平将門は、臣籍降下した桓武平氏の血を引いていた
【平将門】
俺が故郷を離れたのは、十五の年のことだった。
「将門様、どうか御武運を」
見送る家人たちに、俺は頷いて見せた。
言葉は少なく、ただ前を向く。それだけの誇りが、俺の中に宿っているのだ。
桓武平氏。
それが、俺の誇り。桓武天皇の血を引く、高貴なる血統。
臣籍降下したとはいえ、この身の中に天皇の血が流れている事実は、俺をいつも高揚させる。
(都で、その血に相応しい地位を得るのだ)
そう心に誓い、俺は東国を、故郷を後にした。
都への道は、長く厳しい。
だが、俺にとっては造作もない道のりだ。何より、行く先の都には、俺の輝かしい未来があるのだ。
その意に従い進み続け、やがて、都が見えてきた。
「おお……」
初めて見る都の光景に、俺は息を呑んだ。
整然と伸び、交差する道に、立ち並ぶ邸宅。そして、遠くに見える宮中の建物。
(ここが、都か)
故郷とは、何もかもが違う。規模も、人の数も、建物の豪華さも。
だが、俺は怯まなかった。むしろ、心が昂ぶった。
この都で、俺は認められる。そう信じていた。
都に着いた翌日、俺は仕えるべき主、藤原忠平との顔合わせに臨んだ。
藤原忠平。
藤原北家の当主にして、現在の朝廷における権力の象徴だ。
右大臣の地位は、まさに殿上人。
(この方に仕えるのだ)
緊張しながらも、俺は屋敷へと向かい、やがて案内された部屋で、俺は忠平と対面した。
「……平将門でおじゃるか」
「はい。桓武平氏の末裔、平将門にございます」
俺は、丁寧に頭を下げた。
だが、心の中では誇りを胸に、この出会いが自分の未来を開くと信じていた。
「桓武平氏……ああ、臣籍降下した者達の一つでおじゃるな。そなた、東国の出でおじゃるか?」
「はい。坂東にて育ちました」
「坂東……遠い地でおじゃるな」
忠平は、興味なさげに言った。
まるで、遠い異国の話でも聞くかのように。
忠平は俺を一瞥したが、その目に興味も関心も感じられない。
他の者を見る際と同じにしか、俺は見られなかったのだ。
(……俺は、天皇の血を引いているのに)
その誇りを胸に、俺は耐える。
だが、忠平の次の言葉が、その誇りを打ち砕いた。
「では、滝口の武士として勤めるがよいでおじゃる」
「滝口……の、武士……?」
俺は、耳を疑った。
滝口の武士は、宮中を警護する下級の者だ。
「左様。そなたの様な地方出身の者には、相応しい役職でおじゃろう」
忠平は、当然のように言った。
その目には、俺を軽んじる色がある。
(……俺は、桓武平氏だぞ)
心の中で、叫びたかった。
だが、言葉にはできない。
目の前にいるのは、朝廷の実力者だ。
逆らえば、都に居場所すらなくなる。
「……畏まりました」
俺は、頭を下げるしかなかった。
だがその時、俺の中で何かが確かに軋み、歪んだ。
何かは判らないが、確実に。
滝口の武士としての日々は、屈辱の連続だった。
宮中の警護と言えば聞こえは良いが、実際は雑用ばかり。
公卿たちの荷を運び、門を守り、ただ立ち続ける。
その様な日々で、都へのあこがれなど、早々に霧散していた。
「おい、そこの滝口。この荷を運べ」
「はい……」
俺は、言われるままに荷を運ぶ。
その俺を公卿たちは、見下した目で見ているのが判る。
(俺は……天皇の血を引いているのに)
その誇りが、次第に歪んでいくのを感じた。
誇りが、屈辱と混ざり合い、暗い感情へと変わっていく。
だが、俺は諦めなかった。
(武を示せば、認められるはずだ)
そう信じ、俺は魔穴に潜り始めたのだ。
己の武を磨くために。
故郷でも俺は魔穴に良く潜っていた。
その為、潜っている際には都に居る事を忘れられる。
魔穴は、都の周辺にも幾つかあり、俺は勤めの合間を縫って、そこに通った。
「はあっ!」
刀を振るい、獣を倒す。
身体に力が蓄積されていくのを感じる。
俺には、才があった。
元々の素質なのか、力を取り込む速度が速いのだ。
そして、それを武に転化する力も。
「将門殿、また強くなられておいでのようで」
時折魔穴にて出会う陰陽師が、そう語り掛けてくる。
この者は、俺よりも年上であり、都の下級の公卿でもあるのだが、俺の実力を認めてくれていた。
「まだまだだ。もっと強くならねば」
「しかし、既に滝口の武士の中では、随一の実力でしょう」
陰陽師はそう言うが、事実として未だ出世には繋がっていない。
それは、俺以外の下級武士も同じだった。
「おい、聞いたか? 山城出身の橘が、昇進したそうだぜ」
「また都に近い奴か……」
同僚の武士たちが、そう囁く。
出世は、都に地盤が近い武士から優先的に行われた。
山城、大和、摂津。そういった畿内出身の者たちが、次々と昇進していく。
一方で、俺のような東国などの、都から離れた出身地の武士は、どれだけ実力があっても、下位に留め置かれた。
「わしらは、どげんに頑張っても無駄たい……」
九州出身の武士が、訛りの強い言葉で呟く。
「せやな。都の連中は、わしらを人とも思うとらんのや」
畿内訛りとも違う、別の地方出身の武士も同意する。
「くそ……俺達だって、血を流して戦ってるのによ」
東国訛りの武士が、拳を握りしめた。
俺は黙って聞いていたが、心の中では同じ思いが渦を巻いていたのだ。
(何故だ……何故、俺達は認められない)
その鬱憤は、日に日に大きくなっていった。
だが、そんな日々の中でも、得るものはあった。
共に魔穴に潜る陰陽師や、同じ東国出身の武士たちとの交流だ。
「将門殿、この術式は知っておるか?」
陰陽師が、俺に術を教えてくれる。
「いや、知らん。教えてくれ」
「よかろう。これはな……」
俺は、貪欲に学んだ。
武だけでなく、術も、戦術も。
「将門の兄貴、さっきの太刀筋、凄かったっすよ!」
東国出身の若い武士が、目を輝かせて言う。
「いや、まだ甘い。もっと精進せねば」
「兄貴は厳しいなあ。でも、だから強えんだろうな」
彼らとの交流は、俺にとって唯一の救いだった。
同じ境遇の者たちと、支え合う。その絆が、俺を支えていた。
「なあ、将門。俺達も、いつかは認められる日が来るかな」
ある日、同僚の一人が、そう尋ねてきた。
「……来る。必ず来る」
俺は、そう答えた。だが、その声には、以前ほどの確信がなかった。
そんなある日のことだ。
俺は、いつものように魔穴に潜っていた。
獣を倒し、更に奥へと進む。
「ほう、見事な太刀筋だ」
すると、暗がりから、不意に声をかけられたのだ。
振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
公卿の装束を纏い、だがどこ処か俗世を離れたような雰囲気を纏っている。
「……貴方は?」
「名乗るほどの者ではない。ただ、君の才を見込んで、声をかけただけだ」
男は、静かに微笑む。
その目には、何か深い思惑が宿っているように思えた。
「何の用だ」
「単刀直入に言おう。力を貸そう。君の才を、正当に評価する場を用意できる」
「……見返りは?」
「君の力だ。いずれ、我らに協力してもらいたい」
俺は、その言葉に警戒を強めた。
余りに都合が良過ぎる話の様であり、だからこそ、怪しい。
都合の良い話には、必ず裏があるものだと、俺は都にいる間に学ばされていた。
だが、同時にこの男は明らかに高位の公卿だと判る。
その言葉を無暗に無下にするのも、危険だった。
「……考えさせてくれ」
「無論だ。急がない。だが、君には才がある。それを腐らせるのは、惜しいと思わないかね?」
俺の言葉に踵を返した男は、そう言って立ち去った。
俺は、その背中を見送り、そしてすぐさま魔穴を出て、ある場所へと向かったのだ。
その日の夜、俺はある男と向かい合っていた。
魔穴で出会い、いつしか友誼を深めていた、陰陽師を訪ねたのだ。
そして、名も知らぬ公卿との遭遇について話していく。
「……という事があったのだが」
話を聞いた陰陽師は、難しい顔をした。
「それは……恐らく、藤原氏の誰かでしょうな」
「藤原氏?」
「ええ。聞いた限りの様子から、相応の地位にある公卿だと思われます。そして、魔穴に独りで入れるということは、術にも長けている」
陰陽師は、考え込むように続けた。
「藤原氏の中でも、忠平様に反目する勢力がいると聞きます。かつての藤原時平様の流れを汲む者たちが、未だに影響力を持っているとか」
「時平……あの、菅原道真を貶めた?」
「ええ。時平様は既に故人ですが、その縁者や支持者たちは残っている。彼らは、忠平様の政治に不満を抱いているのでしょう」
陰陽師は、声を潜めた。
「恐らく、将門殿に接触してきたのは、藤原氏内部の主導権争いが関係しているのかと」
「俺を、利用しようと?」
「滝口の武士とはいえ、将門殿は桓武平氏の血を引いている。その上、実力もある。忠平様への圧力として、あるいは何らかの工作の駒として、使えると考えたのかもしれません」
陰陽師の言葉に、俺は拳を握りしめた。
(やはり、そういうことか)
都の貴族たちは、俺を人として見ていない。駒として、道具として見ているだけだ。
それが余りに腹立たしく、同時に失望が深まっていく。
「……分かった。ありがとう」
「将門殿、くれぐれも気をつけてください。藤原氏の内部抗争に巻き込まれれば、命の保証はありません」
俺は忠告に感謝し、陰陽師の元を後にした。
数日後、再びあの男が現れた。
「返事を聞かせてもらおう」
「……断る」
俺は、はっきりと言った。
「ほう。理由を聞いても?」
「俺は、誰かの駒になるつもりはない」
俺の言葉に、男は僅かに眉を動かす。
「駒、か。面白い言い方だ」
「あんたらにとって、俺はそういう存在だろう。利用できる駒。それ以上でも、それ以下でもない」
「……なるほど。君は賢いな。それだけに、惜しい」
肩をすくめる男の様子に、落胆はない。
俺の解答は、想定済みのようだ。
「残念だが、仕方ない。ただ、覚えておくといい。君が思っているほど、この都は公正ではないとな」
「……言われずとも、そんな事は分かっている」
「ならば、良い。いずれまた、会う日もあるだろう」
男はそう言って姿を消した。
そう、消したのだ。
まるでそこに誰も居なかったかのように。
(……式神だったのか)
術師の中には、式神に自分自身と同じ姿を取らせ、相手をかく乱するものも居るという。
恐らくは、先ほどまでの公卿も同様だったのだ。
(公卿と言うのは、知れば知るほどに度し難いものだな)
俺は、その背中を見送りながら、深い失望を感じていた。
(結局、都の貴族など、こんなものか)
自分の利益のために、人を利用する。
実力ではなく、出身地で人を判断する。
天皇の血を引く者さえ、道具として扱おうとする。
(この都に、正義などない)
俺の心の中で、何かが冷たく固まっていくのを感じた。
それは、失望であり、怒りであり、そして――野心だった。
(ならば、俺が……)
その思いは、まだ明確な形を取っていなかった。だが、確かに芽生えていた。
暗い炎のように、俺の心の奥底で、確かにくすぶり始めていたのだ。
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