【41】
最終話!
イルムヒルデが帝都に戻ってこられたころには、学院が冬期休暇に入っていた。普段は領地に帰るであろうハイルヴィヒやアレクシアも帝都にいた。
「心配しましたわ! 大丈夫でした?」
戦況がどうなったか、ではなく、真っ先にイルムヒルデの身を心配してくれることに、イルムヒルデは微笑んだ。
「大丈夫。みんな親切でしたし」
「そりゃあ、事実上シグリ先生が帝国軍をまとめてるからねー。今の帝国軍は規律正しいことで有名だもん。下手したら、近衛よりも整ってるよ」
と言ったのはアレクシアだ。公爵家のお嬢様だが、実は騎士になりたいのだ、と言われてもイルムヒルデたちは驚かない。
「シグリ様って本当にすごい人なんですね」
そんな人と一緒にいて、仕事の仕方を教えてもらった。これもすごいことだ。
一方、そのすぐ上の姉であるカウニッツ女侯爵と行動していたマティアスは、散々こき使われたらしい。むしろマティアスが使う側だっただろうに、なぜそうなった。フィリベルトもかなり使い走りをさせられたらしい。ハーラルトに関しては肉体労働担当だったそうだ。ちょっと笑った。
「イル、だいぶ雰囲気が柔らかくなりましたわね」
ハイルヴィヒにそう言われてもピンとこない。シグリに振り回されたせいだろうか。それとも。
「無理だと思っても、意外と何とかなるとわかったからでしょうか」
「それはあきらめなのでは?」
アレクシアに言われて、そうかもしれない、と思ってしまった。
その日、イルムヒルデは初めて皇帝陛下に拝謁した。なんとなく、マティアスに似ている。フリューアの状況を説明するために呼ばれたのだが、その役割をほぼローレンツが担ってくれた。
マティアスの父、皇帝クレメンス・フォン・ハルシュタットは鷹揚にうなずく。
「フリューアでの再びの戦、ご苦労だった。イルムヒルデもまだ年若いのに大変だっただろう」
恐れ入ります、とイルムヒルデは頭を下げた。
「今回の件で、宰相を含めた幾人かがその役を退いた」
皇帝が何でもないことのように言う。確かに、宰相が控えているであろう場所にはシュトランツ公爵ではなく、フォルバッハ公爵が控えていた。すでにシュトランツ公爵は更迭されており、そのあとをフォルバッハ公爵が担うことが確定されている。
玉突き人事になるが、ある程度穴を埋められているが、補いきれないほど人事に穴が開いている。そこで。
「カウニッツ幕僚長に軍務省長官を任せたいと思うのだが、どうだ?」
「……はい?」
さすがのシグリも不意を突かれて目を見開いた。むしろ、自分は関係ないと、少し下がったところで傍観しているくらいの気持ちだったのだが、突然舞台に引き上げられた気持ちがした。
「……ですが、わたくしは軍人ですし、そもそも身分としてはカウニッツ女侯爵の妹にすぎません。皆が納得しないでしょう」
もっともらしく言い訳をしたシグリに、皇帝はこともなげに言った。
「もともとお前は官僚だったろう。身分については、爵位をやろう。領地のない、宮廷貴族ということになるが、伯爵あたりでどうだ」
「……」
「まあ、すぐに返事をしろとは言わん」
謁見の間を退出し、イルムヒルデはシグリを見上げた。飄々とした彼女が考え込んでいる。
「イル、僕たちは」
「あ、はい」
マティアスに呼ばれ、イルムヒルデはローレンツとシグリに頭を下げてそこで別れる。
「幕僚長は軍務省長官を引き受けると思うかい?」
唐突にマティアスに問われ、イルムヒルデは一瞬言いよどんだがうなずいた。
「はい。結局、学校に赴任する件も引き受けていますし、納得できる理由があるのなら引き受けるだろうと思います」
「僕もそう思う。イルムヒルデ、よく学んできたみたいだね」
「……そうだといいのですが」
マティアスに微笑まれてイルムヒルデは目を細めた。シグリに関しては爵位の方が渋りそうな気がした。
「殿下。イルムヒルデ」
お留守番だったフィリベルトがマティアスとイルムヒルデを認めて声を上げる。ハーラルトすら置いて行かれていた。と思うと、イルムヒルデが同行できたのは不思議な感じだ。
「どうでしたー」
いつも通りのハーラルトの様子に、イルムヒルデは思わず笑った。
一方のシグリである。ローレンツの一歩後を歩いていた彼女は、目の前のローレンツが立ち止ったことに気づかずその背中にぶつかった。
「すみません。考え事をしていました」
「ああ」
と、こちらも考え事をしている様子。長身のシグリがぶつかったのに、ローレンツは体幹がぶれもしなかった。
「……この一連の出来事は、すべて叔父上の手の上だったのだろうかと考えてしまった」
「否定はできません。終わってみれば、奸臣たちが一掃されていたわけですからね」
その手はずを整えたのはシグリであり、マティアスたちであるが、彼女らもその思惑に沿って動いていただけだという可能性がある。
「では、お前が軍務省長官になるのも、叔父上の思惑通りなのだろうな」
「まだ了承したわけではございません」
「そうだな」
シグリはまだ納得していない。かつて彼女を追い出したのは向こうなのに、今度は戻って来いと言うのか。
「私はローレンツ様の元で働きとうございます」
「俺もお前を手放す気はない」
だが、結果はわかりきっている。ローレンツがいくら皇帝の甥で元帥でヴェルナー大公であったとしても、当然ながら皇帝の命には逆らえない。
「官僚が足りないのは事実だろう。お前ならば、その穴を埋めることをたやすいとわかっている。その方がお前にとって良いのではないかとも思う」
もともと官僚だったのだからな、とローレンツはシグリの頬を撫でて微苦笑を浮かべた。それでもシグリはローレンツを主だと思っているし、当然、これからもそうであると思っていた。
「……お側を、離れたくはありません」
どこか憮然としたような彼女らしからぬ声音に、ローレンツは思わず笑みを浮かべた。
「では、俺の妻になるか」
「え?」
シグリの切れ長気味の目が見開かれる。ローレンツは彼女の顎に指をかけ、少し持ち上げる。
「妻になれば、ずっとそばにいられるぞ。俺が見出した優秀な可愛い部下を取り上げられるんだ。それくらいのわがままは許されるだろう?」
まるでシグリがうなずかないはずがない、と言わんばかりの様子だった。そして、シグリは確かに、迷うだろうけど、拒否することはないだろう。
「……強引でございますね」
「そうか? 一度ならずと考えたことだ。まあこれまでは幕僚として手放しがたかったから口説きづらかったが、俺の手元を離れるのならな。遠慮なく口説き落とせるというものだ」
「まあ……」
シグリは思わず笑った。
「どれくらいじらせばよろしいのでしょう?」
「今すぐにでもうなずいてほしいくらいだ」
ヴェルナー大公夫妻が軍事を掌握する日は近い。
「みなさーん」
宮殿内で手を振られるという経験はなかなかないが、エーリックは気にしないようだった。宮殿というか、正確には元帥府である。王宮内よりは密談に向いている。
「お待たせしました」
エーリックは一人の女性を連れていた。なんとなく面差しがシグリと似ている、二十代半ばほどの女性だ。
「シグリ姉さんの二番目の姉上で、カヤさんです」
「初めましてかな。カヤ・カウニッツという。どうぞよろしくね」
まともに見える。見た目は。イルムヒルデたちはカウニッツ四姉妹全員に会ったことがあるが、カヤとシグリが一番良く似ていた。ここはそのシグリの執務室であるが、本人はいない。場所だけ提供して引き継ぎに行ってしまったのだ。
結局、シグリは軍務省長官になる件を受け入れた。長官を受け入れるということは、爵位も受け入れなければならない。彼女はもうすぐ伯爵になるということだ。
さらに、ローレンツが結婚することになった。お相手はこれまたシグリで、彼らを知っている人間からしたら収まるところに収まった、という感じである。
何が言いたいかというと、シグリは今、超絶忙しいのである。
「声掛けたらにっこり嫌味を言われちゃった。珍しいこともあるものね~」
それを笑顔で言えるカヤがすごい。
「ええっと。妹の結婚式に出るためにやってきた……というわけではないですよね?」
マティアスが尋ねた。結婚する、と言っても、式自体はだいぶ先である。双方ともに身分が高いために余計に時間がかかるのだ。軍人上がりの当の本人たちは、年齢のこともあって、盛大にするだけ無駄なのでは、などと言っているらしいが。
「もちろんよ。ライヒシュタイン辺境伯家のことをシグリに聞いていたからね。一応、お話しした方がいいのかしらって思って」
もともと帰ってくる気はあったらしい。そのついでなのだそうだ。
「私は『旧き友』の一人。『旧き友』は三百年近い時を生きる。フリューアが帝国に組み込まれたときのことを知っている人がいるんじゃないかと思って、探してきたの。『秘宝』のこと」
そして、見つけたのだ。カヤは。イルムヒルデはまじまじと彼女の空色の瞳を見た。
「さて、ライヒシュタイン辺境伯。話を聞く?」
「……」
イルムヒルデは少し考えた。彼女が持ってきたのは、なぜ『秘宝』が生まれるに至ったか、それが本当はどういうものなのか、ということだ。
「……一つだけ教えてください。『秘宝』は、今のままでも問題ないのですか?」
「そうねぇ。本来の力は発揮できないわね。けれど、所有者やその周囲に害を及ぼすかという意味なら、その心配はないわね」
はっきりと言い切ったカヤに、イルムヒルデは「そうですか」とうなずいた。
「なら、聞かなくていいです。かつてはともかく、今、フリューアは帝国の一部です。きっと、これからもそうでしょう。それに、なぜこの『秘宝』が生まれたかなんて、きっと、ろくな理由からではないのでしょう」
必ず後継ぎが引き継げ、というのがライヒシュタイン辺境伯家の言い伝えだった。しかし、まだ年端も行かない子供に、魔法陣を刻むなど、まっとうな人間がやることではないと思う。だから、聞かなくていい。
「……そうか。そうね」
カヤはうなずいて微笑むと、立ち上がった。
「さて、フィリベルト。エルナ姉様に挨拶させてよ」
「母上に? ……いいですけど」
この強引さに、カヤと初対面のフィリベルトは戸惑う。血縁上は叔母にあたるし、年齢も母より少し下くらいなのだろうが、見た目で年齢が測れない……。
「ああ、では、イルも一緒に連れて行ってはどうです?」
ハイルヴィヒがイルムヒルデの背を押した。え、とイルムヒルデは声を上げる。
「なんでですか」
「え、付き合っているのではありませんの?」
ハイルヴィヒとてそんな事実はないことは知っている。しかし、ちょっと背中を押したくなるのだ。もどかしくて。
「あはー! なるほど! 腹をくくりなよ。シグリみたいになっちゃうわよ!」
楽し気にカヤが言うと、イルムヒルデは頬を染めてフィリベルトを見上げた。フィリベルトは驚いた表情でイルムヒルデを見ている。マティアスは「そのまま押しの一手だ」と心の中でフィリベルトに声援を送る。そうなれば、労せず二人の部下が手に入る。
「……とりあえず、シグリ叔母上がカヤ叔母上にキレる気持ちは分かった」
長い沈黙の後、フィリベルトはそう述べたそうな。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
これで、『アルカディアは見えない』は完結となります。本当に見えなかった!
超絶忙しいのに話しかけられてキレるシグリさんとか、めちゃくちゃ妹に心配されるイルムヒルデとかも書きたい気がしますが、今回はこの辺で。
ありがとうございました!




