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【13】











 用があったのはローレンツにではなくシグリにだったが、彼はこのままでよい、と言った。元帥の執務室だったが、一緒に聞く気のようだ。


「お前たちが来るのなら、ライヒシュタインの息女のことだろう」

「まあね」


 ローレンツの言葉にうなずいたきり、マティアスはフィリベルトに交渉を任せた。身内である分、交渉はしやすいはずだ。いや、むしろしにくいのだろうか。


「……殿下が、イルムヒルデと会いたいとおっしゃっている」


 フィリベルトの言葉に、シグリは「ほう」とほほ笑んで首を傾げた。フィリベルトはその優し気な笑みに、むしろドキリと緊張する。

「……ただ、殿下に伯母上の屋敷に行ってもらうのはまずいと思う……」

 シグリが一つうなずいたのを見て、フィリベルトは緊張しながら話を進める。

「なら、イルムヒルデに宮殿に来てもらうのもいいかと思うんだけど……」

 宮殿という場所は、密談には向かない。それに、イルムヒルデが人の多い場所に行きたがらないだろう、と思った。フィリベルトたちについて街に出ることもある彼女だが、人の多い場所はそもそも苦手なのだろうと思われた。

 宮殿には彼女の妹がいる。本来なら、面会を求めて上がれる場所だ。それだけの身分が、イルムヒルデにはある。

 だが、ここで問題になるのがアイクラー公爵夫妻だ。イルムヒルデを宮殿で見とがめられれば、なぜ、ということになりかねない。できればそれは避けたい。そのために、イルムヒルデと妹たちを引き合わせるとき、ハイドフェルト侯爵邸を選んだのではなかったか。


「うん。慎重すぎて、過ぎることはないだろう」


 シグリのその言葉で、フィリベルトの言葉はとりあえず及第点なのだ、と力が抜けた。シグリが目の前にケーキを置いてくれた。

「あとは、マティアス殿下とイルムヒルデを引き合わせる場所だな。どこを考えた?」

「殿下が来訪してもおかしくない場所……歌劇座とかも考えたけど、それよりはやっぱり、どこかの貴族の屋敷のほうがいいと思う」

「なるほど」

 シグリがうなずく。芝居を見に行く、などとなれば、公式予定に載ってしまうのだ。それよりも、マティアスがふらっと行ってもおかしくない場所。

「フォルバッハ公爵邸が、最有力候補だった。でも」

 フィリベルトは、面白そうに自分を見ている叔母の上官に向き直った。


「もし、大公閣下にご協力願えるのならば、ヴェルナー大公邸がいいのではないかと、思います」


 ローレンツはマティアスの従兄だ。交流はあるし、出入りしても不自然ではない。加えて、イルムヒルデを保護しているシグリはローレンツの部下。これも、屋敷を訪ねても不自然ではない。

「そうだな。私はかまわん」

「ありがとうございます」

 ほっとして、シグリを見た。彼女も眼鏡の奥の目を細めた。

「フィリも官僚になれそうだな」

「だって、フィリ」

 マティアスが期待する目でフィリベルトを見たが、今のところ、彼には官僚になる気がなかった。

「では、ヴェルナー大公邸をお貸しいただくということで。……巻き込んでしまいますが」

「今更だな」

 確認するようなシグリの言葉に、ローレンツはこだわりなくそう返した。シグリがイルムヒルデをかくまっていて、それをローレンツが知っている時点で、二人は一蓮托生なのだ。


 そこに、ノックがあった。シグリは立ち上がると、ドアを開く。

「どうした」

「ご歓談中、すみません。実は」

 顔をのぞかせた幕僚の言葉に、シグリは顔をしかめる。

「応接室でお待ちいただいているのですが」

「わかった。すぐ行く」

 そう言って一度ドアを閉めると、ローレンツたちに向き直った。

「どうやらお客様のようですので、少し行ってまいります」

「ああ、南部の件か」

「公爵が怒鳴り込んできたようです」

 失礼します、とするりとシグリは部屋を出た。それを見送ったフィリベルトたちだが、不意に声を上げたのはハーラルトだ。

「幕僚長、大丈夫なんですか?」

「大丈夫、とは?」

「怒鳴り込んできたって言ってましたけど」

「ああ」

 ローレンツはソファのひじ掛けに頬杖をつき、ハーラルトを見返した。


「問題ないだろう。すぐに戻ってくる」


 彼の幕僚長は、一見、理知的な官僚に見える。実際にそうだし、口調が柔らかく気性も穏やかなためにやわな人物だと誤解されやすい。だが。


「あれは怒らせると恐ろしいぞ。俺も先日、反省文を書かされたばかりだ」

「……反省文」


 絶句するハーラルトとフィリベルトだが、マティアスは爆笑した。

「反省文! 何それ読みたい!」

「断る。しかも、添削が入って返ってくるのだ」

「幕僚長、えげつない」

「というわけで、心配ご無用だ」

 まずおびえて萎縮するようなことはないだろう。手を出されても投げ飛ばすくらいの力量はあるし、そうでなくても誰かが付き添っているはずだ。実際、彼女はさほどかからずに戻ってきた。

「お待たせいたしました。……何か?」

「ううん。別に」

 きょとんとした顔は、怒らせると怖いようには見えなかった。














 イルムヒルデをヴェルナー大公邸に連れて行くことになったシグリだが、彼女はその前に大公邸を訪れることになった。

 彼女がこの屋敷を訪れるのは初めてではない。それどころか、一時期とはいえ暮らしたことさえある。現在イルムヒルデを預かるシグリは、当時の状況はローレンツにとってよろしくなかったのだろうなぁと苦笑する。

 大公位にふさわしい様相の屋敷に足を踏み入れたシグリは、既知の家政婦長がシグリを見て微笑む。


「お久しゅうございます、シグリ様」

「お久しぶりというほどでもないがね。……その、お世話になります」


 殊勝な物言いに、家政婦長は微笑んだ。

「ええ! みな、好きなだけ着飾らせて良いと言われて手ぐすね引いて待っておりますよ」

「……」

 明らかにシグリの顔が引きつった。それどころか明らかに一歩引いた。

 シグリはこれからローレンツに同行して夜会に参加することになっていたが、軍服ではまかりならぬ、と言われていた。確かに、諜報に近いことをするのだから、目立たないように周囲と同じようにした方がいいに決まっている。ローレンツはシグリに指示してドレスを作らせたが、本気で連れて行くつもりだったということだ。


 普段、装わないシグリの屋敷では身支度が難しい。なので、大公邸を訪れる事態になったわけだが。


「お任せください。帝国一の美女に仕上げて見せますとも!」


 それは全力で遠慮したい。引き気味のシグリを連れて、家政婦長は客間の一つに入った。自分はローレンツに報告しに行く、と言って出て言った。客間で準備していたメイドや侍女たちは嬉々としてシグリを囲む。

「どうしましょう? 髪は編み込みましょうか」

 ひとまずドレスを着せられ、そんなことを尋ねられるが、シグリとしてはお任せします、としか言いようがない。ただ、眼鏡をはずすので代わりになる魔法道具は身に着けた。彼女にとっては気休め程度のものだが、あるとないでは安心感が違う。

「仕上がったか。きれいだな」

 何時も美人だが、とそうしたお世辞くらいは言えるローレンツに、シグリは苦笑して礼を言った。

「ありがとうございます。遊ばれてしまった気もしますが」

「うちは女主人がいなくなって久しいからな……」

 ローレンツが大公位を継いだに合わせ、母は引退した父とともに領地へ下がっていた。妹も嫁ぎ、五年近くこの屋敷に女性の姿はなかった。……いや、正確には、一時期このシグリがいたことがあるが、ローレンツはその時、彼女を連れ歩くようなことはしなかった。そのために連れてきたわけではなかったし、社交界ではまだ彼女の評判が悪かった。

 今でもまだ、ささやかれていることがあるだろう。彼女が姿を見せれば人々は思い出すだろう。

「どうしました?」

 覗き込むようにシグリがローレンツを覗き込んだ。軍服の時はそんな仕草はしない。どうやら、装いに引きずられているようだ。ローレンツは首を左右に振る。

「何でもない。行くか」

「はい」

 怪訝そうにしながらも、シグリはローレンツの手を取った。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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