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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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149「死の先にあるもの」



 中途半端が極まっている。


 会うつもりなどなかった。しかし家族の名を出された。

 家族というのはつまり、貴族のジルとして生まれ、生きた際につながりを持った者たちの名だ。


 会うつもりなどなかった。しかしこうして会ってしまっている。そうなってしまった原因は、ひとえに未練からだろう。


 未練。心残り。あるいは、それに似た何か。


 両親の死によって、幼き頃より悪辣な爺に誘拐同然に連れ去られ、共に身を寄せ合った弟ルネ。同じく悪辣な爺に誘拐され、そのまま事実婚にされてしまった俺の妻カトリーヌ。そして、為された子。一人娘のマリー。


 俺には娘がいる。


 接点は多くなかった。家のためには仕方ないと思いつつも、誘拐され身ごもらされた妻に対しての後ろめたさのせいだろうか。生前、母子とも意識して遠ざけていた。親として俺は、その子に何もしてやっていない。


 憎めば憎まれ、愛せば愛される。そして、親の愛を知る者が、子を愛せる親になる。


 ごく最近に学んだことではあるが、そういうものは、意識には上がらなくとも心のどこかでは何となく理解していたのではなかろうか。親の愛を取り上げられた俺は子供の愛し方がわからない。名をマリーと名付けたのも、何か特別な意味を込めてのものでもない。親が子に付けるありふれた名前であり、特に問題もなさそうだという理由だった気がする。


 ジャンヌと関わってからは、顔すら見ていなかったはず。マリー。年はいくつだったか。10になるか、ならないか……


 横を見る。


 マリーよりも幼い少女クレアの腕には黒い猫。そのクレアの首には、レンズ豆を入れた小袋が、大切なお守りのようにしてぶら下げられている。


 ここは屋敷の外。扉から出てすぐ。パリへと帰還する意識と、家族への未練が重なって、中途半端にここにいる。


「こっ、こっ、こっ、このたびのっ、閣下への拝謁に関しましてっ、こっ、こっ、こけっ」


 鶏のようになっている。不安と恐怖と緊張と責任感を、ごちゃまぜにして袋に詰めて目と鼻と口を書き込めば、この男のようになるか。

 男は妻の実家、トアール家の親戚の者であり、また医者が目に見えぬものを見る研究をなすために強引に接収したこの屋敷の本当の主の親戚でもあった。広いようで狭い社会。貴族はどこかで繋がっている。


 接収された屋敷について、恨みつらみ、泣き言にも聞こえるような、自暴自棄の伴った栄誉を賜ってうんぬんかんぬん……この屋敷の本当の主の本当ではなさそうな意見と共にもたらされたのは、突如この世界に現れた動き回る骨の正体が、ルーアンで行方不明になっているジル・ド・レではないかとの噂が妻の実家にまで及び、これから酷い騒動になりそうだという情報だった。その噂の出どころはリッシュモンあたりだろうか、それともアンドレや爺い経由だろうか。


 動く骨の正体、悪魔であれ、天使であれ、そんなものに巻き込まれたらただでは済まない。

 この問題を、このままにしておいていいのかと悩んでいる。悩んで、結論が出ずに、今の中途半端。


 知らん、俺は名を捨てた、俺の問題ではないと言って切り捨てるならば、何も問題はない。

 それで構わないなら悩む必要もない。しかし。

 生前、さんざん迷惑だけをかけて、何も残してやれなかったと後悔する俺も同時に存在する。知らん知らんと叫ぶ頭の隅で、何かしてやれることは無いだろうかと思案している。


「発明というものは、その下地さえあれば、あとはちょっとした気づきで多くの人から同時多発的に生まれるものだったりするのよ? ちょっとばかり早いか遅いか、周知されて認められるのが最初は誰かって問題はあるけど、ま、そんなもん」

「はい」

「特定の誰かがいないと生まれない、なんて発明は、私はちょっと知らないわねぇ」

「はい」


 腕に抱く黒猫の口から紡がれる言葉のいちいちに、律儀に首を振って答える少女。


「小さすぎて目に見えないものを見れるようにする道具作り、リッシュモンさんも気にして動いているみたい。彼って働き者ねえ」


 リッシュモン。押し付けられた劇の対応やら奇跡の対応やら、疫病の対応やら連れてきた部下どもの世話で忙しかろうに、そんなことにも手を出していたのか。睡眠時間が無くなるぞ。


 俺が中途半端で止まっている間、手持ちぶさたになった黒猫と少女の雑談めいた会話は続く。


「そうだ。もしクレアさんがいいなら、小さいものを見る道具作りの研究、リッシュモンさんと合流してみてはどう? やっぱり研究は大勢でやる方が効率はいいしね」


 その会話に割って混ざる医者。後ろには見送りに来たのであろう子供たち。


「そ、それは。私は聖女クレアの後見人ですが、その、ですよね? これからリッシュモン様に聖女様の後見人役が変わるということでしょうか?」

「え? クレアさんの後見人はお医者さんの、えっと」

「ナゼルです」

「そう。ナゼルさん。別に変わらなくていいでしょ。てかナゼルさんも合流して研究に混ざればいいのだし」

「私も彼女の天命の手助けをすべきと」

「天命ねえ、まぁ本人がそれでいいなら、天命にしてもらって結構だけど、目に見えない小さいものを見る道具、結構仕組みが簡単なのよねぇ。そう、今でもふいに誰かが発明してしまうくらいに。だから一番になりたいなら、余裕な態度でいられる時間は少ないと思う」


 目に映らないほど小さなものがあるのだと思い至らなければ、いつまでも誰も発明しようとしない道具。しかしひとたび、それがあるのだと知らされれば、見れるように人は動く。結果発明は生まれる。目に映らぬほどの小さなものに思いが至るかどうかが、発明のための下地というのだろう。


 不安げに首にぶら下げたレンズ豆入りの袋を気にする少女クレア。


 ルルのやつは否定したりいくらかぼかして話していたが、小さなものを見る道具、やはりそのレンズ豆にヒントがあるのだと思うぞ。レンズ豆、レンズ、ガラスのレンズ、あとは何かに気が付くかどうかだ。


「えっと、今は何待ち? もうそろそろ飛んで帰る時間も無くなりそうよ、黒騎士さん?」


 雑談をやめてこちらに視線をよこす黒猫。本当に今の時間は何なのだろうな。


 どうしてここで立ち止まるのか。俺というものはここぞという時に決断ができない男であることは、もう疑うまでもない。それを否定しない。ジャンヌを助ける決断ができず最後の最後に神にゆだねてしまったことが、そんな優柔不断な男の人生の集大成となって表れている。幼くは悪辣な爺いに抵抗せず流されて悪の道を進んだこともそうだし、直近では、なかなかランスのシャルル王に会いに行けなかったこともそう。プリュエルの目を癒してやる決断をするのにも大いに時間がかかった。俺は決断のできない男。


「こっ、こけっ、こけっ」


 鶏のような男を睨みつけながら思考を続ける。にしてもこの男、しゃべる骸骨がよほど恐ろしいらしい。いいぞ、もっと恐れろ。そういうのは悪くない。この男からはもう有益な情報は得られそうにない。口から出る言葉は一族の栄誉だの自己保身といった空虚なもののみ。一族に無理を言われ、責任感のみでこの場に立っているのだろうな。


 ここで家族を知らぬと放り出してしまうのは、男として責任がなさ過ぎて情けなさ過ぎるというものだろうか?

 放り捨てる決断ができない。


 決断ができない理由は、恐れているから。

 何を恐れているのか。先に進むのを恐れている。状況が変わるのを恐れている。自分の手で何かを終わらせてしまうのを恐れている。だから先に進めない。これを慎重さと言い換えて自分を騙してもしょうがない。


 だから骨になった時に浮かれたのだ。


 黒猫がかつて俺に向けて言ったことは、まごうことなく本当のことだった。自分の足では先に進めなくなっていたところに、抗いようもない力で背中を押して暗闇の待つ崖下に突き落としてくれた奴がいた。今いる世界がまるごと変わり、だから浮かれた。骨になったことに浮かれて、これ幸いとばかりに名を捨てた。


 名を捨てたかった理由は、過去から逃げたかったから。


 ああ、そうか。俺は逃げたかったのか。ようやく気が付く。俺は俺を取り巻く状況のすべてから逃げたかったのだ。

 そして俺は、今のこの状況からも、逃げたい。


 ――逃げるな。戦え。騎士よ。戦え。


 一時期、俺の心を支配して塗りつぶしていた女の声で再生される。


 ジャンヌ。俺は逃げたい。しかし、逃げるのは許されないのだな。


 逃げるのは恥。騎士たるものが逃げては家の名誉の失墜になる。それは死よりも恐ろしい誇りの失墜。そんな当たり前の常識に囚われて、今、動けないでいる。騎士は逃げてはならない……


 こちらを見る黒猫を、目を細めて見る。骨の顔では伝わりもしない。


「黒猫よ」

「なあに、黒騎士さん」


 いつもの問いかけ。いつもの返答。


「先ほど貴様は、人の行動を名前で縛ることができるどうこう言っていたな」

「はて、そんな言い方したかしら?」


 まぁちょっと言い方は違ったかもしれないが。


「貴様が俺のことをずっと黒騎士呼びしている理由は、ひょっとして、俺に堂々たる騎士であれと願って呪いのような縛りをかけているからではないか?」


 少女の腕に抱かれる黒猫が目を丸くする。すぐに金の瞳が細められて、楽しそうに答えを返す。


「あは」

「なんだその笑いは」


 否定なのか、肯定なのか。


「祝福にもなる名前が、人を操る呪いにもなる。そうではないのか?」

「どっちでもいいじゃない。そんなこと」


 肯定も否定も言わない。言わないことが正解とばかりに。


「騎士のイメージ。うん、守護者、とか、正々堂々、とか、いろいろあるよね。かっこいい。以上。それが何かの縛りになったとしても、何か問題でも?」

「………」


 ぬけぬけと答えられては続ける言葉もない。

 骨となって自由を得たと思ったが、なかなかに縛られるものも多いようだ。


 逃げることを封じられ、前に進むこともできず……


「黒猫」

「なあに黒騎士さん」

「俺はどうすればいい?」


 少女の腕の中の黒猫がわかりやすいため息をつく。


「もっと具体的に質問してくれないと、答えられる質問にも答えられないでしょうが」

「俺は悩んでいる。それが貴様ならわかるだろう。悪魔的な知恵を誇る貴様ならどうするのが良いのかもわかる」

「悪魔じゃないって、てかなんか変な信頼も生まれちゃって。あー、そうねえ、黒騎士さんが何を悩んでいるのか詳しくは知らないけれど、もっと具体的に聞かれたとしても、きっと答えは”知らない”になるでしょうね。君の問題は君が解決するしかない、的な話っぽい」


 俺が解決せよ、か。


「君がどうしたいか、よ」


 どうしたいか、も、どうすれば一番良いのか、も、俺にはわからんというのに。


「そういえば話は変わるが」


 結果、雑談に加わる。

 ただの先延ばし。


「先ほど、ルシフェルの姿を貴様は12枚の羽根とか言ってなかったか? 大天使の羽根は片方3枚の6枚ではないのか? 12枚は多すぎるだろ。どこにしまうのだ。どこからきた数字だ。12」

「いやまあ多いけども」


 呆れ口調の黒猫と他愛もない話題をする。本当に何の時間だ。


「図形の六芒星ってあるでしょ? 上向きの力を表す上向き三角と、下向きの力を表す下向きの三角を重ねるやつ」

「ああ、知っているとも」


 悪魔を呼び出す魔法陣とかに使われる。そうした人には言えぬ書物を集めていたせいで、人よりも詳しいとすら思っていたくらいだ。そこにあった知識で実際に役に立つものなど何もなかったが。


「ある者にとって、図形や数字も意味を持つ。上と下、天と地、光と闇。相反するものを重ねることで完成、完全という状態を表しているのよね。光と闇が備わって最強に見える、ってやつ」


 魔法陣の六芒星にはそんな意味もあったのか。


「上下の三角を重ねた時の頂点の数は12。出っ張ってるとことへこんでるとこね。12は特別な意味を持つ数字。姿にも描けぬ最高の神様は姿がないとして、天使の最強格なんだから、それぐらいの羽根はあってもいいでしょってことじゃないの?」

「そうなのか」


 何の疑問もなく大天使にして堕天使のルシフェルの羽根はずっと6枚だと思っていた。

 大天使の羽根は6枚とか書いてあった書物は何であったか。本当に役に立たない。


「12という数字の特別性は、2で割れる、3で割れる、4で割れる、6で割れるという、取り扱うのに便利の良いところからくるのよ。こういうのはどんな地域、文化であっても、似たような立ち位置になるのよね」

「ほお」


 雑談にさらに雑談が重なる。無駄知識が増えていく。


「あ、けど、この時代だとまだ光翼の数は12枚じゃなかったかも。天使の姿なんてのはね、時代時代で変わっていったり、微妙にちょっと変化していったりするものなのよ。気になるなら自分で調べて?」

「おい」


 ここまでの雑談がすべて無駄になった。

 無駄だ。無駄な時間を過ごしている。


 先に進むにはどうすればいい?

 一歩を踏み出すためには何に気が付く必要がある?


 人は死を恐れる。恐れる理由は、変化するからだ。変わることに恐怖している。その恐怖はどこから来る?


 骨の身に変わりて多くを学んだ。神や悪魔すら虚構、時間すら虚構、この世のすべてが虚構とでもいわんばかりの黒猫と為した会話の数々が、俺の中に入っている。あまりにも歯ごたえがありすぎてかみ砕けもしないし、消化どころか、飲み込めているかすらあやしいが。


 答えはもう俺の中にあるのではないか。


 人は死ぬとどうなる?

 何もかもが終わる。


 天国があって地獄があってという物語を信じることはもうできそうもない。死ねばそれで終わり。


 本当に、そうか?

 死が人生の終焉?


 貴族のジルは死んでも、俺はここに居るではないか。


 そうか。俺はもう死んでいる。それでも、ここに居て、ここに居るということを考えている。


 家族も、名も、血も肉も必要ない。それらすべては、人が人であるために必要なものではない。必要ないものをすべて取り除いていっても、最後には、俺がここに居て考えていることだけは残る。それこそが、人が人であるために必要なものではないのか。


 死は終焉ではない。


 何かの始まりでもない。俺がいる世界と、俺がいない世界が、そこに横たわるだけ。数えることすら諦めるほどある世界の姿が、そうなっているだけ。


 ならば、何を恐れる必要がある。


「黒猫よ」

「なあに、黒騎士さん」


 いつもの問いかけ。いつもの返答。


「話がしたい。俺と貴様、二人だけでだ」

「ん。了解」


 瞬間。白一色の世界に居た。

 俺と黒猫。たった二つの黒い色を除いて。



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