序章1
今日はアラームの音で起きられた。
2日連続遅刻という不名誉な記録の更新は無事に避けられたというわけだ。
身支度を済ませてリビングがある1階へと降りると、何やらキッチンから物音がする。
と、同時に何やら焦げ臭いにおいを感じ取った。
ふと、昨日の朝食を思い出す。
ラップをした、お皿に盛られていた黒い物体。
まさか、と思いつつリビングにつながる扉を開ける。
俺はその光景を見て、額に手を置いた。
「何してんの?」
俺の声に気づいて、キッチンに立っていた人物。神山明日香はクルリと振り向いた。
身に着けているのは花柄のエプロン。
まるで料理上手な主婦の雰囲気をまといながら、俺を見て口を開く。
「あ、おはよう、勇柚。今朝ごはん作ってるからちょっと待ってね」
「それを、食べるつもりなのか?」
俺はフライパンの上に乗っかっている黒い物体を指さす。
昨日のデジャブを感じてならない。
「そうだよ。スクランブルエッグ」
「俺の知っているスクランブルエッグは黒色ではない」
少なくとも卵は白色と黄色という2色で成り立っているというのに、調理したら黒色に変化するなんて。
焦がした以外に有り得ない。
素人が見たってわかる。これは失敗したやつだ。
「もしかしたら、昨日それ食べていったのか?」
昨日俺の分を残しておいたということは、明日香もそれを口にしたという可能性がある。
実際に冷蔵庫にそのまま食べられるような物はおいていなかった。
まさか、俺にはあの黒い物体を口の中に入れるなんて勇気はないが。
彼女の主食が炭だったのなら話は別だ。
「いや、昨日は一口食べてまずかったからコンビニでパン買って食べたよ」
「人に自分が食べられなかったものを勧めたのか?」
それはそれで問題だろ。とツッコミたいところだがそんな時間的余裕はない。
俺はどちらかというと、朝はギリギリまで寝ていたい派だ。
そのためにアラームの設定時刻は身支度を含めればギリギリ遅刻するかしないかのシビアな時間に設定してある。
つまり、ゆっくりと何かしている暇はない。
取りあえず、俺は食事に炭を食べる習性はないので、何か食べられるものを作るしかない。
俺は棚を指さす。確かあそこにトースターがあったはず。
次に隣の棚を指さした。
「明日香。そこの棚にあるトースター出して、パンはそこ」
明日香が「わかった」と答えて動いたのを見て俺は、キッチンへ移動し、フライパンに置かれた黒い物体と対面する。
これは確かにさっきまで卵だったものだ。
しかし、今あるこれは、そんなもの輝く黄色とは程遠い、見るも無残な黒色となってしまっている。
心の中で生んでくれた鶏へ謝罪しながらその黒い物体を捨てて、新しく調理を始める。
時間も押しているため、フライパンでハムエッグなるものを作りつつ、弁当のおかずである冷凍食品をレンジに放り込む。
普段からやっていることなので、これといったトラブルは起こることもなく、
手際よくあれやこれやとやっているうちに30分もたたずにキッチンでの作業は終わりを迎えた。
先に食べていた明日香の向かいに座り、今しがた作り終えた弁当を置く。
「ん、これは?」
「弁当。 さっき大急ぎで作った」
「え、今作ったの? 手際良すぎない?」
「いつもやってることだし、量が増えたぐらいなら別に苦にはならないから」
一人暮らしが長いと、やはり自炊というものは避けては通れない。
ずっとコンビニ弁当は高いし流石に一人暮らしが長いと飽きてくるものだ。
自炊すれば栄養がとれて費用も抑えられる。
面倒くさいと言えば面倒くさいがどうせ家でやることも少ないんだから、それくらいなら言うほどの面倒くささは感じていない。
弁当もその延長線上だ。
「え、いいの? 食事について全部やってもらってるけど」
「別にいいさ」(あのダークマターを食べるよりは)
謎の物体が出されるよりはるかに良いだろうな。
明日香は目を輝かせて弁当をいれた保冷バッグを見る。
そこまで喜んでくれるなら作った甲斐があるというものだ。
「じゃあ先行くね」
「ああ、いってらっしゃい」
玄関から聞こえた元気な明日香の声に答えて、俺は学校の用意に取り掛かる。
俺の学校はここから歩いて約15分程度。
明日香を先に行かせたのは、面倒な詮索を避けるため。
恋人やそれに付随する関係を疑われては面倒だし、同棲がばれるのはもってのほかだ。
幸い、学校側が俺たちの関係を隠してくれている。
苗字は変えなくてもよいとも言われているし、こちら側が誤解を生むような行為はできるだけ避けたい。
試しに想像してみろ。
突然の転校生が急に朝、普段から誰とも関わろうとしていない幽霊部員みたいなやつと一緒に登校してくる。
するとどうだろう。教室は驚きと驚きと驚きに溢れ、俺、ではなく明日香に好意を寄せている生徒……、いるかは知らんがそんな奴が叫び始め、泣き崩れ。まさにその光景は阿鼻叫喚と言うのにふさわしい。
……、……これは流石にオーバーに表現しすぎか。
だが、妙な詮索を避けるためなら間違ったことでもないはずだ。
明日香が登校して家を出た我が家には先ほどとは打って変わった静寂が訪れる。
孤独をまとってきた俺にとってこの静寂は何よりの安らぎであった。
だが、それが今変化しつつある。
詳しく表現はできない。
言うなればそう、寂しさという表現が一番近い、のだろうか……。
……、感傷に浸っている場合ではなかった。
支度を終え、俺は無人となった家を出る。
いつもは鬱陶しいと感じる、照りつける日差しでさえ、今は何も感じない。
これが心地の良い朝というものかと、一人でまた感傷に浸った。
俺が女性恐怖症だと吐露したあの日以来、俺は何とか完治するための一歩を踏み出せた。
それは俺一人の力で成し遂げられたものではないのは明らかだ。
諦めて殻に閉じこもっていた俺を引っ張り上げてくれた明日香には感謝しかない。
最近では、症状を抑える薬を飲みながらではあるが、明日香とは難なく会話できるぐらいにはなった。
スポーツでいうドーピングという行為と何ら変わらないのは間違いないし、否定はしない。かといって、自分が何か変わった感じがしたわけではない。
でも何とか治そうという心持でいることが俺にとっては大きすぎる変化だ。
しかしながら、いくら家では変わってきたとはいえ、学校という場所はなかなかまだハードルは高いままだ。
休み時間にしても、登下校にしても昔と変わらず。
そもそも自らクラスメイトとの交流を避けてきたために、話しかけられることもなく。
かと言って、こちらから急に話しかけるのもなかなかに勇気がいる。
流石にまだ、赤の他人と話せるような改善はなされていない、と思う。
明日香なら話は別だ。
だがさっきも言ったが、余計な詮索を避けるため、学校では明日香と会話を交わすことはない。
というか実際、交わすことはほぼ不可能だ。
明日香は学校で順調に友達を作り、交友関係を広げている。
今では学校中の人気者と言っても差し支えはない程には。
転校してから数日でここまでになるとは素直に尊敬する。
俺には一生できない所業だ。
果たして人気者とはどんなものなのだろうか。
やはり慕ってくれるというものは嬉しいものなのだろうか。
俺には妄想するにも幻想的過ぎて想像もできない。今度明日香に聞いてみるか。
明日香は今、後ろで女友達3人と昼食を囲んでいる。
最近、学校ではよくこの3人と一緒のを見かける。
特に仲のいい友達らしい。
その一方で、俺は一人で黙々と弁当の中身を平らげていく。
後で一日を振り返ってみれば、この日、明日香はずっと同じ友達とつるんでいた。




