開花その113 事態が急変しました
「姫様。何ですか、その細長い棒は?」
セルカが眉をひそめて私を見る。
「釣り竿だよ。今回は釣り回だからね」
「まさか。一滴の水も見当たらないこの砂漠で、どうやって釣りをしようと……」
プリスカが呆れたように周囲を見る。一面の乾ききった大地だ。
「ほら、これを見てごらん」
釣り竿から延びる糸の先には針ではなく、一枚の金属片がぶら下がっている。片面は白くて、裏側は黒い。
「白い方の文字を読んでみて」
プリちゃんが手に取る。
えっと、何ですかこれは、「事態が急変しました」
「ええっ、何か進展があったのですか?」
セルカが駆け寄る。
「では、裏の黒い方を見てみろ」
え、この札の裏ですか? 「水は低きに流れる」
「いや、ここに水は一切ありませんけど。それに、水が下に向かって流れるのは、当たり前の話ですよ」
「あ、分かりました。つまり天地の反転とか何かの異常によって、この大陸の水が地面ではなく空に吸い上げられているという意味ですね」
「違うぞセルカ。地上に水が無くても、もっと地下深くには流れ落ちた水があると言いたいのですよね。姫様は上空からそれを発見し、そこで釣りをするつもりであると」
二人とも、考えすぎだよ。
「いや、全然違う。適当な釣りタイトルで読者を釣ろうしたが、すぐに反省して裏に戒めの文章を刻んだのだ」
二人が考え込む。
「釣りタイトル?」
「読者?」
「姫様が反省?」
「これはつまり、安易な方法で結果を求めてはいけないという教訓だな」
「姫様の言葉は、時々意味不明ですね」
「いやセルカ、それも違う。時々ではなく、割と頻繁に意味不明だ」
今朝は少し時間を無駄にしたな。誰かへの謝罪が必要だろうか?
では改めて、ごめんなさい。
さて、これからどうしようか。
私たちはこの数日間、灰色の砂漠を南に向かって、極力ゆっくりと進んでいた。
普段野山を走って進むのに比べて足取りが重いが、それでもそこそこの速度になる。のんびり散歩をするような精神状態ではなく、圧倒的な不安が足を速めるのを理性が必死にブレーキをかけている感じだ。
だが周囲の景色も照り付ける強い日差しも、何も変化が無い。
事態は急変どころか、何の変化もないのですよ。
だがそれでも来た道を戻れぬ以上、私たちは大陸の奥地へと進む以外にないのだ。
妙に人為的な匂いのするこの不自然な地形は次第に緩い登りに変化して、徐々に標高を上げつつあった。
もう目印の針を刺すことも止めた。雲一つない空が続くこの大陸では、太陽の動きだけが進むべき方角を教えてくれる。
更に五日歩いた。黒い岩と灰色の大地は果てしなく続くが、溶けて流れたような岩の亀裂を何度か見かけただけで、他に変化はない。
大地は変わらず、割れた黒い板チョコを灰色の砂糖に埋めたような、不自然で不気味なモノトーンだ。
地上に水はなく、空気は乾燥しきっている。
昼間は生身では耐えられないほど暑く、夜は凍えるほどに寒くなる。
それから十日が過ぎた。
徐々に標高を上げていた地形は三日前から下り坂となり、今は小さなアップダウンを繰り返しながら下っている。
そもそも海から離れてそれなりに内陸へ入っているのに、あの切り立った断崖絶壁以外にこれといった山岳地形が無い。このギザギザ大地はゆっくり標高を上げて行き、今は下り始めている。
私たちは極端に口数が減り、下手に口を開くと愚痴が出るので互いに気を遣う状態がずっと続いている。これは良く無い兆候だ。
「歩けども歩けども、か」
無意識に、ついそんなことを呟いてしまう。
「姫様、それは言わない約束でしょ」
「ああ、そうだったな」
プリスカの苦言にも力が無い。
「はぁ~」
「セルカ、ため息禁止!」
愚痴警察となったプリスカの検閲が厳しい。本人も相当我慢に耐えかねているのだろう。ヤバいな。こいつの我慢が限界に達したら、どうなるのだろう。
私たち、後ろから斬られる?
身の危険を感じてプリスカを先頭に立て、二人が左右の斜め後方に位置して歩く。
「姫様、提案があります」
突然プリちゃんが振り向かずに言う。
「こんなに広い土地なので、もう三人が固まって歩く必要はないのでは?」
気持ちは分かるが、隊列が広がるとギザギザ岩の隙間を抜けたり乗り越えたりする間に、互いの姿を一瞬見失う。極力三人が離れないよう、互いの姿を確認しながら歩きたいのだ。
「私の魔力感知の信頼性が薄い今、互いに姿を見える範囲で歩きたいんだよ。そのくらいの危機感は常に持ってほしいなぁ」
「では、三人揃って魔法の絨毯で移動しますか?」
おお、プリスカ自らがカーペットに乗るというのであれば、何も言うことはない。
「いいよ。そうしよう」
私は岩の日陰にカーペットを出してその上に座り、ちょうどいいのでそのまま昼食休憩をすることにした。
生命のないこの大地でも、魔法さえ封じられなければ私たちが飢える心配はない。最低でも十年単位で生き延びる程度の備蓄は持っている。精神さえ崩壊しなければ、だけど。
腹を括って、結界内で自給自足の生活を試してみるのも有りかもしれない。
しかし今はまだ、そんな先の事を考える場面ではない。この灰色の大地から抜け出る方法を模索する段階だ。
私は毎日一度は空中へ飛び上がり遠方を眺め、そして落下する。私の飛行を妨害する現象を調査するのが、主な目的だ。
最初はおっかなびっくりであったが、十日も続けているともう慣れた。
慣れたが、やはり高く飛べはしない。
上空の結界を調べるため、地上から全力で濃い空に向けて何発か魔法を放ってみた。
風魔法以外は正常に発動し、何もないように上空へ吸い込まれて消える。
最初は風魔法だけが阻害されているのだと思ったのだが、どうやら制限されているのは空気の動きらしい。
そう考えて、私はぞっとした。
我々の暮らすこの星の大気は循環し、動物は植物が作り出す酸素を呼吸して生きている。では大きな大気の循環から切り離され生命も水も無いこの不毛な大地で、大気の組成はどうなっているのか?
高温で乾燥している以外は、普通に呼吸できるのが不思議だ。
だから、大陸全土がこの状態だとは考えたくない。千年もの長きにわたり大気の循環から切り離された不毛な土地に、我々が呼吸できるような大気が残っているのは変だ。ひょっとすると、上空の空気とは緩やかな循環があるのかもしれない。しかし内陸に入っても風一つ吹かないこの大気が、どうやって維持されているのか?
普通なら局地的な雷雨や竜巻や砂嵐など、より過酷な環境が生まれるのではなかろうか?
だから大陸のどこかに、この呼吸可能な大気を維持するための水や森が必ずある。私はそう信じたいんだよ。
しかしそれは、ここが私たちの住んでいたあの世界と本当に地続きであった場合の話だ。
実際に不可解な出来事により、私たちはこの灰色の世界に閉じ込められている。
ここが魔法の巾着袋の中のような、別の空間である可能性も高い。
ここから脱出するには、この不可解な世界の秘密を解き明かすことが必須なのだろう。だから私たちは、急いで移動する意味を失っている。
ただ毎日少しではあるが、地形に変化が現れている。
登り続けてから、今度は下り始めている。その先に何かがある。きっとある。あってくれぇ。
魔法のカーペットに三人で乗り、ギザギザの地形に沿ってゆっくりと下っている。
「迂回するのも、面倒だな」
私はカーペットの進行方向へ土魔法を放ち、整地しながら一直線に進んでみた。荒野の真ん中に絨毯専用のハイウェイを造りながら進んで行く。
「これは快適ですね」
揺れずに進むようになったカーペットの上で、プリスカが喜ぶ。が、緊張感が消えて体の力が抜けると、眠そうに私の背中に寄りかかり始めた。
「先生、居眠りして落ちたら、置いていきますからね」
「私だって、落ちそうになれば眼が覚めるさ」
「こら、眠る前提で話を進めるな」
すっかり緩んでいるな。自慢の剣で斬り刻む相手がいないと、こうもダメ人間になってしまうのか。
「プリスカ、この状況を受け入れてしまえば、永久にここから出られないぞ」
「では、今の私たちに何ができるっていうんですか?」
子供のように拗ねて横を向くその顔には、情緒が限界に近いのだと感じる。
ずっと船酔いで苦しんでいたこともあり、プリスカにとっては辛い旅が続いている。
「分かった。セルカが後ろから押さえていてくれるから、寝てもいいよ」
「え、それ私の仕事ですか?」
「頼んだぞ」
「はぁ、仕方ないですね」
眠っても構わないと聞いて安心したのか逆に不安になったのか、それからプリスカはしっかりと体を起こした。まだプライドが残っているのなら、大丈夫だろう。
今は何の結果が出なくても、様々なトライを続けなくてはいけない。心が折れたら負けだ。必要なのは、継続する意思なのだ。
ただ何も考えずに足を進めているだけでは、この世界に呑まれてしまうような気がする。幸い、私たちは一人ではない。それが今、一番の救いなのかもしれない。
「三人で王都の屋敷へ帰るぞ」
何となく、声に出してみる。生まれ育った谷間の館が私の帰るべき家ではであるが、同時にあの王都の屋敷こそ、プリセルの二人と共に戻るべき場所だ。三人揃って王都へ戻らねば、雇ったばかりのコマを筆頭とした、屋敷の仲間に叱られる。
ちょうど緩い下り坂なので、前方に延ばしている路面を凹ませて、緩いU字の溝にしてみた。そこへ水魔法の素を使い、大量の水を流す。
以前この灰色の大地に水を流したところ、すぐに吸い込まれて跡形もなく消えてしまった。しかし私の造ったU字溝は、簡単に水を漏らさない。
小川となって水が駆け下り、それに合わせて溝を延伸させる。ウォータースライダーのように、水の上すれすれを、滑らかにカーペットが進む。
「涼しい!」
「ああ、気持ちがいい」
子供のように私たちは喜んだが、結構な速度に達しているので気が抜けない。
(これはいいですね)
ずっと静かだったルアンナの気配が、戻って来た。
(水には姫様の魔力が含まれているので、助かります)
ルアンナは魔力も他の精霊もいないこの大陸で、孤立して弱っている。大地を焦がす太陽も、夜空を照らす月も、ルアンナのものではないと言う。ではこのまぶしい太陽は、何なのか?
(やはりここは、異空間なのかな?)
(大地や空気は、精霊が宿らないだけであとは普通ですね)
これが普通なのか……
(つまり、太陽と月がニセモノ?)
(そうですね。そもそも、この紺色の空が異物のような気がします)
やはりそうなのか。大地が何か異物に覆われ蓋をされている、ということか。でも、ルアンナの発言を真に受けるのは危険だぞ。
そんなことに気を取られていると、後ろでセルカが声を上げた。
「前方に何か見えます!」
確かに、今まで見えていなかった違う色がある。
「赤い線!」
はしゃいでいたプリスカも、小さく呟く。
この灰色の大地に閉じ込められる前に見た黒い崖のように、前方へ今度は赤い横線が見えていた。
その赤い線へ向け、私たちは一直線にウォータースライダーを滑り降りる。速度はぐんぐん上がる。そろそろ振り落とされないか不安になるので、ルアンナに結界で覆ってもらおう。
(ルアンナ、結界を頼むね)
(はい……姫様、あの赤いのは水ですよ)
(まさか)
確かにこの長い下り坂の底に、赤い水をたたえた大きな湖が見える。いやこれ大きい。海なのか?
困惑しているうちに、視界一杯に赤い水が広がった。
血のように濃い色ではない。フラミンゴの羽のような淡い赤色。でも何だか毒々しい、嫌な気配を感じる水の色だった。
しかし私はU字溝の上を滑り行くカーペットの安定に気を取られていて、余計なことを考える余裕がない。
いやぁ、本当に事態が急変して、水は低きに流れているじゃないか。旅は順調だ。そうなのか?
終




