対立要因
「ないわ」
忌々しい紅月を睨みながら、愚痴が飛び出ていた。
つい数十分前に、この世界に来てしまった。
お馴染みのごとく頬を抓り、痛覚をもって現実だと確認する。
落ち着くために、深呼吸してから歩き始めた。
夜の仄暗さと同じぐらいに気分は落ち込んでいた。
心もとなく右手、薬指の指輪を擦る。
学校もない、宿題もない、予定もない純白の花金が台無しになることが決定したからだ。
コンビニでジュースと菓子を買い込みレンタルしてきた映画を見る、ささやかな贅沢。
そんな素敵なサタデーナイトがパーだ
おまけに辺りは真っ暗、月明かりは現代より多少あるといったところか。
場所は森中、空気は常に湿っている。
鼻の奥に残るぐらい濃い、緑の匂いだ。
吐き気がするが、同時に生きているって感じもする。
そう思っている間にもパチパチと音を立てては虫が地面へと落ちていく。
現在、歩く殺虫器状態の俺は取り敢えず前に進んでいる。
前方から川の音のようなものが微かに聞こえていた。
それを頼りに進んでいる。
ぼやぼやしてると野生動物が出そうだが未だ遭遇しない。
時折、俺の若々しい血液か肉を求めてくる虫以外は静かなものだ。
なんだか懐かしい感じだ
昔は深夜徘徊を趣味としていたから、それを思い出す雰囲気が辺りに広がっている。
仄暗い街の中や誰もいない森を歩くと何だか自分が特別になったような気分になって
気持ちが良かった、おまけに人に会わずとも済む。
住んでいた場所は人口密集地でもないし、治安もそこそこ悪くなかったので嵌ったのだ。
暗い青春の1ページだが、今ではいい思い出だ。
思考が深い記憶に潜っていると、川のせせらぎがいよいよ近くなってきたことに気がついた。
少し小走りになる、森の風景にも飽きていた。
一思いに藪を抜けると、河川敷に出た。
まごうことなき川だ、緩やかに水が流れている。
町中にあったなら小規模な橋が掛けられる程度の規模でそれほど深くはない。
夜の川には、夜の海のような引き込んでくる魔力は感じられなかったが
それはそれで美しかった
都会に引っ越してから自然とのかかわり合いは減っていたので、このような川を見るのは久々だ。
「蟹ぐらいいるもんかね」
水棲系のナニかが潜んでる可能性もあったが、数分ほど佇み鑑賞する。
月明かりぐらいしか無い中での自然観賞に癒やされ、周りに聞こえるように大声を出す。
「物騒だから弓はしまってください」
葉が擦れる音、ビックリしたらしい。
後方の木の上に耳が長い、誰かがいる。
白い手を挙げ、くるくる回してフリーハンドを示す。
Tシャツをめくって何もないことを見せる。さすがに半ズボン脱ぐのはやめた。
勢い良くアメリカ市民並のうつ伏せ無抵抗モードをやれたら面白いのだが、そうはいかない。
下は小さな石で一杯だ、多分弓で撃たれるより酷くなるだろう。
「私は武器を持ってないです、なにもしませんよ」
向こうに動きがないので催促ついでに言う。
トントントンと、さっきから誰かの心臓の音が早くなっている。
ちょっと可哀想だ。さっきまでは対象に気づかれていない張り込みデカの気分だったろうに。
言葉は通じてるから余計、何だこいつ、という気持ちになっているのかもしれない。
面倒くさいから取り敢えずゆっくりと寝そべってやる、持久戦だ。
「降りてきても大丈夫ですよ」
余裕の涅槃仏のまま、石で出来た床の上に横になる。
少々凸凹しているが、まあ背中の凝っている所に擦り付けるとなかなか良い。
そんなことを見せつけ、名前も知らない誰かさんに背中を向けながら
うとうとしていること十数分。
やっと動きがあった、音を殺して1人、努力して歩いてくるのがわかる。
悲しいことにナイフを手に持ってる、それで脊髄を断たれたら死んじゃうだろう。
こちらは無暴力な接触をしたつもりだったが、警戒される原因が別にあるのかもしれない。
突然、首を180度回転させる特技で脅かしてやろうとも悪戯心が働くが
これ以上心臓に負担をかけるのはやめてあげよう。
「ここで」「すいませ」
声が被って、会話が死んだ。痛々しい沈黙が一瞬で広がる。
こういう時のタイミングって難しい。
いっその事、どうぞどうぞとネタに走れればいいがそうはいかない。
取り敢えず俺のターンは譲ろう、はよう喋れし、エルフさん。
「ン! 人が何故ここにいる、ここは我らの土地だ」
「今から説明いたします」
手を頭の後ろに向き直ろうとするが、静止しようとナイフを構えたので動きを止める。
せっかく来てくれたのだから、目を合わせて話そうと思ったが仕方ない。
半ツイスト状態のまま、釈明するしかあるまい。
「失礼いたしました、私の名はイトウと申します、
遥か遠き地より、ここへ飛ばされてきてしまいました
証拠、はないのですがこの地まで来るまでに何も武器を持たず軽装であることを見ていただきたい
この地に悪意を持って訪れたのではなく、ある現象によってここに突然、来てしまったのです
どうかお許し頂きたい、これは事故なのです
お詫びと言ってはなんですが、何か困ったことがありましたら出来る限り協力致します」
そう早口で申し立てた。先ほどと違って攻める、攻めていく。
恐らく言葉はこれであってるはずだがどうも自信がない。
問答無用でぶっ放してくるような人らだったらこちらこそ、相応のお返しができるが
ちゃんと警告してくれるような理性的な方とは、文明人の片っ端としてこちらも理性的に接したい。
「そ、そうかっ……」
「……」
気まずい沈黙、本日二度目。
すいません、こっちのおかわりはいらないんですよ
参ったな、第一村人発見してテンションが上がりすぎて振る舞いが雑ったか。
自分はテンションが上がり過ぎると碌な事にならないタイプなので
昔から何度も戒めているが、気がゆるむとすぐこれだ。
今日が、休日に入った金曜の夜だったのがまずかった。
「あー……背を向けたまますいません、何か質問はありますか……?」
取り敢えずお話を続けて、親密感をアピールしよう。
どんなファーストコンタクトだってまずは会話による理解から。
理解することは互いの信頼を深めるのだ。
少なくとも俺はそう信じている、地雷を踏まなければの話だが。
「……なぜ我らの言葉を喋れる」
「そういった魔法を学んでいるからです」
「魔法が使えるのか」
「ええ、多少は、エルフさんはなにか魔法が使えますか?」
「私から情報を引き出そうとしても無駄だ」
「あーハイ……」
oh、バッドコミュニケィション。
猫が威嚇する時みたいな、低い唸り声を出された。
おまけに垣間見える視線が辛辣になってきてる気がする。
というかさっきから中途半端にツイストしている俺の贅肉が震えてきた。
自慢ではないが、俺は年下の女子に腕相撲で負ける貧弱さだ。
こうなるのは、無理もない。
「すいません、座ってもいいですか」
「構わん」
「目を見て話せず、申し訳ありませんでした」
多少の距離をおいて向き直る、声からわかっていたが女性の方だった。
何というか、かなり身軽そうな装備をしている。
実用性を疑うが今は関係ない話だ。
それに、これ以上失礼を重ねるとまずいので目線をあまり特徴的な部分へ向けず、真っ直ぐ目を見て話す。
「これからどうすればいいでしょうか」
「取り敢えず、うつ伏せになって手を差し出せ」
結局、うつ伏せになるのだったら最初からやっていたほうが良かったかもしれない。
警戒させないためにゆっくりと俺がうつ伏せになると
手慣れた感じにエルフさんはロープを取り出し、差し出した俺の両手を縛った。
ギュッギュと念入りに、 肉がはみ出し骨食い込む。
跡が残るタイプの痛さだった。
「ついてこい」
そう一言、命令して歩き出す。
警戒度100%で睨まれながら、エルフさんは森のなかへ入っていく。
俺はその後を着けていくが中々にエルフさんの脚が速いので息があがった。
だいぶ森林慣れしているようで、距離が開いていく。
だが、息荒く早歩きしてると、睨みつけながらも歩幅を調整してくれてるようだった。
その御蔭か、集落に着くまで挫けずにいられたのは幸いだ。
ありがとう、エルフさん! 後で名前を聞いておこう。
話はまだ、始まったばかりだ。