【27】
新学期になり、イルムヒルデたちは高等部三年生になった。最終学年である。途絶えていたライヒシュタイン辺境伯位を継いだイルムヒルデは、一躍時の人となっていた。あからさまに媚を売ってくるような生徒もいたが、イルムヒルデの警戒心が強いことと、ハイルヴィヒとアレクシアが一緒にいることでなんとなく回避できている。むしろ。
「カティ、大丈夫?」
イルムヒルデが爵位を継いだ衝撃のほうが強く、半分忘れられているが、アイクラー公爵が逮捕されている。ライヒシュタイン辺境伯となったイルムヒルデとその実妹シャルロッテはともかく、アイクラー公爵夫妻の実子であるカテリーナには少々つらい状況である。一応、この学院は身分ではなく実力主義をうたっている。大貴族の子息だろうが、実力が足りなければ容赦なく切られるし、平民であっても能力があれば入学できることがある。カテリーナがアイクラー公爵家の人間であることは変わりがないし、今は辺境伯の庇護下、ひいてはヴェルナー大公の保護下にあるので、退学になるようなことはなかったが、いろいろと言われるのは仕方がない。
「大丈夫……とは言わないけど、気になるほどではないわ。嫌味を言ってくる相手なんて、しょせん大したことないもの」
「……強い……」
自分よりしっかりしているのではないか、と思うイルムヒルデである。
おそらく、アイクラー公爵家は公爵位をはく奪される。侯爵となるだろうが、それでも継ぐ、とカテリーナは言うのだ。おそらく、爵位を継いだところで周囲から非難されるだろう。彼女に非はないというのに。
「私はお姉様のほうが心配よ。まあ、お姉様は警戒心が強いからしばらくは大丈夫だとは思うけど? 近づいてくる男には注意! よ」
「え、うん……」
最近ハイルヴィヒにも同じようなことを言われたイルムヒルデは。ちょっと引き気味に言った。そもそも、男性恐怖症が治っていないイルムヒルデは、容易に男に近づく気はない。
「何かあったら言ってね、と言ってもカティは言ってくれないだろうから、本当に困ったら誰でもいいから頼るんだよ」
「あはは。お姉様に言われたらおしまいね」
確かに。妹に突っ込まれて、イルムヒルデは肩をすくめた。
「ま、本当に大したことないのよ。担当学年は違うけど、シグリ先生がいろいろと暗躍してるみたいだし」
「ああ……うん。いろいろと納得した」
国から派遣されてきた形になる社会科担当の教員シグリは、同姓同名の別人ではなく、元帥ローレンツの幕僚長をしていたシグリだ。本当に上官と引き離されてしまったらしい。それでも、しっかり仕事はこなしている。正直、イルムヒルデにとっても近くに彼女がいるのはありがたい。安心する。
「そういえばお姉様。話が変わるけど、秘宝の噂、知ってる?」
「え?」
知らなかったので、自分は本当に友達がいないのだな、と思ったイルムヒルデである。
一方、暗躍していると言われたシグリであるが、こちらもこちらで少々問題が起きていた。
「あの、シグリ」
「はい? なんでしょう、オスカー先生」
「……」
声をかけてきた男性職員はシグリの返答に口ごもった。すらりとした細身の優男。栗毛に紫の瞳の端正な顔立ちの数理学の教師である。そして、シグリの元夫でもある。名をオスカー・フォン・アメルハウザーという。侯爵家の子息だ。彼もたまたま今年度から補充の教師として赴任していた。この、たまたま、というあたりが気になるシグリだが、そのあたりは帝都にいるローレンツたちに調べてもらうことにした。
「用がないなら、授業の準備があるので」
そう言うと、オスカーは「そ、そうだな」と引き下がった。離婚した元妻に何やら言いたいことがあるようだが、言えずにいる。ちなみに、シグリは言うことなどない。もう終わったことだ。
「では」
軽く頭を下げて、シグリは本当に授業の準備に向かう。使用する教室では、この度高等部一年生になったエーリックが待ち構えていた。
「シグリ姉さん」
「エーリック。何かあったのか」
エーリックはよくシグリを姉さん、と呼ぶが、ここでは教師と生徒の立場である。彼はちゃんと人がいるときは『先生』と呼ぶので大目に見ているが。
「まあ何かあるのは姉さんの方だと思いますけど」
「オスカーのことか」
「ちなみに、向こうは未練があるみたいですけど、姉さんは?」
「ないな」
即答するとエーリックは笑って「ですよね」と言った。
「僕としては、姉さんとローレンツ様のほうがお似合いだと思いますね」
「エーリックはしばらく一緒に暮らしたことがあるから、そう思うのかもしれないな」
幼いエーリックを、ローレンツともに面倒を見たことがあるのだ。その経験から、エーリックがそのように感じても無理はない。
「そんな話をしに来たわけではないのだろう?」
尋ねると、「そうですけど」とちょっと不服そうだ。しかしすぐに気を取り直す。
「姉さん、秘宝の話って知ってます?」
「秘宝? いや……少なくとも、先生の間では話題になっていないと思う。私が聞いていないだけかもしれないが」
どうしても、国から皇帝の勅命として派遣されてきたシグリは、教師陣の中でも浮く。世間話くらいの小さな話題なら、彼女に回ってこない可能性は高い。
「じゃあまだ生徒の間でしか広がっていない可能性もありますね。眉唾物だと思うのですが」
十五歳の少年に気を使われたのがわかって、シグリは苦笑を浮かべた。否定せずにうなずいて話を聞くことにする。
「何でもライヒシュタイン辺境伯家に関わるらしくて。誰でも、どんな魔法でも使えるようになる。そんな秘宝があるそうです」
「……やたらと漠然としているね……」
ですよねぇ、とエーリック。
「今、発生源を調べていますけど、もう少しかかりそうです」
「危ないことはしないように。私も探ってみよう。期待はできないが」
明らかに国の回し者であるシグリに、そう簡単に話してくれるとは思えない。
「むしろ、姉さんやローレンツ様が何かしらないかなと思ったんですが」
エーリックがそう思うのも無理ない。先代のライヒシュタイン辺境伯が亡くなったとき、シグリとローレンツはその場所で戦っていた。何か聞いていなかったか、というのなら答えは否だ。
「残念ながら、知らないな。私も噂程度にしか知らない」
おそらく、時系列的に考えて、生きている前ライヒシュタイン辺境伯夫妻に最後に会ったのはシグリだ。しかし、それだけである。彼女はフリューア戦役の後半になって補充された軍官僚だったし、当時は下級の文官でしかなかった。たまたまローレンツの目に留まって行動を共にしていたが、だからこそ、最終的には前ライヒシュタイン辺境伯からは離れていた。
「五年前なら、イルムヒルデは十二歳か……話を聞いているか、微妙なところだ」
それに、イルムヒルデが何か知っているのなら、マティアスが、というか、ハイルヴィヒあたりが聞きだしてくれる気がする。ただ。
「……イルムヒルデがライヒシュタイン辺境伯位を継いだことで生じた噂には違いないだろうな……」
「ですよねぇ。だって、夏休み前まで影も形もなかった噂ですから」
エーリックも苦笑気味だ。わかりやすすぎる。わかりやすすぎることに意味があるのか、本当にそういうものがあるのか。さすがに判別がつかなかった。
授業が始まるので、エーリックも授業を受けに戻って行った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シグリの元夫、オスカーさん。




