【26】
「初めまして。リーザ・フォン・カウニッツと申します。以後お見知りおきを」
「お、お初お目にかかります。イルムヒルデ・フォン・アイクラー……ではなく、ライヒシュタインと申します。よろしくお願いいたします」
まだ慣れない名を口にし、イルムヒルデはその人に礼をとる。リーザと名乗ったカウニッツ女侯爵は一つうなずいた。
「所作はいいでしょう。もう少し、自信があるようにふるまえるといいわね」
「ぜ、善処します」
緊張して表情も声も堅い自覚のあるイルムヒルデだ。ポーカーフェイスではあるが、朗らかなシグリとは違い、リーザは少し厳しいような印象を受ける。無表情だ。無表情。表情筋が仕事を放棄している。でも、どこかで見たことのある顔だ、と思ったら、フィリベルトに似ているようだった。彼のほうがまだしも表情豊かに見える。
リーザがシグリの屋敷を訪れたのは、シグリが呼んだからだ。リーザはイルムヒルデと同じく、女性の身で爵位を持っている。彼女から学べることは多いだろう、と。
ただ、事前忠告として、ちょっと変わった人だ、と言われていた。シグリは自分も変わっている自覚があるそうだが、彼女を押して変人であるらしい。だがまあ、単純に話しているだけならそれほど気にはならないだろうともいわれた。
「十七歳で辺境伯か。私ですら、爵位を継いだ時二十歳だったわ。若いわね」
難しいわよ、と言われているようで、イルムヒルデは青ざめる。それを見てさすがにリーザも気の毒になったらしかった。
「……ま、研究者肌の私で何とかなっているんだから、あなたも大丈夫でしょう。シグリが官僚としての才覚があると言っていたから、私より向いているかもしれないわ」
「そんなことはないと思うんですが……」
ぺしっと額を叩かれた。痛くはなかったが、額を押さえる。
「私の妹は変人だが、見る目は確かよ。あの子ができるというのなら、あなたにはできるのよ」
「……」
その評価はありがたいが、リーザも妹のことを変人だと思っているのだな、と思った。何といえばいいのだろう。シグリは不思議だ。ちゃんとしているように見えるのに、総じてみるとどこかしらおかしいのだ。
「時間はないけど、最低限のことは教えておく。ほかはまあ、シグリにでも聞くのね」
そういうリーザに、イルムヒルデは首をかしげる。
「私、二週間後には学校に戻るんですが……」
「だから……ああ、知らないのね」
「えっと、何を、ですか?」
イルムヒルデが尋ねると、リーザはこともなげに言った。
「シグリは、来学期から学院の教師として配属されるの。私が許可を出したわ」
そうか。シグリは身分上はカウニッツ侯爵家の人間だから、当主であるリーザにも話を通されたのだろう。そして、そちらに話を通されてはいるが、シグリは知らない可能性がある。
「ええっ」
そのころ。そのシグリである。彼女は直属の上司であるローレンツに出向を言い渡されていた。
「納得できません。私の身は軍部預かりのはず。いくら皇帝陛下のご命令でも、その領分は越えられないはずです」
帝国は皇帝が君臨する帝政国家ではあるが、法律はしっかりしていると思う。その法に基づくのであれば、皇帝はシグリを学校の教員として出向になどさせられないはずだ。彼女が軍人である限り。
「いや、まあ、そうなんだが」
ローレンツもどう説得したものか、と悩んでいた。シグリの言うことは、おおむね、正しいのだ。彼女を説得するのが最も難関だとわかってはいた。おそらく、最終的には勅命であるためにうなずくだろうが、とりあえず理由は提示せねばなるまい。
「まず、お前には法学を教えてほしいそうだ。どちらかというと社会学らしいが、その辺は実際に赴任した時に話し合ってくれ」
「まだ行くとは言っておりません」
ここで素直にうなずいてくれるようなら、こんなに苦労はしない。いや、優秀な幕僚なのだ。本当に。手放したくない。なんでうちの幕僚長を持って逝こうとするのだろう、叔父は! と皇帝相手にちょっと喧嘩を売りたくなるローレンツだ。
「……東がまた、騒がしいのはわかっているな?」
「もちろんです」
むしろ、その報告を持ってきたのはシグリだ。彼女の仕事には、各地の情報を集めて、現状を読み解くことも含まれる。
「そして今は、新しく東の国境に領地をもつライヒシュタイン辺境伯がいる」
「イルムヒルデですね。確かに、わたくしが敵であれば、まず辺境伯を人質に取ろうと考えますね。しかし、今の彼女には実績がない。それを警護しろというのは、いささか行き過ぎだと思われますが?」
シグリは基本的に温和で心優しい女性である。しかし、同時に冷酷な戦術家でもある。この二つが同時に存在しているのだ。おそらく、前者の方が割合が多いのだろうが。
「それだけならな。だが、学校側……おそらく、教職員側に他国との内通者がいる。もともと、あの総合学校は貴族の子息の多い学校だ。間諜が紛れ込んでいても不思議ではない」
「……それを、暴き出せと? むしろ、帝都内のスパイを割り出せと言われる方が腑に落ちるのですが」
「それはクラウスがやる」
「……そうですね」
とりあえず、説得できそうでローレンツはほっとした。
「学校は一種の治外法権だ。機転が利き、なおかつ自分の身を護れる人間として、お前を指名したそうだ……」
「なるほど。理解はしました。納得はできませんが」
まったくもって納得できない。今の立場を気に入っているので、引き離さないでほしいシグリだった。
「まあ、マティアスもいるし、エーリックも高等部に上がるだろう。そちらは心配ないと思うが……?」
うかがうようにシグリを見る。ローレンツの向かい側に座るシグリは珍しく渋い表情だ。
「シグリ」
穏やかに呼びかけると、彼女は首を傾げた。
「出向扱いなのですよね? 期間限定なのですよね」
「ああ。長くても一年だな」
「……わかりました。戻ってこられるのでしたら、お引き受けます」
ローレンツはほっとすると同時に、残念な思いがした。少なくとも半年はシグリと引き離されることになる。
「仕事はできる限り引き継いでいきます。体制は整えてありますが……」
実際に稼働したことはないので、どうなるかわからない。シグリは、自分がいなくても仕事が回るように幕僚たちを鍛えている。それが試される時だ。
「わかった。そのあたりは心配していない。俺もある程度は差配できると思う」
そもそも、シグリを拾う前は自分でしていたのだ。彼女がとても優秀なため、最近はほぼ丸投げだったが、ローレンツもできないわけではない。たぶん。
「乗り掛かった舟ですから、ライヒシュタイン辺境伯のことも何とかいたしましょう……そういえば、アイクラー公爵家のことはよろしいのですか?」
「うん? ああ……アイクラー公爵もその息子も捕まっているからな」
「あの状態では、爵位を放棄することで恩赦を得ることになるでしょう。マリーナの方は修道院に入っておりますし、爵位を継ぐならカテリーナになりますが……」
「まだ爵位は継げないな」
「ええ。今十三歳ですから、二年は待たないと。ただ、本人に継ぐ意思はあるようです」
シグリはすでにカテリーナの意思を確認している。アイクラー公爵が捕まり、イルムヒルデが辺境伯位を継ぐことを決めた時点で、クラウディア皇女が預かっている二人の身の振り方も変える必要があった。
その際にヒアリングを行ったのがシグリである。ローレンツがイルムヒルデの後見を行う以上、彼は彼女の妹二人のことも考えなければならない。そして、実の妹であるシャルロッテはともかく、カテリーナの立場は微妙だった。カテリーナは、正確にはアイクラー公爵家の末子にあたるからだ。
「状況としては、五年前のイルムヒルデとほぼ同じですね」
「それで、本人に継ぐ意思があるのか……なら、イルムヒルデの保護下に置けばいい」
「イルムヒルデというか、ローレンツ様の保護下ですね」
「……」
本当のことを言っているのだが、だからこそシグリの一言が鋭い。切れ味抜群だ。
「私もフォローしますので、頑張りましょう。まあ、これから学校に赴任しますが」
「ああ……実は怒っているな?」
ローレンツの問いかけに、シグリは「どうでしょうか」と微笑んだが、たぶんこれは怒っていると思うローレンツだった。
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