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幸福の怪物は未来の夢を見る

リクエスト番外小話



 城内、王のプライベート区域である生活棟を速足で進むヴェリーネ。

 彼の目指す先は、遥か異界より迎えし唯一無二の后へと与えた専用居室の一つである。

 近頃、不調の続いていたアイダラスがついに医師に掛かったという情報を耳に挟んで、星王は早々に執務を切り上げ、こうして最愛の妻の元へ向かっているのだ。

 やろうと思えば一瞬で目的地へ姿を現すことも可能だが、相手側の都合を考慮すれば、その様な如何にも不躾な真似を緊急性もない状況でまさかヴェリーネが行えるはずもない。


 間もなく、気配を追ってたどり着いた大きな扉へ、肉人形は一本の歪な指先を軽く打ち付ける。

 硬いソレがカツカツと周囲にノック音を響かせれば、時を置かずして内部から誰何(すいか)の声が上がった。

 端的に名を告げると、他者に有り得ぬ重く禍々しき声色で判断したものか、すぐに入室の許可が下る。


 ヴェリーネが内開きの扉を押して出来た隙間から巨体を滑り込ませれば、それとほぼ同時に彼は目当ての人物を発見した。

 部屋の中央やや左寄りに設置された幅広のソファに、星王の后アイダラスはゆったりと腰掛け寛いでいる。

 調子の良さそうな様子に安堵の息を吐きつつ、肉人形は彼女の元へと歩み寄り、そのまま流れるような動作で華奢な体を抱き上げた。

 続けて、太ましい腕に妻を座らせて、細い二本の足に巨手を緩く巻き付ける。

 ヴェリーネ自らは彼女と入れ替わるようにして、おもむろにソファへと腰を下ろした。


 身長差ゆえに会話がし辛いという理由で、公私の私の時間における夫婦は、こうして密着した形で過ごすことが日常となっている。

 あまりにも互いにとっての当たり前となりすぎて、もはやこの体勢に対しては僅かな羞恥も感じぬ有様であった。


「あの、ベル様……どうなさったの?

 貴方がこんな日も高い内から執務より解放されるなど、有り得ません……よね?」


 愛妻からの疑問に、婚姻より数ヶ月の内にすっかり純朴であった少年時代の口調に戻りきってしまった肉人形が早言に語る。


「お医者様を呼ばれたと聞きました。

 ご存知でしょう、僕がアイ様の身を常日頃よりどれだけ案じているか。

 緊急性の高い仕事もありませんでしたし、最低限、現場が混乱しないだけの引き継ぎは済ませています。

 僕の安心のためにも、今日はずっと一緒にいさせて下さい」


 夫の懇願に、まんざらでもなさそうな表情でアイダラスが薄紅色に染まる頬へ白い指を添えた。


「一緒にって……もう、過保護なんですから」


 状況を読まずに迷惑な我を通すような男ではないので、同じく責任感の強い彼女としても、こういった場では素直に甘えやすい。

 もし、仮に彼が何もかもを捨て置いて妻ばかりを構うような与太者であったのならば、アイダラスは后の立場から王を叱りつけねばならなかっただろう。

 相変わらずの無表情ながら、どこかソワソワと落ち着かぬ瘴気を漏らすヴェリーネが、己の首元に緩く側頭を擦り寄せている愛妻へ禍々しい呪音を吐いた。


「その、失礼にあたらなければ、診察の結果を伺っても?」


 直後、肉人形に預けきっていた華奢な肢体を起こして、彼女が告げる。


「っあぁ、そうでした。

 実は(わたくし)、懐妊していたらしくて。

 おそらく六週目ではないか、とのことです」

「……………………えっ」


 結構な内容の割に酷くあっさりと返ってきた答えに、星王の時が止まった。

 人間の構造に比較的詳しい医師の話によれば、可能性はゼロではないが、同時に難しいだろうとも言われていたのだ。

 そういった行為にしても、アイダラス側の負担を考慮すれば、妻大事のヴェリーネが積極的に及ぼうとするはずもない。

 王の立場にあるとはいえ、世襲制を採らぬマッデュバで必ずしも子が必要とされるわけでもなく、故にこそ、彼の思考内でソレはすでに有り得ぬものとして処理されていた。

 が、現実、婚姻から一年と経たずの妊娠宣言である。

 想定外の過ぎる事態に、肉人形は与えられた言葉の意味を上手く飲み込めず、呆然と固まってしまうより他なかった。

 夫の困惑に気が付いていないのか、アイダラスはのほほんとした態度で自身の心情を語り始める。


「えぇ、私も随分驚きましたのよ。

 まさか、異種族であるベル様との間に子を授かるなど、考えてもおりませんでしたから。

 けれど、少なからず貴方を置いていってしまうであろう身で、こうして一つでも残していけるものがあると分かって、私、とても嬉しいのです。

 それに、何と申しますか……ようやくこちらの世界に受け入れられたような、魔物の一員となれたような、そういった心持ちが致しました」


 まだ薄い己の腹をゆるりと上下に撫でながら、彼女は愛しげに笑む。

 早くも母としての顔を見せる妻に触発され、星王は『あぁ、そこにいるのだな』と、ようやく我が子の存在を実感として受け入れるに至った。

 正常な思考が戻れば、次に訪れるのは、溢れんばかりの多幸感だ。

 心に収まりきらず、体ごと震えだしそうな激しい情動に身を任せながら、ヴェリーネは己が腕に座する最愛の女性へ熱い視線を送る。


「……アイ様。僕も触れてみて良いですか」

「もちろん、いつでもどうぞ。

 貴方と私の間柄で、何を遠慮することがあります」

「い、いえ、それは……」


 后の応えに、口ごもる星王。

 彼女を抱え上げる習慣など作っておきながら、実は、その他の接触となると途端に消極的になる男なのだ。

 無論、妻との触れ合いを厭うているわけではない。

 ほんの僅か力加減を誤れば、命ごと壊しかねないか弱い人間を相手に、易々と手を伸ばせるほどヴェリーネは気楽な性質ではなかった。

 アイダラスは遠慮などという言い方をしたが、彼の本音としては恐怖が近い。

 肉人形からの接触という不意の出来事に遭遇した彼女が想定外の動きをみせた場合、咄嗟に取るべき反応を間違えれば、永遠に愛する者を失うことにもなりかねないからだ。

 とはいえ、実際、人間如きがどれだけ性急な行動を取ったところで、マッデュバ最強の魔物にとっては亀より鈍間に見えるもので、対応できぬ道理などどこにもないのだが……まぁ、理屈で感情が拭えれば苦労はないのだろう。


 なもので、妻から乞われる以外の状況で、星王が彼女に触れようと試みるというのは、非常に珍しいことだった。

 理解者のアイダラスからすれば、これだけで、夫がどれほど懐妊の事実に感じ入っているものか、よく知れようというものだ。


 彼女を真似て手のひらを向けようとして、腹どころか胸まで一気に覆いそうなサイズ差を悟り、ヴェリーネは二本を残して太い指を握り込む。

 伸ばされた指の腹側を、慎重に慎重に妻へと近付ける夫の姿を、アイダラスは瞼を細めて見守っていた。

 やがて目当ての場所へたどり着いた歪な腐肉が、静かにそこを上下する。


「……あぁ、確かに、います、ね」

「お分かりになるの?」

「微弱な魔素を感じます。

 知った上で探って、ようやく、といった程度のものですが」


 便利なものだと感心する妻に上の空な相槌を返す肉人形は、子がいるであろう場所をひたすら凝視し続けている。

 そんな夫の様子にクスクスと声にならぬ笑いを零して、彼女はどこか彼を揶揄うような発言を投げた。


「そうして見つめ続けたからと、すぐに産まれて来るものではありませんよ?」

「っあ、いえ、その!」


 薄い腹に目を近付けようとしてか、知らず内に曲げていた首と背を伸ばして、ヴェリーネは妙に慌てた態度で心情を舌に乗せ始めた。


「申し訳ありません、身勝手にも浸っておりました。

 ただ、僕とアイ様の子が、確かにここにいるのだと、思うと……どうにも、胸が……」


 言葉という形にしたことで、改めて実感を強くさせたのか、彼の橙の眼球に徐々に水の膜が張っていく。

 情けない自身を見られまいとしてか、星王は后を抱く腕とは逆側の手を広げて目元を覆い、同時に、彼女の眼差しから逃れるため首を大きく右上方へと逸らした。

 分かりやすく示された夫の深い想いに対し、アイダラスは湧き上がる愛しさに自然と頬を緩ませる。


「ありがとうございます。

 唯一無二の旦那様に喜んでいただけて、(わたくし)はこの上なく幸せです」


 次第に感情が溢れて、気が付けば、彼女は腰を上げ、硬い肩に手をついて、彼の側頭へと口づけを贈っていた。

 途端、ビクリを巨体を竦ませて、ヴェリーネの動きが止まる。

 驚きに涙すら蒸発させて、僅かに広げた歪な指の隙間から緑の瞳孔をすぐ傍らの妻へと向ければ、直後、彼は顔面の腐肉を一斉にどす黒く染め上げた。

 初心な夫の反応に、アイダラスは無邪気な少女のように声を立てて笑う。






 よもや、この暖かな時から間もなく、最愛の伴侶から稚拙な文明に生きる人間の危険な出産事情についてを語られ、一気に絶望の淵に叩き落とされようとは、更に、もしもの時は子を優先して助けるよう彼女から真剣に乞われ、今まで以上の過保護の発揮を余儀なくされようとは、まさか夢にも思わぬ星王であった。

 まぁ、高度に発達した魔機文明における魔物医師は非常に優秀であり、全ては杞憂と終わるのだが、そんな未来の結末など今の彼には知る由もないのである。






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