その頃の大陸は、五代十国の最中にあった
(本当に建立が早まるとはな……)
清涼殿の落雷事件から、およそ10年の時が流れていた。
その間、色々あったが、まず特筆すべきは、京の都の北と大宰府に、天満宮が建立された事だろう。
俺の生前の歴史では、北野天満宮が建立されたのは、落雷事件から更に10年以上過ぎた947年の事。
伝承では、巫女や神職に夢で菅原道真から託宣があり、自分を祀る様に伝えたとされている。
では、この世界ではどうだろうか?
一言でいえば、道真は既に神となっていた。
(怨霊として恐れられたことと、人々の雷への恐怖が、畏怖と言う形の信仰を集めた形だな……)
元々この世界での八百万の神は、自然現象に対する畏怖や畏敬によって生まれた精霊が、信仰する人々の死後の魔力を取り込み人格を形成した結果生まれた存在だ。
この理屈に沿うなら、古代から信仰される神に加え、新たに神が生まれる可能性は十分にあった。
菅原道真の怨霊は、この流れに沿う十分な土台があったのだ。
そして、神として道真を祀る様に勅令を出したのは、他でもない醍醐天皇。
(元々智を称えられ、更に死後あれ程の事件と言う形で力を示した。そもそも、怨霊を信仰するという前例は既にあるからな……)
その為、天満宮の建立は速やかに行われた。
その原動力は、先に挙げたように醍醐天皇の後押しだ。
落雷事件の後、醍醐天皇は道真の怨霊に長く怯えて過ごしていた。
しかし、帝の枕元に、道真の怨霊が立ったらしい。
怨霊は、『既に、帝には怨みは無く、祀られるのであればこれ以上は祟らぬ』こう告げたのだとか。
それが実際に怨霊が告げたのか、それとも醍醐天皇の後悔の念が見せた夢なのかは、分からない。
だが、醍醐天皇はこれを信じ、天満宮の建立を命じた。
その結果、数年をかけて建てられたのが、北野天満宮なわけだ。
(……まあ、醍醐天皇の心身の安定には、有効だったみたいだな)
北野天満宮の成立と、そこに足げく通って祈りを捧げた醍醐天皇は、事件直後の憔悴ぶりが無かったかのようだ。
そして、朝廷のトップである醍醐天皇が安定して政務を行えている為、政治的にも統治的にも日本は安定期に入っていた。
(この分なら、介入は必要なさそうだな……)
俺はひとまず安どする。
少なくともあと10年は醍醐天皇の治世は続いてほしい所だし、その目途はついたように思えたのだ。
(日本国内は、当面問題無さそうだな。となると……海外の様子が気になるな)
俺は、魔力の領域に、とある場所の光景を呼び出してみた。
そこは、植生などは比較的日本と似通っているものの、どこか違う光景だった。
よくよく見れば、所謂大陸風の様式の砦を巡って、多くの兵達が集い争っている。
(……渤海は、背中を突かれた形だな)
そこは、朝鮮半島北部。半島の根元と言うべき大陸の接続部で、砦を巡っての戦いが繰り広げられているのだ。
今まで、大陸側の光景は中々呼び出せなかった。
だが、内陸部火山へのコアの設置や、他にも幾つかの新たな手段によって、火山付近か海岸線に近い場所なら、大陸側の光景も呼び出せるようになっている。
この光景もその一つだ。
朝鮮の白頭山に設置したコアから送られてきた情報を、こうして見ている。
(む? アキト殿。その戦は……?)
すると、不意に声をかけられた。
振り向くと、田村麻呂が領域内に姿を見せている。
(田村麻呂か。これは、渤海と契丹との戦だな)
(契丹……?)
(数年前に成立した、新たな国だな)
契丹とは、遊牧民族系の民が建てた国だ。
複数の遊牧部族による、部族連合がその中心にある。
後に大帝国を築き上げるほど、遊牧の民と言うのは時に強大な勢力になるものだ。
この契丹──後の遼という大帝国は、東北アジアの広大な領域を支配するようになる。
920年代は、その急成長の過程にある。
渤海は、その契丹に攻め込まれている真っ最中なのだ。
(……無残なものです。あの騎乗による機動力に、全く対抗できておりませぬ)
(そうだな。それが遊牧の民の強さだ)
騎馬を凄まじい勢いで走らせた集団が、そのまま足を止めずに砦に矢を射かけて、更に素早く離脱する様子が映し出されている。
その素早い動きに、砦側は全く対抗できていない。
射かけられるたびに、兵が射抜かれて兵力を削られていく。
あれでは、そう遠くない内にあの砦は落とされてしまうだろう。
(かといって、打って出ようにも……ですな)
(ああ。あの機動力相手では、野戦の方が更に分が悪くなる。だからこその籠城だろうけど、援軍が来ない籠城は只滅びの遅延でしかない)
(……来ませんか、援軍は)
(ああ。むしろ、あの砦が援軍側なんだ)
(なんと……)
田村麻呂が絶句するが、それも無理はない。
この砦は本来主となる城の補助となる砦なのだ。
主となる城の周囲にあり、城や他の砦が攻められた場合、援軍を出す側の砦なのだ。
勿論、この砦が攻められた場合も、他の砦や主城から援軍が出るはずなのだが……。
(契丹の軍は機動力が高く、兵も多い。連携する筈の砦と城が、全て同時に攻められたら連携どころじゃない)
野戦に強い遊牧の民の軍を相手では、下手に砦から出る事も出来ない。
分断された砦など、落ちるのを待つだけだ。
(滅びますか、渤海は)
(ああ。10年は持たないはず……いや、もう少し耐えるかもしれないな)
渤海の滅亡は、俺の生前の歴史だと、926年であるらしい。
しかし、この世界での渤海は、新羅を北から攻めてかなりの領土を削り取っている。
その点を考えると、滅亡は相応に先になるかもしれない。
(それとも、逆に滅亡は早まるかな?)
(それは……?)
(南からの圧力があるって事さ)
俺は、別の光景を映し出す。
するとそこには、砦で戦っていたのとは別の渤海軍が、契丹とは別の軍と戦う姿があった。
(結局、新羅は滅亡した。だけど、その滅亡直前に成立したのが、高麗と言う国だ)
この高麗と言う国だが、俺の生前の歴史では、次のような経緯で成立している。
まず朝鮮半島は、一旦新羅が統一した。
しかし、900年頃、二つの国が独立する。
一つは、後百済。
今のこの世界では成立した時期も理由も違う後百済が既に存在しているが、同じ名前の国が900年に建国されたのだ。
そしてもう一つ建国されたのが、901年に成立した後高句麗だ。
しかし、この後高句麗は、僅か17年程度で、クーデターにより滅びてしまう。
そして建国されたのが、高麗と言う国だった。
この二国は、新羅の領土を奪い合いながら、急速に成長した。
それはこの世界でも同じだ
(後百済と高麗は、元々北から渤海によって圧力を加えられていた新羅を、領土を奪いつつ決定的に弱体させたんだ)
(そして、滅亡と?)
(ああ、最後は新羅王が高麗に降り属国になる形で消滅した形だ)
最期には傀儡の王を立てられていたというのだから、中々に惨い話でもある。
ともあれ、現状の朝鮮半島は、契丹に押された渤海と、後百済と高麗、三国による覇権争いの最中といった状況にある訳だ。
(ふうむ……朝廷としても、後百済との関係は維持したいでしょう)
(とはいえ、積極的に兵を出す気もないようだな)
国内が安定期である分、朝廷はあえて国外に兵を送る理由が薄い状況だ。
少なくとも現状送っている防人たちで、後百済の防衛は十分と判断しているらしい。
(そして……中原か。酷い有様だ)
(おれには、容易に信じられませぬ。かの唐の地がこの様な事になるとは)
(戦乱の時代だからな)
そして俺は、最後に中原、つまり中国の光景を映しだした。
そこは、軍閥同士が相争っている状況だ。
かの大国、唐の姿は既に無い。
(一応今は、唐を滅ぼした朱全忠が興した後梁と言う国が華北を支配していることになっているんだが、実質的には乱世だ。軍閥が覇を争っている形だな)
所謂唐の後の不安定期である、五代十国の最中と言うわけだ。
華北はこのような状況のまま、五つの短命王朝が続く。
各軍閥は、大国になって行く北方の契丹──遼との同盟や対立などを繰り広げながら、勢力争いに明け暮れる形になる。
一方で華南は、 呉・呉越・閩・南漢・前蜀などの十国が割拠する形になっているものの、比較的安定した状況にあった。
華北の戦乱とは違って戦禍を避けているため、経済や文化が発展している最中だ。
(この動乱は、何時まで続くのでしょうな?)
(あと50年近くは、荒れるだろうな。統一王朝は、先の話だ)
魔力の影響が少ない大陸側は、恐らく俺の生前の歴史を凡そ踏襲していくだろう。
そうなると、この中国の動乱期は、最終的に宋によって統一される筈だ。
その宋の建国が960年で、その後中国を統一するのが979年なのだから、当面は安定に程遠い。
そして宋の成立後も、北の遼の脅威は残り続ける。
(……まあ、とりあえず大陸側はなる様にしかならないさ)
そう締めくくって、俺は領域内に映し出していた大陸の映像を消した。
田村麻呂のため息が聞こえる。
大陸側の動乱を見て、その荒れ様に思う所があったのだろう。
……空気が重くなったな。話題を変えるか。
(そう言えば、田村麻呂は何か用があって来たのか?)
(……ああ、失礼を。実は面白き者が居たので、アキト様にも知らせておこうかと)
(面白き者?)
田村麻呂に話題を向けると、気を取り直したのか気になる事を告げて来た。
(ええ、スサノオ様が興味を持たれて居ると言えば、アキト様も気になるのでは?)
(それは……確かに)
スサノオが興味を持ったというと、中々に腕の立つ者と言った所か。
俺もスサノオの師匠筋である以上、気にならないかと言えば嘘になる。
この時期の腕利きとなると、そろそろ勢力を伸ばす武士の誰かだろうか?
促されるままに、国内のある場所を表示する。
するとそこには、興味深い光景が映し出されていた。
そこは、どこかの山のようだった。
しかし、風景よりも目に引くのは、二つの巨大な影。
一つは、長身をうねらせ、蒼碧の鱗を輝かせる、龍。
もう一方は、山頂に身体を幾重にも巻き付けた、大百足。
そして、龍の頭の上で、しっかと足を踏ん張り弓をつがえる大具足を着こんだ武者の姿が、そこにあった。
(あれは……!?)
俺は思わず、その武者の情報を表示させた。
そこに記された名は、こうあった。
藤原秀郷。
後に、様々な伝承を残し、東国の武術の祖とさえ謳われる武人の姿が、そこにあった。
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