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30話 改めて、思う

 翌日、午前五時半。


 澪は鉛のように重い体を起こした。

昨日の夜会の疲れがまだ抜けきっていない。


 「体が重たい……」


 いつもより二時間遅い十一時に就寝したため、圧倒的に寝不足だった。

それでも澪は目を擦りながら、布団を片付けて身支度を整える。


 「でも倒れないようにしないと……。

榎田さんに頼んでみようかな。図々しいかもしれないけど」

 

 以前、無理をして体調を崩してしまったことを思い出し、澪はため息を吐いた。


 「皆さんに迷惑をかけるよりは、言ってみた方が良いわね」

 

 少し暗い気持ちのまま澪が台所に向かうと、いつものように榎田が準備を始めていた。

 扉の開閉音に気づいた榎田が動きを止めて顔を上げる。


 「榎田さん、おはようございます」


 「おはよう、柏木さん。

昨日は大変だっただろう?」


 「はい。でも、いろいろ勉強になりました」


 欠伸をかみ殺しながら言う澪を見て、榎田は呆れたように笑う。


 「はははっ。勉強になったのは本当だろうけど、強がらなくて良いんだよ。

 てっきり今日は休みかと思ったのに、よく来たね」


 「え、えっと……」


 澪は目を泳がせる。 


 ——私が部屋を貰っていることを悟られたら大変だわ。

それに、藤村さんや桜井さんが今まで隠してくれたことまで台無しになってしまう…… 


 澪は少し口元を緩ませて答えた。


 「つい、いつも通り来ちゃいました」


 「まぁ、休みなんて事前申請か、当日に言い渡されるかのどちらかだからね。

皆、柏木さんが昨日夜会だったことは知ってるから、今日はほどほどにしておきなよ。熱出したら大変だからね」


 「ありがとうございます。無理のない範囲で頑張ります……」


 「ああ、そうしなよ。

 それにしても、藤村様も桜井さんも少し配慮が足りなかったみたいだねぇ。

夜会に行った人は大抵翌日は休みなんだけど……」


 「そうなんですか?」


 澪が聞き返すと、榎田は首を縦に振った。


 「そうなんだよ。

私も藤咲さんも萩原さんも桐谷さんも皆ね。

だから、桜井さんは今日は休みだよ」


 ——なんだ、休んでも良かったのね


 澪は安心したと同時に少し複雑な気分になった。

だからといって、藤村や桜井を責める気はない。



 「わかりました。でも来てしまった以上、無理をしないようにします。

今日もよろしくお願いします」


 「よろしく、柏木さん」


 澪の返事を聞いて榎田は微笑むと、二人で準備に取りかかった。




 午後一時。


 いつもと変わらない束の間の休憩時間。

澪は出勤している藤咲や桐谷と雑談をしていた。

 澪から夜会の感想を聞いていた二人は迷子になった話を聞いて驚きの声を上げた。

 

 「柏木さん、迷っちゃったの!?」


 「……でも、金蘭亭は扉いっぱいあるし、仕方がない。

私も迷いそうになった……」


 「桐谷さんもですか!?」


 ——手際よく動いている桐谷さんが!? なんだか意外


 澪に視線を向けられた桐谷は恥ずかしそうに小さく頷いた。


 「うん。扉の数を数えてたから、乗り越えられたけど。

危なかった……」 


 「二人共大変だったね……」


 藤咲が相槌を打つ。

それを聞いた桐谷が不思議そうに首を傾げながら尋ねた。


 「藤咲さんは迷わなかったの……?」


 「あ、私はそもそも会場の外に出るなって言われたの!

藤村様に!」


 明るく言う藤咲に澪と桐谷は顔を見合わせる。

反応に困ったからだ。


 「確かに藤村様なら言いそう……」

 

 「ですね……」

 

 澪と桐谷は小さく頷いた。 

藤咲の普段の様子を見ていれば、迷わないほうが難しい。

と、同時に藤村の判断は正しいと思った。

 二人の表情など気にしていない様子で藤咲が話を続ける。


 「だから藤村様には本当に感謝してるんだ。

普段から私達のことしっかり見てくださってるんだなって」


 「そうですね。陰ながら見守ってくれてるようで安心して従事できますし」


 「本当にそう。藤村様はご多忙なのに……。頭が上がらない」 


 三人は改めて藤村の凄さに感心し、しばらくその話で盛り上がった。




 午後九時。


 倒れることなく無事に従事を終えた澪は、布団に潜り込んだ。


 「やっぱり桂木家の皆さんは優しいわ。

 仕事は決して楽じゃないけど、失敗してしまってもいきなり怒鳴られることはないし。

……実家とは比べ物にならないくらい居心地が良いわ」


 そう呟いた瞬間、澪の脳裏に実家での理不尽な扱いがよみがえり、

深いため息が漏れた。


 味付けを少し間違えただけで食器を投げつけられ、お茶が熱過ぎると頭からかけられた。挙げればきりがない。

 亜子を始め、味方になってくれていた使用人達には恵まれていたが、それだけでは庇いきれないほど多く理不尽な扱いを受けた。



 ——やっぱり私、雑用係としてでもこの場所で生きてゆきたい。

あの家には帰らない!


 澪は固く心に誓った。

次回は7/4更新予定です

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