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友達

前回までのあらすじ。

成り行きで借りてしまった傘を返すため、絵奈は再び図書館を訪れる。はたして無事に傘を渡し終えるも、相手からお礼としてアイスを奢られることに。傘の女性は網代結麗という名前の、絵奈と同い年の子だった。そんな結麗から絵奈は、バイト先の喫茶店で一緒に宿題をしようと誘われる。

「おまたせ」

 私服に着替えた結麗つづりが、絵奈えなの席へとやって来た。

「あれ、もういいの?」

「うん、休憩しない代わりに早く上がらせてもらった」

 結麗は持って来た自分のランチセットをテーブルに置くと、鞄を下ろして絵奈の向かいに座った。

「サンドイッチどうだった?」

「すごくおいしかったよ」

「あの卵茹でたのアタシなんだ。まあ作ったのは別の人なんだけど。アタシの仕事は基本ホールだし」

 それじゃあいただきまーす、と結麗はサンドイッチを頬張った。

 絵奈は予定より三十分ほど早く喫茶店へとやって来ていた。家にいてもやることがなかったし、弟も祖母も出かけるというので、少し早かったが一緒になって家を出たのだ。

 店に入ると結麗が案内してくれた。昨日いっていた通り二階席は空いていたが、がらがらというほどでもなかった。ほとんどがふたり席で、となりとの間隔も広く、結麗が来るまで絵奈ひとりでいても充分居心地はよかった。

「宿題進んだ?」

「ううん、これから。一緒にやろうかなって」

「そっか。ごめんね、待たせちゃって」

「そんなことないよ。あ、ゆっくり食べてていいからね」

「ありがと」

 結麗は手を叩いて指先のパン屑を払った。

「そういえば、絵奈の高校は夏期講習とかないの?」

「あるみたいだけど基本的に自由参加だし、それにけっこう宿題もあるからみんな行きたがらないかな。お休みが始まったらすぐに出かけちゃう人もいるし」

「それって旅行とか行くってこと?」

「そうみたい。となりの席の人はフィンランドだっていってた」

「へー、海外かあ。さすがはお嬢様。絵奈んはどっか行かないの?」

「今のところはない、かな。お盆には法事もあるし」

「あ、そっか。じゃあ親戚みんな来るんだ?」

「だと思う。網代あしろさんは?」

「ウチは」

 といって咀嚼そしゃくしながら、少し悩む風に顔を傾けた。

「どっか行くみたいなことはいってるけど、行くとしたらお盆を過ぎてからかなー。アニキがいつ帰って来るかにもよるし」

「お兄さんがいるんだ?」

 まあね、といって結麗はストローでジュースを一気に吸った。

「今年の春から大学に行ってる。八月の最初ぐらいまでは試験があるんだってさー」

「ふうん、大学生のお兄さんかあ」

「絵奈は兄弟いないの?」

「小学生の弟がひとりだけ」

「じゃあ、絵奈がお姉さんなんだ」

 お姉さんという言葉に、絵奈は少しだけこそばゆさを感じた。

「アタシも下が欲しかったなー」

「そうかな。わりと大変だよ。わがままいうし」

「かわいいじゃん。やっぱり喧嘩とかする?」

「するけど、そんなにはしないかな。その、結局絵奈が許しちゃうっていうか。ほら、絵奈お姉さんだし」

 お姉さんの部分を少し強調する。

「姉の威厳ゼロじゃん」

「そこは優しいっていってよぅ」

「あはは、ごめんごめん。まあでも、許せるってことは絵奈が大人だっていうことかもね」

 自分は大人なのだろうか。そうでもないと思う。単に張り詰めた空気に耐えられないだけで、すぐに謝ったり許したりしてしまうだけなのだ。

 もちろん、絵奈も人間だから、怒りもするし許せないと思うこともある。我慢ができないことだってある。けれどもその思いを声に出して、相手にぶつける勇気はない。家族に、取り分け弟になら少しは感情的にもなるが、それもお姉ちゃんなんだからといわれてしまうと、何か膨らんでいたものが急にしぼんでしまったようにどうでもよくなってしまう。だから友達と喧嘩しそうになっても、自らその何かをしぼませて思いを言葉に出そうとはしなかった。我慢していたというより、避けていた。嫌われるのが怖かったのかもしれない。

 中学生の時は、それでクラスメイトから距離を置かれていたように思う。絵奈自身もクラスに馴染んでいるとは思わなかった。それでも声をかけてくれる子も何人かはいたが、口下手だったせいでろくに会話もできず、友達と呼べるほど仲がいいとはいえなかった。

 高校生になった今でも、それはあまり変わらない。

 それに比べて結麗は変わっていた。知り合ってまだ間もないのに、もう喫茶店で顔を向かい合わせて、こうしてごはんを食べたり、話したりしている。

 今日のことも、わりと楽しみだったのだ。

 だから正直にいって勉強などあまりしたくはないし、もちろんするならするで構わないが、おしゃべりしているだけでもいい。どちらかといえば、そうしたい。

 まだ友達と呼べる間柄ではないかもしれないが、絵奈は結麗と友達になりたいと思っていた。

「ごちそうさま」

 結麗は容器を返却口に戻しに行くと、台布巾を持ち出し、慣れた手つきでテーブルを拭き始めた。

「じゃあ、宿題しますか」

 結麗は鞄からノートや辞書を取り出し、テーブルの上に積み上げた。

「どうしたの、絵奈?」

「ううん、なんでも」

 少しだけ残念な気もしたが、本来の目的はそれなのだから仕方がない。絵奈は気持ちを切り替えるように小さく頷くと、鞄を手に取った。

 お互いノートを広げて、しばらく数式や外国語とにらみ合いを続けた。

 その途中、絵奈の電子辞書に結麗が興味を示したり、結麗のパラパラ漫画の落書きに絵奈が見入ったり、はたまた面白半分でお互いの筆記用具を交換したり――と、なんどか手は止まってしまったが、かえってそれらがいい息抜きになったのか、ふたりとも目標としていたページ数まで順調に進んでいき、気づけば二時間が経過していた。

「あー疲れた。今日はもうこれで終わりっ」

 結麗はシャーペンを投げ出し、大きく伸びをした。

「おつかれさま」

「絵奈もおつかれ。何か飲む?」

「ううん、水でいい」

「そう。じゃあアタシもそうしよっかな。取ってくるね」

 喉が渇いていたせいか、水はあっという間になくなった。

「さて、これからどうしようか」

 結麗が片肘をついていう。

「どこか行く?」

「いいけど、どこに?」

「まあノープランなんだけど。そういえば絵奈っていつも何やってるの?」

「何って、普通だよ。図書館に行ったり、お買いものしたり」

「へえ、何買うの?」

「みぃのエサとか」

「みぃ?」

 結麗はわずかに首を傾げた。

「飼ってる猫だよ。二歳の女の子」

「いいね、猫。かわいいじゃん。ウチなんか熱帯魚だよ」

「すごーい。なんかおしゃれだね」

「そうかな。まあ、お父さんの趣味なんだけど。あんなに小さいので千円したりするからよくわかんない。国産魚になると高くなるみたいだけど、輸入魚でも安くて一匹数十円から数百円だし、エサ代とか水槽代とか入れちゃうと二、三千円はするんだよねー。それなら猫のほうがかわいがりもあるって感じだよ」

「そうかな。絵奈はグッピーとかかわいいと思うけど。網代さん詳しいんだね」

「ウチに熱帯魚関係の本いっぱいあるんだよね。お父さん、買ってくるだけで全然読まないから。でもカタログとか眺めてるだけでも面白いよ。そういえば図書館にも同じ本があった気がする」

「そうなんだ。網代さんはけっこう本読むの?」

「んー、わりとね。ほとんどアニキの持ってる漫画ばっかりだけど、小説も、まあ読むかな。文学はあんまり手が伸びないけどね」

 なんか勉強してるみたいじゃん、と結麗は同意を求めるようにいった。

「夏目漱石とか芥川龍之介とか、よく教科書に載ってるし」

「そうだけど、でも芥川龍之介なら『蜜柑』とか、絵奈は好きかな。『蜘蛛の糸』とか『羅生門』とかはちょっと怖いけど、『河童』とか『鼻』とかは、すごく面白いよ」

「よくそんなに名前が出てくるね」

 結麗は感心したような顔で絵奈を見た。

「もしかして絵奈って文学少女?」

「ううん。どっちかっていえば児童文学、かな。後は絵本とかもよく読むけど」

 そこでいったん言葉を切って、

「子供っぽいかな?」

 とつけ加えた。

「そう? アタシも絵本好きだよ。あ、じゃあ宮沢賢治とか好きだったりする?」

「うん、すごく好き。『猫の事務所』とか『セロ弾きのゴーシュ』とか」

「アタシは『銀河鉄道の夜』ぐらいしか知らないなー。そっかー。本当に好きなんだね」

「うん。図書館にあるのはけっこう読んでると思う」

「児童文学全集とかあるもんね。じゃあ家にもいっぱい本があるの?」

「ううん、あんまり持ってないよ。絵奈、本とかそんなに買わないし」

「え、なんで?」

 驚いた様子で、結麗が少し身体を浮かす。

「だって図書館にだいたい置いてあるから……変かな?」

「変じゃないけど、欲しいとか思わないの?」

「ううん、どうだろう。あんまり考えたことないかも」

「へー、いるんだ、そういう人」

 納得したような感心したような、複雑な表情で結麗は二、三度頷いた。

「アタシなんて本棚パンク状態だもん。アニキの部屋のも勝手に使ってるくらいだし」

「いいの、それ?」

「たぶんダメ。新しい本棚買おうかなー。でも、いいのがないんだよね。あっても高いし。それに本も欲しいし」

 あ、そうだ、といって結麗は指をパチンと鳴らした。

「ねえ絵奈、今度やる商店街の古書祭に行かない?」

「こしょまつり?」

「そう。駅近くの商店街でさ、古本屋が並んでる通りがあるんだけど……あ、そこは知ってる?」

「ごめん。あんまり駅のほうに行かないから」

「そっか。学校も反対側だもんね。だったらなおさら行こうよ」

「いいけど、でも、お祭りってどんなことしてるの?」

「まあ簡単にいえばセールかな。大抵の古本屋なんてごちゃごちゃした店が多いからね。蔵出しなんていって値打ちモノを売ったりしてさ。たくさんの本が通りに並ぶ光景はけっこう見ものだよ」

「そうなんだ。なんか面白そうだね。それ、いつやるの?」

「ちょっと待ってね。たしか前に……あ、あった」

 結麗はクリアファイルからチラシを取り出した。

「八月十日と十一日だって。法事は大丈夫?」

「うん。十五日じゃなかったら」

「そっか。よく考えればお店のほうもお休みか、お盆は。アタシは十一日に予定が入ってるから、じゃあ十日に行く?」

 絵奈は頷いた。

「そうと決まれば目録買っておかないと……あ、そうだ。この前大きな本屋がその近くにできてさ、ビル丸ごと本屋なんだけど、時間があったらそこにも寄ってかない?」

「うん。いいよ。なんか楽しみだね」

「アタシもなんだか楽しくなってきた」

 結麗は携帯電話を取り出した。

「とりあえず十日は古書祭っと。そういえば絵奈、アドレス教えてよ。昨日訊きそびれちゃったし」

「あ、えっと」

 ごめん、と謝った。

「どうしたの? ケータイ忘れたとか?」

「ううん、絵奈、そういうの持ってなくて」

 笑われると思った。今時高校生にもなってケータイも持っていないなんて。

 しかし結麗は、

「そっか。ちょっと待ってね」

 とだけいうと、ノートを千切り、すらすらとシャーペンを走らせた。

「これ、アドレスと電話番号。番号は上がケータイので、下が家ね。アドレスは、まあ一応」

「あ、ありがとう。じゃあ絵奈も」

 同じようにノートを千切って渡す。

「さんきゅー。明日図書館来る?」

「うん、そのつもり。網代さんは?」

「絵奈が行くなら行くよ。明日、明後日はバイトもお休みだし。あ、シフトに休み入れておかないと」

 階下から客を迎える声が聞えた。ぐるりと見回すと、先ほどまで空席だった場所もほとんど客で埋められている。

「なんか、混んできたね」

「まあ夕方だしね。じゃあ明日、休憩室でいろいろと決めよっか。集合場所とか、時間とかさ」

「うん。今日はありがとね、誘ってくれて」

「こっちこそ。絵奈のおかげですごくはかどったよ」

 鞄を抱えて、ふたりは同時に立ち上がった。

「あ、お手洗いはどこ?」

「階段のとなり。じゃあアタシ下で待ってるね」

「うん、ごめん」

 その後、家に帰って部屋で鞄の中身を出すまで、絵奈は結麗にランチセットを奢ってもらったということに気がつかなかった。そして、その時になってようやく、昨日のアイスの代金を返すつもりだったことを思い出した。

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