ババエスキ攻防戦2
1939年9月7日。オスマン帝国ババエスキ、この日はババエスキを攻める第二神聖ローマ帝国陸軍の将兵には、経験した戦場と大きく異なるものになっていた。
夜明け前ババエスキの防衛線を視察するオスマン派遣軍司令官本間雅晴大将の傍らには、オスマン帝国軍の将星たちが居並んでいた。4日前にドルマバフチェ宮殿でスルタン・アブデュルメジト2世と交わした固き約束が、今まさに形となって大地に刻まれていた。
午前6時、神聖ローマ帝国陸軍の攻撃準備砲撃が開始される。だがそれに応酬した大日本帝国陸軍の反撃は、第二神聖ローマ帝国陸軍の想像を絶する『工業力の暴力』そのものであった。
本間司令官が誇る60個師団の全火力が一斉に咆哮を上げた。機械化歩兵師団、機甲師団、そして空挺師団に配備された総数12500門に及ぶ榴弾砲と自走噴進砲の斉射である。それはもはや『砲撃』という生易しいものではなく、空を物理的に埋め尽くす鉄の雨であった。ババエスキ前方に展開していた神聖ローマ帝国の装甲部隊は、照準を合わせる暇もなく、濃密な弾幕の中に消失していった。1門あたり数秒間隔で放たれる自走砲の連射は、敵の進撃路を文字通り耕し、精鋭たちの進軍を泥と炎の地獄へと変えた。
傍らに立つオスマン帝国陸軍の将校たちは、自軍の保有数を遥かに凌駕する圧倒的な物量に息を呑んだ。だが、真の衝撃はここからであった。砲煙を切り裂き、ババエスキの丘陵から姿を現したのは、旭日旗を翻した鋼鉄の津波である。15個機甲師団から放たれた3750輌の戦車、そして42個の機械化歩兵師団に直轄された独立戦車大隊の群れ。総数6690輌という、大規模な機甲戦力が、神聖ローマ帝国の電撃戦を正面から粉砕すべく逆襲を開始したのである。
大日本帝国の兵站線は、この巨大な鋼鉄の獣たちに、止まることのない弾薬と燃料を供給し続けていた。後方に控える数千輌の予備戦車が、損耗を恐れぬ果敢な突撃を可能にしていた。神聖ローマ帝国の戦車兵たちは、撃破しても撃破しても、地平線の彼方から湧き上がってくる日本軍の戦車群に、初めて数と密度の絶望を味わうこととなったのである。
本間司令官は、指揮車の中で冷静に戦況を見つめていた。彼の指揮下にある日本軍の機械化歩兵は、九七式装甲兵員輸送車から飛び出すや、最新鋭の自動火器で敵の随伴歩兵を圧倒していく。神聖ローマ帝国陸軍は、ババエスキの市街地を目前にしながら、大日本帝国陸軍の『鉄の壁』に一歩も進むことができず、その場に釘付けにされた。
撤退を許さぬ神聖ローマ帝国陸軍の矜持が、彼らをその場に踏み止まらせた。しかし、それは死地への固執でもあった。本間司令官は、ついに温存していた3個空挺師団への降下命令を下す。イスタンブールを守る盾は、今や敵の喉元を突く剣へと変わろうとしていた。
1939年9月7日、ババエスキ。この地で示された大日本帝国の圧倒的な工業力と組織力は、第二神聖ローマ帝国の野望を粉砕するだけでなく、オスマン帝国の再興を世界に知らしめる歴史的な号砲となったのである。本間司令官の視線の先には、敗走を拒み火焔の中で喘ぐ敵軍の残骸と、勝利を確信し咆哮を上げる大日本帝国オスマン帝国合同軍の勇姿があった。




