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オリヤカノン(織矢香音)は、月の夜を行く。
息を大きく吸い。静かに吐く。
深呼吸。
成し遂げた。
ポケットの中で触れる指先の感触。
一つの達成感が、カノンを躍らせる。
軽やかに足音を刻む。
制服のスカートが柔らかく揺れる。
自由を謳歌し、夜に舞う。
なんと、幸せなのだろうか?
カノンは、ここにいる資格を、自らの手で、自らの力で掴み取った。
だからこそ、言える。
ここは、特別な世界だと。
この場にいることは幸せである。
カノンは、そう感じている。
だが、全ての者がそう感じているわけではない。
生きることが保証された環境で、学び、遊び、鍛え、育み、より高みへ。
それを当然の権利として、享受している者も少なくない。
カノンには、それが信じられない。
「私は特別ということですね」
カノンは、独り呟き、愉しそうにため息をつく。
口癖は、悪癖であると自覚するところである。
それでも、癖であるが故に、自然と言葉は紡がれている。
言葉に意味はない。
蔑んでもいなければ、誇ってもいない。
ただ、格好をつけている。
だが、それは、ただの自惚れではなく、事実でもあった。
カノンには、秘密があった。
それは、思春期の少女が抱える可愛らしい悩みではない。
知られれば、蔑まれ、怖れられ、そして、弄ばれる。
そういった特殊な才能が、カノンにはあった。
カノンの生まれ育った環境は、少なくとも、その国の基準からすれば、恵まれてはいなかった。
顔のない両親。疲弊した大人。嘘に歪んだ社会。
そんな閉鎖された世界で、幼いカノンは才能を正しく使い、生活を維持した。
一方で、驕り溺れることなく、独り勉学に励んだ。
誰かに認められたい。
誰かを見返したい。
誰かに。
そんな気持ちは欠片もなかった。
ただ、カノンは、正しくありたかった。
そのために、正しいと信じた場所を目指した。
そして、現在、この地球の中枢にカノンはいる。
その身に纏う制服は、鳳学園の生徒であることを証明するものである。
鳳学園。
技術、資本、そして、人。
それらを背景に国家から独立的地位を勝ち取り、一つの経済圏を構築するまでに至った国際教育機構。
あらゆる分野に関して、最先端の研究開発を行いながら、
次代を担う人材を育成すべく、国籍を問わず募った学生に先進的な教育を提供している。
学園は、正義の御旗を掲げてはいない。
だが、国境のない技術供与と称される人類の生存と発展に寄与する平等の貢献を行っている。
それは、カノンが望む正しさに、共鳴するものであった。
十数年の人生だが、紆余曲折を経て、ここにいる。
なんだかんだで、上手くやってきた。
それがカノンの実感であり、事実そうである。
カノンの才能を知る者は、彼女自身の他に存在しない。
カノンが歩いているのは、鳳島の沿岸を巡るようにしてある遊歩道である。
海がそこにあるわけではないが、耳を澄ませば、潮騒が微かに届く。
時刻は、午前三時を廻ろうとしていた。
学園の中枢として機能する鳳島の治安は極めて平和であり、夜間の外出も禁止されてはいない。
時間が時間ではあるが、何時にも増して、人の気配がないように感じられた。
「あのせいでしょうか? くだらないですね」
カノンは、ふと聞こえてきた噂話を思い返し、振り払うように呟いた。
それは学生の間で、まことしやかに語られる幻想。
「この数ヶ月の間で、学生の失踪が相次いでいる」
よくある類の古典的な噂話である。
何者が、何時に、語りはじめたのか、誰も知らない。
全てが曖昧で、具体的な証拠は何もない。
だが、だからこそ、都市伝説として、成立するのかもしれない。
とにかく、思春期の少年少女の想像を刺激するには、おあつらえ向きの物語であることは確かだった。
学園の生徒とは、つまるところ、才知、或いは、努力を認められた者たちであるが、その多くは、まだ若い。
世界はまだ何もかもが新しく、未知の事象に心を躍らせるのは、仕方のないことであった。
噂話を聞いてから、夜間の外出を控えている者も少なくない。
それはカノンにとって、良くも悪くもである。
人が少なすぎれば、逆に目立つということもある。
「そうね。そうしましょう」
カノンは、天を仰ぎ、独り呟くと、踵を返し、つま先を海へと向けた。
雲に翳っていた月が、ゆっくりと姿を顕さんとしている。




