【19】
兄とその部下、そして近衛師団長のやり取りを見ていたコルネリアがふと声を上げた。
「でも、アイクラー公爵家の皆様が身に着けているもの、どれも一級品よ。ねえ?」
とコルネリアがシグリに同意を求めるが、彼女は困って微笑んだ。
「そういったことはよくわからないのですが……少なくとも、身につけられている石は本物ですね」
ドレスの良し悪しはよくわからないが、宝玉の鑑定はできるシグリである。最も、シグリはアイクラー公爵家には近づいていないので、遠めに確認する程度であるが、彼女にはそれで十分だ。
「わたくしが話しかけてもいいのですが」
「おそらく、彼らはあなたのようなタイプは嫌いだろうな」
クラウスがバッサリと切り捨てた。シグリもですよね、と苦笑。シグリも昔ながらの考え方をする貴族たちから、自分が受けが悪い、ということは理解している。コルネリアのように好意的なほうが珍しいのだ。
「……見る目がないな」
「見る目がないから現状なのでしょう?」
ローレンツとコルネリアである。いまだに肩を抱かれたままのシグリはローレンツを見上げた。
「見る目がないかはともかく、やはり、経済状況に対して身につける品が不自然です。金銭の流れを確認すれば、はっきりしたことはわかるでしょうが」
「職務範囲外だという割にはやる気だな」
「案外私もお人よしのようですね」
顔を見合わせて笑いあう二人を見て、クラウスがため息をついた。
「長居してしまったな。殿下の元へ戻る。幕僚長、もう一人になるな」
「はい。ありがとうございました」
クラウスには護衛の仕事がある。ほかにも兵はいるだろうが、いつまでも放り出すわけにはいかない。すっと人ごみに紛れて消えた。
「……わたくしも。そろそろ戻ります。お兄様とお姉様はゆっくりなさってね。何なら部屋も用意するわ」
「いや、好意だけ受け取っておこう」
コルネリアに対しローレンツは苦笑して答えた。コルネリアは残念そうにうなずき、夫の元へ戻って行く。シグリたちも移動することにした。まっすぐホールを出る。
「マティアスの野望は前途多難なようだな」
「そうでしょうか? 案外すんなりと解決するかもしれません」
しれっとしてそんなことを言う自分の部下を、ローレンツは少し驚いて見つめた。
「……お前が思っているより、貴族社会はややこしいぞ」
「それは、すべて含めて考えてしまうからです。複雑に考えてしまうから難しい。なら、簡単に考え直してしまえばよいのです」
参謀を兼ねるシグリの言葉に、ローレンツはうなる。確かに、ローレンツたちは貴族社会になじみすぎているから当然のように考えてしまうが、シグリはそんなものは切り離してしまえ、という。おそらく、彼女は法を守る執政官としてかなり優秀なのだろう。
ふと会話が途切れた時、近くで物音が聞こえた。庭の方からだ。このあたりの廊下は人気が少ない。ホールから少し離れているのだ。庭と出入りするための大きな窓はあるが、閉じられている。顔を見合わせた二人は、窓からそっと外をのぞいた。
「……男女二人連れのようですね。二人とも二十歳ばかりでしょうか」
シグリがそういうのであれば、そうなのだろう。ローレンツにも生垣の側に二人の影があるのは見て取れたが、何分暗すぎるのでそれだけしかわからない。
「男の方はアイクラー公爵の嫡男ですね」
「なに」
思わず目をすがめて眺めたが、やっぱり見えなかった。そして、見えているシグリにも会話までは聞こえない。
「女性のほうは嫌がっているようですが、よくわかりません。二人きりでここまでくるということは、合意の上だとは思うのですが」
そんなことを言うシグリを、ローレンツは見下ろした。きれいに結い上げた髪、その下の細い首。今の自分の言葉が、自分にも当てはまるとシグリは気づいてはおるまい。
もやもやとするローレンツの意識を覚まさせるように、シグリは「あ!」と鋭い声を上げた。
「女性が殴られました!」
今にも飛び出していきそうなシグリを押さえつける。
「落ち着け。今出ていって警戒されたくない」
「ですが」
すがるような目で見られてローレンツはうっと詰まったが、首を左右に振った。
「アイクラー公爵子息に暴行癖があることはわかっていたはずだ。娘の特徴を覚えておいてくれ。後で調べよう」
「……承知しました」
ローレンツの言いたいことをシグリも理解できたのだろう。彼女はうなずいたが、釈然としない様子だ。そんな彼女を壁に押し付ける。
「閣下!?」
突然身動きができないように封じられ、シグリが驚いた声を上げる。ローレンツはしぐさで静かにするように伝える。背中を壁に押し付けたシグリに身を近づけ、壁に腕をついて顔が見えないように隠す。顔を近づければ、キスをしているように見えただろう……やってきた少女たちには。華やかな彼女らは小さく声を上げて逃げて行った。
それを見送り、ローレンツは息をつくとシグリから身を放した。
「すまん。近づいてくるのはわかったんだが、言い訳を考えるのが難しくてな」
シグリに相談する暇もなかった。古来、男女の逢引きが言い逃れに一番効くのである。今回も三・四人の少女たちだったが、ちゃんと効いた。
反応がないシグリをいぶかしんでローレンツが視線を落とすと、シグリは顔を両手で覆っていた。その手の隙間から覗く顔が赤い。
「……シグリ?」
「……驚きました」
顔を覗き込むようにすると、シグリはそろそろと手を下した。頬が赤らみ、アイスブルーの瞳はうるんでいる。そのどこか艶めいた表情に、ローレンツは思わず息をのんだ。いや、自分の行動に驚いた反動だとはわかっているのだが。
「すみません、こんな……」
うぶな少女のような反応をしてしまったことに、シグリ自身も驚いていた。ローレンツと密着することは初めてではない。戦場でかばわれたことだってある。何なら、シグリには婚姻歴があるのでそういうことも初めてではない。
なのに、ここが夜会の会場であって戦場ではなく、軍服ではなくドレスや礼服をまとっているのだ、という事実にうろたえてしまった。
「すぐに落ち着きますので……」
「シグリ」
頬に大きな手が触れ、上を向かされた。まっすぐ目と目が合う。ローレンツの行為に激しく動揺したシグリであるが、それで、思い出した。
「あ、彼らは!?」
自分たちがのぞきのような行動をしていた原因を思い出し、窓の外に意識を向けたが、彼らはもういなかった。
「彼女、無事に戻れたでしょうか」
「戻ってこなければ騒ぎになることくらいはあの男もわかっているだろう。しかし……」
シグリを見下ろしたローレンツは低い声で言った。
「わざとだったら、流石に恨むぞ」
むしろ残念がっているようなその声音に、シグリも「申し訳ありません」としか答えられなかった。話をそらした自覚はあった。
イルムヒルデの兄ゲラルトが暴行を加えていた少女は男爵家の出で、公爵子息であるゲラルトの誘いを断り切れなかったようだ。手籠めにしようとしたところを反抗され、手を挙げたようで叩かれたところは痣になっていたようだ。最も、令嬢は転んだと言い張ったようだが。
コルネリアは自分の主催する夜会でそのような事件が起こったことに憤慨した。
「信じられない! 次はないわ!」
とのことである。彼女なら本当に警備を強化しそうだ。
「ゲラルト・フォン・アイクラーは名門寄宿学校に通ういわゆるエリートだ。プライドが高く、短気。成績はそれなり。まあ、イルムヒルデがいなければ優秀だ、と言われただろうな」
「典型的な力に訴えるタイプですね……」
イルムヒルデに頭で勝てないため、唯一勝てるであろう腕力に物を言わせたのだ。イルムヒルデのおびえようを思い出せば、かなりの暴力を加えたのだろう。父親も加担していたかもしれない。
「どこにでも下種な輩はいるものですね」
基本的に品の良いシグリから飛び出してきた言葉に驚きつつ、ローレンツは尋ねた。
「お前の前夫も下種な輩だったのか」
シグリは少し考えて首を左右に振った。
「いえ。不誠実ではありましたが」
そうか、とローレンツ。シグリの離婚の原因は彼女が夫を叩いたことであるが、彼女が夫を叩いた理由は、夫の浮気に原因があると聞いていた。そもそも、簡単に手を上げるような女性ではない。
こちらもなかなか根深そうだな、とローレンツは書類を裁くシグリの横画を眺めながら思った。
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