閉館時間
扉を押し開けると、それまでの静寂から一転して激しい雨音が耳を打ちつけた。もったりとした空気は冷え切った身体を温めてはくれたが、それもすぐ不快感へと転じた。
この時期には珍しくもない夕立である。
今朝の天気予報でも注意を促していたから、おおかた降るだろうとは思っていた。それでも降らなかった時を考慮して、荷物にならないよう折り畳みの傘を鞄に入れてきたつもりだった。
だったのに。
なんで忘れちゃうかなあと、小口絵奈は小さく息を洩らした。鞄の中には勉強道具と水筒の他に、何も入ってはいなかった。
少しだけ待ってみようか。
絵奈は出入口の脇に寄り、鞄を背負うとその場に座り込んだ。濡れた地面のホコリっぽい匂いが鼻をつく。
「っしゅん!」
くしゃみが出た。クーラーにあたり過ぎたのかもしれない。鼻をすするともう一度くしゃみが出てしまった。
閉館時間の近づいた図書館からは利用客らがぞくぞくと退館し、みな当然のように傘を開いて絵奈の脇を通り過ぎていった。中には絵奈と同じくしばらく様子を見る人もいたが、狭い出入口が混雑し始めると、しびれを切らしたように雨の中を駆けて行った。
気づけば頭上の照明も消え、雨宿りしているのは絵奈ただひとりきりだった。
先ほどより雨は強さを増している。
ますます帰れなくなってしまった。
携帯電話は持っていない。公衆電話は駐車場側にしか置いてないから、ぐるりと廻っている間に確実に濡れてしまう。
猛雨の中でも、蝉の音は止まなかった。
これも蝉時雨なのかなと、膝を抱えて雨にけぶる通りを見るともなしに見ていると、ボンッという音とともに、
「ねえ、よかったら一緒に入ってかない?」
という声が耳に届いた。
見上げると、傘を掲げた人物と目が合った。
いつも図書館で見かける、大学生風の、色の白いきれいな女の人だった。
「ちょっと狭いかもしんないけどさ」
「あ、そんな、いいです」
絵奈は慌てて立ち上がった。
「たぶん、すぐ」
止むと思いますし、という言葉は轟く雷鳴によって遮られた。
「うわー、ただの夕立じゃないよこれ」
そのうち落ちてくるんじゃないの、と相手は期待するような口吻を洩らして笑った。
「ほら、雷まで鳴ってるしさ」
傘が頭上を被う。
「でも、その、迷惑……ですし」
「迷惑だったら声なんてかけないって。それにもう図書館も閉っちゃってるし、あそこだって直にそうなるかもよ?」
指示する先は通りに面した玄関口だった。鉄柵はまだ折り畳まれたまま、端に寄っている。
「それまでに止むとも限らないんだしさ」
「そうですけど」
「家、遠いの?」
「遠く……はないです」
近くもない。半端な距離だ。
「出て右? 左?」
「通りを出て左です」
「よかった。アタシもそっち側」
相手は嬉しそうに笑った。悪い人ではなさそうだ。
それにせっかくの好意をむげに断るのも、と絵奈は感じる一方でまた、家まで送ってもらってはそれこそ迷惑になってしまう、とも思っていた。
どう返事をすれば一番いいのだろうか。
思案に暮れ、絵奈は次第に顔を雲らせていった。その顔から絵奈の考えを酌(のか、
「別に家まで送っていくわけじゃないから安心して」
といって相手はまた笑った。
「アタシもこれから寄るところあるしさ。どこまで一緒かはわかんないけど、それはまたその時に考えようよ。とりあえずここを出なきゃ、ね?」
「そう……ですよね」
もっともな意見だった。考えあぐねていた自分が少しだけ恥ずかしくなって、絵奈は自然と下を向いた。
暗雲が再び鳴動する。
「じゃあ、その」
鞄のショルダーをぐっと握る。
「途中までお願い……します」
「おっけぃ。エスコートはお姉さんに任せてちょうだい」
そういってお姉さんは軽やかにウィンクした。