【12】
フィリベルトは宮殿に来ていた。学友であるマティアスに呼び出されたのだ。彼の皇子としての執務室に入るのは初めてではない。そこに、同じく同級生のハーラルトがいることもいつものことだ。
「やあ。久しぶり、というほどでもないけど」
気さくにマティアスが挨拶をした。ハーラルトは相変わらずマティアスの背後に控えている。側近兼護衛代わりなのだ。
「失礼いたします」
フィリベルトも挨拶を返す。侍従がお茶を出し、彼が部屋を出るのを待ってからマティアスは口を開いた。
「イルムヒルデの様子はどう?」
それを自分に聞くのか、と思いつつ、フィリベルトは口を開いた。
「自分が見る限りは元気そうでしたが……先日は妹たちに会えて喜んでいました」
「ああ、クラウディアのところにいる子たちだね。ディアも同じくらいの年の子が来て喜んでいた」
イルムヒルデの妹二人は、第二皇女クラウディアのもとに預けられている。マティアスもそういうのであれば、妹たちは問題なさそうである。
「あれくらいの年なら行儀見習いで通るけど、イルムヒルデはなぁ。召し上げるにしても相応の理由がいるし、ただ召し上げるだけじゃ女官が精いっぱいだ」
もし、イルムヒルデを宮殿に召し上げるとすれば、皇妃の女官、ということになるだろう。それではマティアスの狙いは達成できない。だからこそフィリベルトは叔母に預けたのであるし、そのあたりも彼女は心得ているだろう。それに、イルムヒルデ一人が召し上げられると、もう一人残ったアイクラー公爵夫妻の実の娘も召し上げろ、ということになりかねない。この、イルムヒルデより一つ年下の娘は性格が悪いのだ。
「まあ、それはいいんだ。それより、僕もイルムヒルデに会いたいんだけど、取り計らえる?」
「……私がですか?」
「うん。そう」
こともなげにうなずいて見せたマティアスに、フィリベルトは言う。
「直接、叔母に頼んだ方がよいのではありませんか。イルムヒルデのことも、叔母のほうが詳しいと思うのですが」
「まあそうなんだけど」
マティアスはそう言って笑う。
「あまり頻繁に幕僚長に会うと、怪しまれてしまう。それに、ローレンツに恨まれてしまうからね」
「……元帥閣下に、ですか?」
怪しまれる、というのは理解できないでもないが、後半はよくわからなかった。マティアスは「何でもないよ」と笑う。フィリベルトはハーラルトを見上げたが、彼も肩をすくめるばかりだ。わからないらしい。
「まあ、なんにせよ、フィリを経由した方が事が荒立たない。イルムヒルデを保護したのは君なんだからね」
「……確かに、そうですね」
それは認める。イルムヒルデを保護したのはフィリベルトで、フィリベルトはシグリの甥にあたる。交流があるのは当然なので、彼が手配するほうが自然ではある。
「まあ、話はしてみますが……」
フィリベルトはシグリの日常の行動パターンを思い出す。基本的に、彼女は元帥府に詰めている。一応毎日官邸には帰るのだが、その時間は一定ではないし、泊まり込むこともないわけではない。となると、やはり宮殿で捕まえた方が早い気がする。
どう考えても、フィリベルト一人では元帥府に入れない。いや、入れてくれるだろうが、手続きがあるだろう。そうなると、やはり官邸で捕まえたほうがよいのだろうか。
「……今から一緒に元帥府に行きませんか」
思わずそう言ってしまったフィリベルトの言葉にも、一理ある。マティアスが一緒なら、必ず元帥府に入れるからだ。
その元帥府である。元帥の執務室で、ローレンツはソファに横たわっていた。背の高いローレンツでは体が収まりきらないが、気にしない。
「南部の状況がよくありませんね」
「ああ。国務長官に嫌味を言われたな」
まあ、と笑い声が上がった。
「ローレンツ様のせいではありませんでしょうに」
地方には地方の自警団のようなものがある。それらで抑えきれなかったために、国軍から一旅団を派遣した。実際に手配したのはこの女性、シグリである。ローレンツは緩く波打つ彼女の髪に指を絡めた。
「どう思う」
「いっそのこと一軍を派遣してしまいたいほどですが。しかし、そもそも地方法に問題がある気も致しますね」
「ほう」
うなずきながら、ローレンツはシグリの手を取った。さすがのシグリも、ねめつけるようにローレンツを見下ろした。
「閣下。私に仕事をしてほしいのか、してほしくないのか、どちらです?」
ローレンツは下から手を伸ばし、シグリの頬に触れた。
「怒っても美人だぞ」
「閣下」
これは怒ったというよりあきれている。シグリの膝枕に寝ころんだまま、ローレンツは口を開いた。
「お前の言う通りだ。いくら力で押さえつけたとしても、政治体系が整備されていなければ根本的な解決にはならない。国から役人は派遣されるが、領地というのはおおむねその土地の領主によって運営されるものだからな」
つまり、その土地を修める領主がどうしようもなければ、どうしようもないということだ。今回の件もそういうことである。
「いっそのこと、領主を挿げ替えてしまうか」
「それはそれで反発がありそうですが」
シグリも、いっそのこと収拾不可能になり、国軍を一斉にだし、鎮圧して領主の責任を問えばいい、とも思った。しかし、そう簡単にはいかないこともわかっている。
「我々は、官僚ではありませんから」
ローレンツは皇帝の甥であるが、軍人であり官僚ではない。シグリだってそうだ。軍人は官僚の領域を犯すべきではない、シグリはそう思っている。逆もまたしかりであるが。
おそらく、ローレンツが言えばそれはまかり通る。彼は大公であり、皇帝の甥だからだ。しかし、そういうのを権力の乱用というのではないかとシグリは思う。シグリがいい顔をしないから、ローレンツもやろうとはしないだろう。
「ではやはり、地道にやるしかないな。一軍を派遣するとして、議会を通るか?」
「自分で言っておいてなんですが、通らないでしょうね」
「だろうな」
ローレンツがため息をついたとき、シグリがふと視線を扉の方に向けた。
「お客様のようですよ、ローレンツ様」
ローレンツは身を起こし、ソファに座りなおす。対してシグリは立ち上がった。彼女が言うのなら、本当に客人なのだろう。しばらくして、ノックがあった。ローレンツの返事を待たずにシグリはドアを開く。
「あ、幕僚長。マティアス様がお越しで、その」
「ああ、入ってもらえ」
戸惑った様子の幕僚にそう声をかけたのはローレンツだ。その幕僚は明らかにほっとした様子で「はい」とその場を退いた。シグリが大きくドアを開く。
「こんにちは、幕僚長」
「はい。マティアス様も、ご機嫌麗しく」
型通りの挨拶をして、マティアスを通す。そのあとに続いたのがハーラルトだけではなく、甥のフィリベルトも一緒だったことに驚いたが、表には出さずに、幕僚に命じた。
「誰も入れるな。閣下に用がある場合は私を呼び出してくれ」
「わかりました」
幕僚がうなずいたのを見てからドアを閉める。軽く髪を束ねてお茶を入れ始めた。マティアスは背後に控えたハーラルトを振り返る。
「手伝っておいで」
「お、俺ですか!?」
明らかにうろたえたハーラルトは、給仕などしたことがない。むしろ、しようとしてもみんなから嫌がられる。それを知っているフィリベルトは代わりにとばかりに立ち上がった。
「では私が」
止めようと口を開きかけたマティアスだが、結局それが一番早いだろうと思いいたったらしく、結局口を閉ざした。
「いい友人だな」
「本当は僕がしてもいいんだけど、みんなにとめられるんだよねぇ」
「それは当然だ。お前は皇子なのだからな。まあ、俺も触らせてもらえないが」
そう言って肩をすくめたローレンツに、マティアスは笑顔の下で早く結婚しちゃえばいいのに、と思ったが、それは内緒だ。
「ローレンツも大公だからね」
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