東国における武芸の祖と呼ばれる藤原秀郷には、大百足退治の伝承がある
正直なところ、俺は藤原秀郷の名を知らなかった。
この先の時代で起きる、二つの地方での反乱。
その片方の側を平定した中心人物の一人だと知ったのは、最近の事。
元々、そういった反乱に関しては、平定した将の名前よりも、乱を起こした人物の方が注目されやすい。
俺も、二つの乱に関しては、それぞれの首謀者の名前しか知らなかったし、詳しい経緯や乱の原因なども同様だ。
とは言え平安時代に入り、それらの乱が近づいていることを知って、改めて乱の経緯を調べた時に、彼の名前を知った。
藤原秀郷。またの名を、俵藤太。
東国における武芸の祖などと呼ばれ、乱の平定以外にも怪物退治の伝説も残っている人物だ。
そこまで思いだして、俺はようやく領域内に映し出された光景がどんなものかピンと来た。
(もしかして……これが大百足退治の様子なのか!)
それは、乱の平定と比肩する藤原秀郷の偉業の伝承だ。
大まかな流れは、以下になる。
近江の海(琵琶湖)の南、瀬田の唐橋に巨大な大蛇が横たわり、人々が渡れないという事件が起きた。
しかし、そこを通りかかった藤原秀郷は、大蛇を全く恐れることなく、踏み越えて平然と通過した。
その夜の事。藤原秀郷の元に、一人の美しい娘が訊ねてくる。彼女は、『自分は昼の大蛇であり、琵琶湖の龍神の娘であると告げ、大蛇も恐れない藤原秀郷を見込み、ある頼みごとをする。
それは、三上山の大百足退治。
三上山に棲まう大百足は、龍さえ喰らうという強大な力を持っていた。
琵琶湖の龍神はこれに苦しめられ、なんとか助力を得られないかと、その力ある者を探す為、大蛇の姿で人々を試していたのだと。
この依頼を了承した藤原秀郷は、三上山に赴く。
そこには、山頂をその長い身体で七巻き半するような、巨大な百足が陣取っていた。
藤原秀郷は、渾身の力で矢を放つ。
しかし、一の矢・二の矢は全く効かず、このままでは倒せないと思案する。
その時、藤原秀郷は、『百足は唾に弱い』という俗信を思い出し、唾をつけた三の矢で眉間を射抜き、ついに討伐に成功する。
藤原秀郷の勝利に龍神は喜び、米の尽きない俵などを始めとした、無数の宝を彼に贈ったのだという。
そして、その宝の一つ、『米の尽きない俵』から俵藤太の異名が呼ばれるようになったのだとか。
今、映し出されている光景は、まさしくその大百足退治だ。
この世界の日本には、神が明確に存在している。
意志なき自然発生の精霊が、信仰していた人々の魔力を取り込み、人格を持った存在。
ただ、所謂八百万の神々と言われるように、その数はとても多い。
また、下手に人の意思を取り込んだことで、とても人間臭いのだ。
その結果、神々同士での争いも絶えない。
(あれが……琵琶湖の龍神と、近江富士の百足神か)
あの龍と百足は、何れも人々の信仰を集める神そのもの。
琵琶湖の様な広大な湖の場合、水に対する畏怖と願いから龍神が棲むようになっていた。
特に琵琶湖の龍神は、恐らく中国からの伝承が人々に広まった為か、湖底に竜宮まで存在するほど力を得ている。
一方で百足神は、鉱山に縁深いとされている。
鉱脈が見つかる地には百足が棲むとされ、地の底の富を約束する存在として信仰されているのだ。
ただし、龍と百足と言うのは、非常に仲が悪い事でも知られている。
今、この日本で広く認識されている物理法則は、易経などで解説されている、陰陽五行説によるものだ。
それによると、荒れ狂う川でも土による堤防が抑え込むように、水行に対して土行の存在は優位となる。
この場合、龍神は水行の化身であり、百足は土行の化身だ。
つまり、強力な力を持つ龍神であろうとも、百足神には圧倒されてしまうのだ。
だからこそ、藤原秀郷を頼ったのだろう。
また、百足の鉱山の守護者と言う面を考えると、別の見方も見えてくる。
鉱山には、採掘の際に鉱毒が生じる事があり、それは川などに流れれば下流に害を及ぼす。
そこから生じる、鉱山で生計を立てる山の民と、水に頼る漁民や農民との対立構造だ。
俺の生前の歴史では、魔力など無かったから、本来はこの対立が百足や龍に置き換えられて伝えられたのではないかと思う。
(……いかん、思考が逸れたな)
(アキト様、始まるようですぞ)
田村麻呂の言葉に、俺は逸れていた思考を戻し、魔力の領域に映し出された光景を注視する。
対峙していた龍神と大百足が、弾かれるように動き出していた。
龍神と大百足が、互いにその長い身体をうねらせ、互いを食もうと相争う中、龍神の頭の上に立ち、矢を構える藤原秀郷。
伝承の通りに、次々と矢を射かけるが、大百足の外殻は強靭なのか、事も無げに弾かれている。
ただの矢ではなく、藤原秀郷が気を込めているというのに弾くのだから、あの外殻の強靭さは人知を超えた領域にあると言っていい。
(……むう、阿弖流為が指導した矢も弾くとは、あの大百足ただ者ではありませぬな)
(阿弖流為が?)
(はい。あの者は東国の者なので、山野で身を磨く中、見どころがあると指導したのだとか)
藤原秀郷は、藤原北家魚名流の武将であり、下野国(栃木県)を拠点とした在庁官人だ。
下野の国は、奥州にも近い。
元々武勇に秀でて居た為、神仙に近い存在となり、奥州の山に隠遁した阿弖流為の目に留まったのだとか。
(なるほど。どこかで見たような弓の軌跡だ)
藤原秀郷が放つ矢は、流れる様に動く龍神の頭上から放っているというのに、一矢も外れることなく大百足に当たっている。
大百足も激しく動いているというのに、だ。
その矢の軌道はまるで生きているかのようで、かつて奥州の戦いで見た阿弖流為の弓術を彷彿とさせた。
気による矢の軌跡の操作と、威力の上昇だ、
なるほど、しっかりとあの神業の様な弓術を継承して居るらしい。
(それを聞き付けたスサノオ様やおれも色々と教え込みまして)
(そんな事をしていたのか……)
(アキト様は、この所都の動向を注視しておられましたから、気付かぬのも無理は無いかと)
実際、直近の10年は、落雷事件が早まった弊害が無いかを気にして、都の観察に終始していた。
その間、皆が何をしているかも余り把握していなかったので、コレは反省すべきだろう。
同時に、話に聞けば興味ももたげてくる。
(藤原秀郷は、どれくらいやれるんだ?)
(弓であれば、阿弖流為殿がほぼすべての技を伝えたと申しておりました)
(それは……かなりのものだな)
(隠形の技は、武士である為か身につかなかったようでありますが)
大具足を身に着けていては、阿弖流為の様な完全に姿を消す様な隠形は無理だろう。
それは仕方ない。
だが、あの神業の様な弓術を全て身につけたというのなら、それは凄まじい事だ。
(今は発揮できぬようですが、剣も無手の技も、かなり伝えておりますよ)
(あの様子だとな……だけど、動き回る龍神の頭に立って全く揺るがないのは、流石か)
荒れ狂う濁流の様な龍神の頭の上に立っているというのに、藤原秀郷はまるで盤石な岩場に足を付けているかのような揺ぎ無さを感じる。
あれは、俺からスサノオに教えた技だ。
極めれば、空中を土台にすらするその技は、元は安定しない船の上のような場所でも揺るがずに戦う為の技術だった。
その技が、こうしてスサノオや田村麻呂を経由して藤原秀郷が身に着けている。
その事が、どこか嬉しい。
そして今。
矢筒に残った最後の矢に、唾を塗ったのが見えた。
そして、渾身の力で弓を引き、放つ。
矢はまるで飛燕の如くに空を駆け、大百足の頭部へと。
(しかし、唾だけでは……いや、そうか)
(ああ。今までの矢は、布石だ)
田村麻呂の懸念は、唾を付けたとしても外殻に弾かれる事。
だが、田村麻呂はそれに気づいた。
矢が向かう先、今までの矢が当たった外殻に、明確な傷が残されていた。
今までの矢は、全てあの一点に当たり続けていたのだ。
頭部、目と目の間の一点を、二つの巨体が高速で動き回る中でも、正確に射抜き続けていた。
それは、まさしく神業と言うほかない。
その傷目掛け、唾を付けた矢が飛来し、遂に、射抜く!!
~~~~~~~~!!!!
大百足の声ならない声が、三上山の頂に響き渡った。
突き刺さった矢から、込められた気が放出され、大百足の外殻の中を荒れ狂う。
更に、そこには、唾の要素も含まれる。
(……あれほど強大な百足の神が、唾であれほど苦しむとは)
(そこが、伝承の怖さだな。弱点と広く認識されてしまうと、それが実際のものとなってしまう)
藤原秀郷が思い出す程に、『百足が唾に弱い』と言う伝承は、人々に信じられている。
それは、人の意思に染まり易い魔力を通じて、実際の理となってしまうのだ。
特に、人々の伝承や信仰により形を成した神であれば、なおの事影響を受けやすいだろう。
だからああして、唾は大百足さえも殺す毒となる。
頭部を射抜かれ、気により内部を破壊された大百足は、しばらく激しくのたうち回っていたが、次第にその力を失っていった。
神気と言うべきものが霧散していき、長大だった身体も次第に縮まっていく。
数刻の後、三上山の頂には、ごくありふれた百足の死体が転がっていた。
龍神と藤原秀郷の姿は、既に無い。
おそらく、琵琶湖の底の竜宮城へと向かったのだろう。
(もとは只の百足が、あの巨体の元だとは)
(大怪異にしても、泥の巨人にしても、巨大化したのは魔力を取り込んだ結果だからな)
遥か昔から、この地で魔力を取り込んだ動植物は、かなりの頻度で巨大化する。
山のような熊、天を突くような大樹、そしてこの大百足。
だが元々の身体はごくありふれたものであることが多い。
この百足にしても、百足神の依り代となった事で巨大化しただけだ。
(それにしても……あれが、藤原秀郷か)
もうすぐ起きる、二つの乱。
その一つを平定する事になる、武士。
その力は目の当たりにした。
だからこそ、一つの疑念が浮かぶ。
(あの力を以てしないと平定できないのか……それほどか、平将門は)
坂東八州を舞台にした、大規模な反乱。
その発生は目の前に迫っていた。
日々、皆様のブックマーク登録や評価、反応などが更新の励みになっております。
誠にありがとうございます。




