32話 使用人としての誇り
二人の雰囲気が変わったことに気づいた瑠璃は、さすがに背筋を伸ばした。それから、怠そうに言う。
「なによ、二人揃って険しい顔して。使用人ってそういうものでしょう?」
「そういうもの、とは? 具体的に教えていただけますか?」
「身分の高い人達がやらなくていいことを代わりにやることに決まってるじゃない。
掃除とか洗濯とかね。彼等を雇うと私達がしなくていいから楽なのよ」
「我々使用人は掃除や洗濯等、家を陰ながら支えております。
しかし、それが仕事であり、誇りなのです」
「誇りですって!? 庶民同然の仕事に!?
頭おかしいんじゃないの!?」
瑠璃が眉をつり上げて叫ぶ。
完全に感情に流されてしまっている彼女は、桂木家を訪れていることなど忘れているかのようだった。
藤村は表情こそ変わっていないものの、額に青筋が浮かんでいる。
横目で見た澪はその圧に身震いした。
——藤村さんが怒っていらっしゃる……。でも私も同じだわ。
仕事を馬鹿にされたのだから
澪は大きく息を吐くと、怒りと緊張で震える体を抑えながら静かに口を開いた。
「瑠璃……、今の言葉は使用人の皆さんに対して失礼です。
謝ってください」
「謝る!? 私が悪いこと言ったっていうの!?
それにやっと口を利いたと思ったら説教!? 良い度胸ね!
ここでさぞかし甘やかされたんでしょうね!?」
澪は瑠璃の怒声にビクリと肩を震わせたが、視線は外さなかった。
「いいえ。私は訳あって使用人として働かせてもらっています。
甘やかされていません」
「はぁ!? お義姉様は使用人に成り下がったわけ!?
お似合いじゃない!」
そこまで言って、瑠璃はハッとしたように目を見開いた。
しかしすぐに気味の悪い笑みを浮かべると嘲笑うように言う。
「なら、戻ってきなさいよ。ここで使用人として働いているのなら、家に居た時と大して変わらないでしょう?
お義姉様にとっては簡単なことなんだから」
藤村は瑠璃の言葉を聞いて、わずかに肩をすくめた。
以前、義母と共に澪を虐げていないと主張していたのに、この場であっさりと認めたからだった。
澪は瑠璃をまじまじと見つめた。
先ほどまであんなに怖かったのに、次々と態度を変える義妹を見て恐怖心はどこかへ行ってしまった。
——私は実家には帰らないと決めた。ちゃんと私の口から伝えなきゃ!
「私は家に帰るつもりはありません。
なので、あなた達の好きなように過ごしてください」
澪の言葉に瑠璃は言葉を失った。
常におどおどしていて自信なさ気だった義姉が、ここまではっきり言い返すなんて予想もしていなかった。
瑠璃は数秒固まったあと、髪を振り乱しながら叫ぶ。
「なによその態度! いつからそんなに偉くなったの!?
戻ってきて良いって言ってあげてるのよ!? 素直に受けなさいよ!」
「お断りします。
私はこの仕事に誇りを持っていますし、皆さんもとても優しいので、この家で働きたいんです」
「本っ当に腹が立つわその態度! もう一度立場をわからせてあげる!」
瑠璃が立ち上がって澪に掴みかかろうとした瞬間、素早く藤村が間に割って入った。
鋭い眼光で瑠璃を睨みつけている。
「そこまでにしていただきましょうか。
それにしても、とても客人とは思えない態度ですな」
「あんた、私の邪魔ばっかりするじゃない! 退きなさいよ!」
「邪魔ではありません。抑止力でございます」
「私にとっては邪魔してるようにしか見えないのよ!」
瑠璃も藤村の圧に負けずに言い返した。
藤村は口を閉ざしたまま、瑠璃を見つめ続ける。
そのまま会話が途切れ、緊迫した空気が室内を包む。
誰も喋ろうとしないので、澪は不安になった。
——このままじゃ時間だけが過ぎてゆくわ。でも何を話したら……。
瑠璃を刺激するわけにはいかないし、良い言葉が浮かばない……
その時、襖が三回叩かれ、細い隙間から桜井が顔を覗かせた。
「お取り込み中のところ、大変失礼致します。
屋敷中に声が響き渡っているのですが……如何なさいましたか?」
瑠璃は桜井の登場に焦ったのか、何事もなかったかのように座布団に座り直した。
藤村も表情を和らげると、桜井の前に移動する。
「少々意見の食い違いがあってな——おや?」
藤村は目を丸くした。
桜井の後ろに、榎田、藤咲、桐谷が心配そうな顔で身を縮こませている。
榎田が決まりが悪そうに言った。
「すみませんね、藤村様。
あまりにも長い間大きな声が響いておりましたので、気になってしまって……」
時間にして十分ほどだったが、桂木家では怒声が響くことすら稀だった。
そのため、皆が気にして様子を見に来たのだった。
「…………。皆、仕事を中断させてすまなかった。
もうすぐお開きになるから、持ち場に戻りなさい。詳細は明日話す」
「し、承知いたしました……」
桜井達は納得していない顔のまま、渋々といったように戻っていった。
藤村は息を吐きながら襖を閉めると、瑠璃に向き直る。
今の一幕ですっかり落ち着きを取り戻していた。
「さて、本日の用件は終わったと判断してよろしいですか?」
「別に! こんな居心地の悪いところ、さっさと出ていってあげるわよ!
後で後悔して泣きついてきたって知らないんだから!」
瑠璃は澪と藤村を指差して捨て台詞を吐くと、大きな音を立てて応接間を出ていった。
その勢いで玄関を開閉し、砂利を踏み散らしながら足音が遠ざかってゆく。
音が完全に聞こえなくなると、澪は正座を崩した。
——え? 瑠璃は帰ったの? 本当に?
瑠璃が素直に帰ったとは思えなかった。
屋敷のどこかで待ち伏せをしているのではないかとも考えた。
澪はおそるおそる藤村に声をかける。
「あの、藤村さん……義妹は……?」
「帰られたようですな。
澪様、義妹様相手にご立派でしたぞ」
「私、言い返したんですよね? 義妹に……」
「はい。終始相手の感情に乗せられず、冷静に返せておりました。
本当に成長されましたな。律様にもお見せしたかったです」
藤村が穏やかに微笑む。
澪はその言葉で急に桂木律のことを意識し始めた。
——そう言えば律様はどちらに? もし今までのことを聞かれていたら……
澪の心情を読み取ったように、藤村が補足する。
「律様は外出されております。もうすぐ戻られるはずです」
「そうなのですね」
藤村は口元を緩めた後、少し真剣な顔つきになった。
「しかし、新たな問題が生じてしまいました。
今回の騒ぎで使用人達が澪様を訝しんでいるでしょう。つまり、素性を明かさなければならないかと……」
次回は8/22更新予定です。




