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年下の上司  作者: 石田累
37/202

story6 September 男の闘い!嵐を呼んだ臨時職員(7)

「最初に、一言言わせてください」

 藤堂が立ち上がり、どこか気まずい空気の先陣を切った。

「先日、僕が辞職の意をほのめかしたことは、失言でした。色々ご心配をおかけして、大変申し訳ありませんでした」

 目を合わせる居心地の悪さから、全員がうつむきがちになっている。

 藤堂は、その中で、1人、深く頭を下げた。

「やれやれ、やっぱりはったりかよ」

 はっきりとは聞こえないが、対面の南原が、水原にそう囁いている。

 中津川は、眉をしかめたままで咳払いし、後のメンバーは、聞いているのかいないのか、殆どが無反応だった。

 ――謝るなら、話が終わった後でもいいのに。

 果歩には、最初から分が悪い立場に、藤堂があえて立ったような気がした。

 つかみは最悪、というやつだ。

 案の定、緊張がどこなく緩み、大河内など露骨に腕時計を見はじめる。

「長く話しても、結論が出るわけではないので、単刀直入に、みなさんの意見を伺いたいと思います」

 立ったまま、藤堂は、落ち着いた口調で続けた。

「この7月に、僕は、課内のお茶出しを、今までのように的場さん1人にではなく、課内全員で協力しあってする形にしたらどうか、と提案しました」

「そういう言い方は、まるで我々が、協力を拒否したと言わんばかりじゃないか」

 反撃の口火を切ったのは、案の定中津川だった。

「そうじゃないだろう。君が勝手に、誰の同意もないままにやりはじめたことを、みんなはただ、あっけに取られてみていただけじゃないか」

「……そうかもしれません、言葉が足りず、申し訳ありませんでした」

 素直に言って、藤堂はそこで、席に座った。

「ただ僕は、それが的場さんが女性だからという理由だとしたら、そこはもう一度考え直した方がいいと思っただけです」

「女性とかどうとか、そういう問題じゃないだろう」

 露骨に嫌な顔になって、今度は中津川が立ち上がった。

「そもそも、なんのための話し合いだね、これは」

 そして、同意を求めるように、全員の顔を見回す。

「よその課に話したら笑われたよ。お茶汲みなんて、どこだって臨時や若い子にさせてる仕事だ、問題にもなりはしない。そもそも、来客の多いうちに臨時職員がつかなかったのは、藤堂君、君の力不足じゃないか」

「今は、います」

「男じゃないか」

「ええ」

 藤堂は頷いた。

「男だからどうという問題ではないと思ったので」

 ぐっと中津川が詰まる。

 それは、先刻の発言に対しての、強烈なしっぺ返しのようにも聞こえた。

「宇佐美君は、立場でいえば一番下です。では彼がお茶を出せばいいのかと言えばそうではなく、それよりもっと効率的に使ったほうが、全体のためだと僕は思います。では、次に下なのは誰なのか、年齢で言えば水原君でしょう、しかし無論、彼も宇佐美君と同様です」

 いきなり名前を出され、戸惑ったのか、水原がうつむいたままで目をそらす。

「では、その代わりに的場さんがすればいいのか、それも、違うのではないかと僕は思います。宇佐美君や水原君と、的場さんだって同じだからです」

「回りくどいな、何がいいたんだね、君は」

 顔を赤くして、中津川が口を挟んだ。

「だから役割分担じゃないか。女性だからではないよ、役割分担だ、それは差別とは違うじゃないか」

「そうですね」

 反論せずに、藤堂は頷く。

「仕事だって分担して決めているように、それと同じだと思えばいいだけのことじゃないか。1日中職場にいるんだ、喉は渇くし、休憩も取りたい。来客があれば、お茶はいるし、出せば片付けが待っている。どうしたってその手の仕事は出てくるんだ、だからそれを、的場君が分担してやってくれているんじゃないか」

 計画係の主幹が、同意するかのように、小さく頷く。

「それで今まで、何の不便もなく上手く回っていたんだ、それを君は、差別だのなんだの、わけのわからない理論に置き換えて、話を大きくしようとしているだけじゃないか」

 中津川の勢いに押されたように、誰も、何も言おうとしない。

「では聞くがね、的場君」

 ふいに果歩に、中津川の鋭い視線が向けられる。

「君はいままで、いやいやこの仕事をやっていたのかね」

「…………」

 いやいや……?

 それは確かに、仕事が重なった時には、なんとかならないかと思うけれど。

「……嫌だったわけじゃ、ないですけど」

「そら見たまえ」

 勝ち誇った目を上げる中津川に、でも、と果歩は咄嗟に言葉を繋いでいた。

「仕事だと思って、やっていたわけでもないです」

 言った後、わずかに頬が熱くなった。

 では、なんだ、と言われれば上手く言えないけど、多分――習性と、そうしたいという気持ち。

 ずっと同じことをやり続けてきたから、なんの疑問もなく出来るし、たまに「ありがとう」といわれることに、ささやかな喜びを感じることもできるから。

 逆に、仕事だと思ったら、とても出来なかったろうとも思う。

「君がどう思おうと、それは勝手だがね」

 中津川は、鼻白んだように席につくと、大きな咳払いをひとつした。

「君に、そういった役割を任せているからこそ、他の部分で随分楽をさせているんじゃないか。難しい折衝、問題処理、責任の重い仕事を我々男が負担して、君には比較的楽な、庶務という仕事を任せているんじゃないか」

「…………」

 果歩はうつむいたまま、ゆっくりとこみ上げる悔しさに耐えた。

 そういう言い方こそ、差別ではないかと思う。

 が、一面で、中津川の言うとおりだということも自覚していた。

 殻を破ってまで、責任の重い仕事をもぎとる勇気がなかった自分。雑用をしていれば、このまま慣れた仕事だけをこなして何事もなく卒業できる――そんな甘えがどこかにあったことも否定できない。

 殻―― 

 私の殻。

「……まぁ、的場さんが、なんとも思ってないんだったら」

 大河内主査が、その場を取りなすような口調で言い、周囲を見回す。

「何もこんな、残ってまで話さなくても……ねぇ」

「まぁ、そうですね」

 計画係の谷本主幹が頷く。

「今まで通りで、何も問題はなかったわけだし」

 どうしよう。

 ここで、一言言えばいいのは分かっている。

 私も、みなさんと、遜色ない立場で仕事をしたいんです。

 仕事がたてこんだ時は、代わりにやってもらえれば、助かります。

 そう言えば。

 が、庶務の仕事ばかりし続けてきて、8年になる。

 編纂の仕事だけで、正直いえば、目一杯だった。責任の重い仕事をこんな形で無理にとって、それで、もし、失敗してしまったら――。

「例えばだ」

 果歩が黙っていると、中津川が続けた。

「重いものを持つのは男がする、車の運転も男がする、その代わり、女性にお茶を入れてもらう。それぞれの得意分野を補い合っているだけだ、その分担に、何か問題があるのかね」

 果歩の隣で、黙ったままの藤堂が、わずかに目を伏せるのが分かった。

 私が、言わなきゃ――。

 汗ばんだ手を、果歩は膝の上で握り締める。

 私が、

「あの、」

 果歩が、口を開いたと同時に、その声がした。

 全員が、思いがけず声を上げた男に注目した。

 水原である。

 視線を受けて戸惑ったのか、水原は、顔を赤くしてうつむいた。

「重いものは力がないと、持てないし」

 ――水原君……?

 果歩もそうだが、おそらく全員が驚いている。

「運転も、免許がないとできないけど、」

 そこまで、切れ切れに言葉を繋ぎ、水原はようやく顔をあげた。

「お茶出したり洗ったりするのは、手があれば誰でもできると思います」

「……………」

「僕は、かまわないっていうか、当番かなんかで、順番に回せばいいんじゃないかと思います」

 あ、あれだったら、役がついてないメンバーだけで。

 と、慌てたように言い添える。

 腹心の部下の思わぬ反乱に、中津川は、ぽかんと口を開けたままである。

「つか、役がついてないっつったら、俺と水原と、的場さんしかいねーじゃん」

 呆れたように口を挟んだのは、南原だった。

「まぁ、いいけどさ、ただ当事者になる者として、一言いいっすか」

 まぁ、いいけどさ?

 南原のその言い草も、果歩には仰天ものだった。

 いいけどさって、それは、何?

 水原君の意見に賛成ってこと?

「俺、もともとは区の福祉課でケースワーカーしてて」

 淡々と続ける南原の目は、語っている自分に対してさえ冷めているかのように、どこも見てはいなかった。

「そこじゃ、全員で当番組むのは当たり前。だってどうしようもなく人手がなくて、女も可哀想なほど働かされてるから。みんな同じように残業してくたくたになってんのに、女だけにお茶入れてなんて、絶対に言えないじゃないっすか」

 果歩は、さらに驚きを感じたまま、乾いた口調で話し続ける南原を見つめる。

「ここに異動してきて、まず驚いたのが、的場さんが局長にミルク入れてたこと」

 南原の目が、やや冷ややかに果歩に向けられた。

「正直、やってらんねーなって思いました。区役所で、あんなに必死こいて働いて、真っ黒に日焼けして仕事してる奴もいるのに、本庁は優雅にミルクですかって」

「…………」

 何も言えないまま、果歩は、ただ目を伏せた。

 そしてようやく分かった気がしていた。

 最初から、どこか冷たく、そして果歩に攻撃的だった南原の気持ちが。

「俺、お茶当番するのはなんでもないけど、来客のたびに、コーヒー出したり、時間がたてばお茶出したり、取引してる企業じゃないんだし、しかも税金、たかだか役所の来客に、そこまで接待する必要はないと思ってます。コーヒーも使い捨てのカップを使えば洗う手間はないし、会議はペットボトルで十分だと思う、そのあたり合理化してもらわないと、誰がやったって負担ですよ」

 しん、と、室内は静まり返っている。

「じゃあ……そのあたりは、考えましょう」

 ようやく、ずっと黙っていた藤堂が口を開いた。

「僕も、正直に言えば、南原さんの意見に賛成です。接待に関しては、できる限り、合理化をすすめていくべきだと思う」

 南原は何も言わず、椅子にふんぞりかえって腕を組む。

 しかし、今、南原と藤堂、2人の意見が初めて一致したのである。

 今までの2人の確執を知っている課内の者には、信じられないシチュエーション。

「まぁ……僕も、係長がやってるのに、やらないわけにはいかないんで」

 気後れたように、片手をあげたのは、事なかれ主義の大河内主査だった。

「的場さんみたいに気はきかないけど、まぁ、できる範囲でならやりますよ」

「じゃあ、私もやりますか」

 計画係の主査も、つられたように頷いた。

「食器洗い、家じゃ私がやってるんでね。女房ががみがみうるさくて」

 一瞬だが、室内が和やかな空気に包まれる。

 が、その空気を1人、顔を赤くした男が立ち上がって遮った。

「わしは、反対だ」

 中津川補佐。

「……あの、補佐に、当番を回したりはしませんから」

 気を使ったように谷本主幹。

「そういう問題じゃない。わしは反対だ、もういい、今後わしはお茶はいらん、自分で買う、コーヒーものまん!」

「……補佐、」

 藤堂が立ち上がりかける。

「何もかも、貴様の思い通りというわけか、そざかしいい気分だろう、民間係長」

 その藤堂に強烈な嫌味を放ち、中津川は痩せた背中を翻した。

「失礼する!」

 

 

 *************************

 

 

「……最初から、こうなるのが分かってたんですか」

 会議室の鍵を閉める藤堂に、果歩は背後から、そう聞いていた。

 嬉しいような、不安なような、複雑で不思議な気持ちだった。

 ひとつの、ささやかな――けれど、この課にしてみれば、非常に大きな改革が――果歩にしてみれば、永遠の迷宮に思えた改革が、今、成功しつつある。

 創立以来、男の職場だった都市計画局では、おそらく異例の変革だ。他の課も驚くだろうし、もしかすると、反発があり、また、後に続く課も出てくるかもしれない。

「あ、鍵は私が返しておきます」

「すみません」

 振り返った藤堂の目には、緊張から開放された安堵と、ささやかな満足が浮かんでいた。

「象は、あんなに大きいのに、動物園の檻から出られないのは何故だと思います」 

「えっ、」

 ゾウ???

「出られないと思い込んでいるからですよ」

 藤堂はわずかに微笑した。

「正直言えば、今日の結果は予想していませんでした。でも、1人が檻を出たので」

「………………」

「みんなも、それに続いたんだと思います」

 例えは微妙だけど。

 それはきっと、水原君のことだろう。

「じゃあ、僕は残業があるので」

「あ、はい」

 鍵を果歩に手渡し、藤堂はエレベーターホールに向かって歩き出す。

 足音が遠ざかる。

 果歩は、1人、心細いものを感じていた。

 藤堂さん。

 でもその中で、一頭だけ、檻から出る勇気がない象がいたんです。

 ――私……

 水原君が壊した殻。

 私も、壊さないといけないんだ。

  

  

 *************************


 

 保温器に置いた小鍋。沸騰しない程度の湯の中に、ミルクのパックをそっと入れる。

 待つこと、2分。

「あれ、ミルクですか」

 背後から、今日、復帰したばかりの宇佐美の声がした。

「それくらい、俺がやりますけど」

「ううん」

 果歩は、熱湯でカップを暖めながら、首だけ振った。

「今日は私がやるからいいわ」

「……そうでっか?」

 不思議そうな声がして、背後から気配が消える。

 ほどよく温まったミルクパックを、小鍋から引き上げる。

 鋏で封を切って、カップの中に注いでいく。

 なんでもない作業。

 こんなささやかなことに、以前、忙しくて手を抜いたことがあったのを思い出し、果歩は苦い微笑を浮かべていた。

 暇で。

 むなしくて。

 自分がなんのためにここにいるのか分からなくて。

 ぼんやりと秘書席に座っていた新人の頃。

「……失礼します」

 トレーにカップを載せた果歩は、局長室の扉を軽くノックした。

「どうぞ」

 いつもの、真面目な時もどこか陽気な、那賀局長の声。

 新聞から顔を上げた那賀は、いつも以上に上機嫌だった。

「おはよう、いつもすまんねぇ」

「こちらに、置きますね」

「うん」

 那賀の前にカップを置き、いつもならそこで退室するのに、果歩は居住まいを正して立っていた。

 その態度に、特に疑問を持つ風でもなく、新聞を置いた那賀は、「これが、わしの元気の源でねぇ」と、笑ってカップを取り上げる。

「上手い」

「ありがとうございます」

「的場君」

「……はい」

「いままでありがとう」

「………………」

 夕べ、頭の中で、何度も何度も考えていた言葉が全て消えて、ふいに胸が一杯になった果歩は、不覚にも涙が溢れ出すのを抑えられなかった。

「……私、」

 何か言いかけた果歩を、那賀は、穏やかに手をあげて制した。

「もう何も言わなくていいよ。話は聞いているし、今年に入ってから、君の立場が苦しいのも分かっていたんだ。辛い思いをさせて、悪かったね」

「………局長」

「藤堂君が、君に代わってミルクを持ってき始めた頃から、彼の考えはわかっていたんだ。わしも意地になっていた。これくらいのことでなんだという反発もあったしねぇ」

 秘書時代。

 ふいに訪れた那賀が、自動販売機でかったばかりのミルクを差し出して言った。

(最近、腸の調子が悪くてねぇ、お湯で少しばかり暖めてもらえるとありがたいんだが)

 え? 何、この人?

 そう思いながら、湯銭で暖めたミルクを出した。

(上手い、最高だ)

(君はいい秘書になるねぇ、うんうん、いい秘書になる)

 初めて、誰かに褒められた日。

 初めて誰かに認められた日。

「……最後まで、続けたかったんですけど」

 涙を拭って果歩は言った。

 それは、嘘ではなく本音だった。

 年々気ぜわしくなり、局長級がのきなみ入れ替わっていく役所の中で、こうした古い習慣が、時代にあわなくなっていたのは知っていた。

 年功序列ではなく、能力で上に行く時代、今年で定年を迎える那賀は、まだ役所が旧態依然だった頃の、おそらく最後の局長級だ。

「いやいや、これも時代だよ。的場君、わしは君を可愛がりすぎていたのかもしれん。こういった接待ができる女性がもてはやされていた頃とは、もう随分違ってしまったんだなぁ」

 目は笑っている、けれど、少し寂しそうな口調だった。

 果歩は何も言えなかった。

 那賀の、自分に注いでくれる親心にも似た愛情はずっと感じていた。

 だからこそ、今、那賀は――おそらく、彼自身の信念を収め、若い世代の意向に従うことに決めたのに違いない。

「月並みだが、がんばりたまえ、君のこれからの活躍を期待しているよ」

「はい……」

 扉を閉めた果歩は、自分が歩いてきた道が、ここで完全に途切れてしまったのを感じていた。

 ここから先の、新しい世界。

 1人であけ切れなかった扉は、藤堂に、そして那賀に、後押ししてもらったのかもしれない。

「的場さん」

 執務室に戻ると、藤堂が笑顔で顔をあげた。

「今日、5時過ぎになりますが、職務分担のことで話をしたいんです、いいですか」

「はい」

 少し怖いけど、恐れずに進んでいきたい――。


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