うよ」

「独特の言い回しとか入ると、もう途端に意味が分からなくなりますよ」

「独特の言い回し?」

「ジ、エレファント、インザ、ルームっていうのがあって」

「象が部屋にいるのか?」

「はい。ただ意味的には、誰が見ても明らかに不味い問題だけど、誰も触れない状況という意味らしいです」

「確かに、部屋に象がいたらマズイよなぁ」

 冬希がドイツのステーブルに滞在していた時に、古くなった厩舎の建物を見てマルティナに建て替えないのか訊いてみたことがあった。その時にマルティナが言った言葉だった。冬希は、本気で馬房に象がいるから建て替えられないといったのだと思い、春奈に象がいるっていうのは本当か確認した。マルティナは深刻な表情だったし、冗談を言うような女性でもなかったので、冬希は完全に信じてしまっていた。結果、春奈は腹を抱えて笑い転げていた。

「あっ」

 冬希は、思わず声を出していた。決して大きくはない声だ。

「どうした?」

 柊が、1000mlの牛乳パックにさしたストローをくわえたまま訊いてきた。

「ちょっと思い出したというか、いえ決して忘れていたわけではないのですが」

 冬希が考えていたのは、荒木真理の事だった。不可抗力とはいえ、突然一週間も放置したことになり、一緒に行っていた登下校、昼食もひとりでさせることになっていたことに対して、冬希は申し訳なさを感じていた。そんな心情もあるうえに、今回のプロチームへの誘いについて、話しにくいながらもどこかで話さなければならないという状況が、「the elephant in the room」という言葉に一致した。声が出たのは、そのことに気が付いた、ただそれだけの理由だった。

 冬希にとって、真理と話すというのが、焦眉の急ということになっていた。

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