1 その子の名は
父オルフェは、家族と夕食を囲んでいた。
一ヶ月後には、息子たちが夏の長期休暇に入る。
辺境伯領へいつ戻るのか――その確認も兼ねた食事会だった。
さらに今年は、魔獣討伐における指揮訓練もある。
妻のイリスは現在妊娠中だ。
魔導師の診断では、三人目は女の子らしい。
公爵家から嫁いできたイリスは、輝くようなロゼ色の髪と紫水晶のような瞳を持つ美女だった。
真面目で優しく、かつては“社交界の妖精”とまで呼ばれていた。
当時のオルフェは学園卒業後、父の命で王都の騎士団へ所属していた。
「王都で人脈を築け」
そう言われてはいたものの、人付き合いは性に合わない。
遠征へ出て、魔獣討伐に明け暮れる日々。
そんな折、渋々出席した夜会でイリスと出会った。
どんな男にもなびかなかった妖精は、なぜかオルフェに一目惚れした。
――結果として、貴族には珍しい恋愛結婚となった。
結婚から二年後、長男アルバートが生まれた。
そして四年後に次男リカルド。
今では十五歳と十一歳になる。
三人目とはかなり歳の離れた兄弟になるが、イリスは三十六歳とは思えないほど若々しかった。
初めての娘だと分かってからは、まだ見ぬ我が子のドレス選びに気合いが入っている。
……だが。
アルバートだけは、娘が生まれると知ってから妙によそよそしい。
愛想笑いばかりで、どこか冷めている。
何が不満なのか、オルフェには分からなかった。
「お前たちは、今年も領地へ行くのだろう?」
問いかけると、二人は当然のように頷く。
「もちろんです」
「休暇初日の早朝から向かうのか?」
辺境伯領までは、馬車なら二週間以上かかる。
そのため、転移魔法を使用するには事前申請が必要だった。
「はい」
「わかった。手配しておこう」
オルフェはワインで喉を潤した。
するとアルバートが、ふと思い出したように口を開く。
「父上も来られませんか?」
五年前――隣国との戦があった。
戦後も、毒土地の浄化と魔獣討伐に追われ、オルフェは長く王都を離れられずにいる。
辺境伯領の管理は、弟へ任せきりだった。
辺境伯領は、国境を守る盾だ。
魔獣の侵入を防ぐため、多くの猛者たちが集う土地でもある。
弟もまた、その一人だった。
本来なら王都勤務を勧めたかったが、弟は自分以上に口下手で――そして何より、辺境にいる方が性に合っていた。
気づけば、最後に会ってから五年も経っている。
「……そろそろ帰るか。宰相にも話を通しておこう」
その瞬間だった。
「父上も領地に帰るんですか!?」
リカルドがぱっと顔を輝かせる。
だが、その次の言葉で空気が変わった。
「やっとレンに会えますね!」
「リカルド」
アルバートが低い声で制した。
イリスはきょとんと首を傾げる。
「レン……?」
オルフェも眉を寄せた。
誰だ、それは。
「リカルド。レンとは誰だ?」
問いかけると、リカルドは露骨に視線を逸らした。
「…………俺の妹」
ぼそり、と呟く。
アルバートは深いため息をついた。
対するイリスは、ますます困惑している。
意味が分からない。
「…その子は今、何歳だ?」
嫌な予感がした。
まるで、聞いてはいけない答えが返ってくるような――そんな感覚。
アルバートは諦めたように口を開く。
「四歳です」
「…………は?」
リカルドが六歳の頃、レンは生まれた。
小さな、小さな女の子だった。
顔色の悪い母イリスが、そっとおくるみを開く。
そこには、しわくちゃで真っ赤な赤子がいた。
その小さな手が、ぎゅっとリカルドの小指を握る。
「……っ」
可愛い。
ただ、それだけを思った。
「あぁ……やっと会えた……わたくしの子……」
イリスは涙を滲ませながら、赤子を見つめる。
「わたくしの……セレ……ディア……」
か細い声だった。
周囲の医師たちは回復魔法に集中していて、誰も聞き取れない。
「え? レン?」
リカルドは目を輝かせた。
「この子、レンっていうの?」
その瞬間だった。
イリスの顔色がさらに悪くなり、室内が慌ただしくなる。
「奥様!」 「追加で回復魔法を!」 「出血が止まりません!」
乳母が慌てて赤子を抱き上げた。
リカルドも、その後を追いかける。
――こうして“レン”は生まれた。
セレディアという名前はリカルドの聞き間違いにより、たった三秒で、“レン”になってしまったのだ。
レンが母の腹にいる間、イリスとリカルド、それにアルバートは、父オルフェへ妊娠を秘密にしていた。
驚かすのだと、イリスは楽しそうに笑っていた。
辺境伯家の執事長や補佐たちも協力していくれているのとイリスは言った。
当時、オルフェとアルバートは王都にいた。
リカルドも、もうすぐ王都へ行く予定になっている。
だからこそ、それまでの時間をレンと過ごしたかった。
日に日にふっくらとしていく頬。
小さな指。
眠る姿。
全部が愛おしい。
剣術も勉強も頑張った。
空いた時間は、ほとんどレンのそばにいた。
だが。
生後二週間後抱っこしているとヒューヒューと荒い息をして、レンは高熱を出した。
二日経っても熱は下がらない。
回復魔法も効かなかった。
イリスに負担をかけないよう、執事長はレンを教会へ連れていく。
そこは病院の役割も兼ねていた。
薬草を飲ませ、付きっきりで看病しレンはなんとか持ち直した。
だが、微熱が下がらずそのまま二週間、教会へ預けられることになる。
執事長と数人のメイドだけが、レンの世話をしていた。
一方で、イリスも出産時の出血が酷く、何人もの医師が入れ替わりで治療を続けていた。
屋敷中が混乱していた。
そして。
誰も気づかなかった。
イリスが、記憶を失っていたことに。
オルフェがレンの存在を知らなかったのは、奇跡みたいに運が悪かったからだ。
イリスが倒れた直後、補佐の一人が病で辞職した。
急遽王都の屋敷から来た新しい補佐は、十分な引き継ぎを受けていなかった。
そのため、教会に預けられていたレンの存在を知らない。
彼がオルフェへ送っていたのは、病気になったというイリスの容態の報告だけだった。
驚かせたいと言ったイリスの意を組み
結果として――。
“レン”という存在だけが、綺麗に父の情報から抜け落ちた。




