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鉄と海の帝国  作者: 007
第3章 混迷

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先遣部隊3

1939年9月3日。オスマン帝国帝都イスタンブール、ドルマバフチェ宮殿。オスマン帝国皇帝スルタンアブデュルメジト2世が臨席しての、オスマン帝国軍最高戦争指導会議が開催されていた。それはオスマン帝国軍首脳陣全員と、オスマン帝国に派遣されたオスマン派遣軍司令官本間雅晴大将が参加していた。オスマン帝国軍最高戦争指導会議は名前がややこしいが第一次世界大戦前に、大日本帝国からの各種援助による軍制改革で大日本帝国皇軍統合作戦司令本部を参考に設置されたものになる。オスマン帝国皇帝アブデュルメジト2世をオスマン帝国軍大元帥として、オスマン帝国軍最高戦争指導会議議長が陸海空軍を統合的に指揮するものだった。

オスマン帝国皇帝アブデュルメジト2世は本間司令官に、感謝の言葉を述べた。何せ第二神聖ローマ帝国陸軍の侵攻によりオスマン帝国が動員した兵力は約80個師団約160万人・戦車は約800輌・航空機は約700機・火砲約1800門だが、本間司令官が率いるオスマン派遣軍は60個師団であり予備兵力30個師団も有するものだったのだ。

そのオスマン派遣軍はまさに大日本帝国の『工業力の暴力』とも言える規模に達していた。何せ60個師団の内訳は、機械化歩兵師団42個、機甲師団15個、空挺師団3個の合計60個であった。そしてオスマン派遣軍の戦車保有数は6690輌となっていた。15個の機甲師団がそれぞれ約250輌を保有(3750輌)し、42個の歩兵師団にそれぞれ『独立戦車大隊(70輌)』が配備(2940輌)されていたのだ。更に常に数千輌の『予備(補充用)』が後方に確保されていたのである。

火砲の保有数も膨大な数であった。大日本帝国陸軍の最大の特徴は『砲兵火力』であった。師団重砲部隊が凄まじい数だった。機械化歩兵師団、機甲師団、空挺師団に配備されている榴弾砲や自走砲、自走噴進砲を合計すると12500門にも及んだのだ。

この為に大日本帝国陸軍が派遣したオスマン派遣軍は、オスマン帝国陸軍の全戦力を上回る規模の大軍であったのだ。その大軍は数も然ることながら『密度』も膨大なものであり、弾薬の消費量と補給能力は他国を隔絶するものだった。

そしてその補給兵站線を維持する能力は、オスマン帝国への大規模軍事援助に貢献しており第二神聖ローマ帝国との死闘を続けられる理由となっていた。オスマン帝国皇帝アブデュルメジト2世の言葉に本間司令官は、何としてもオスマン帝国を第二神聖ローマ帝国の侵攻から守り抜くと断固とした決意を表明した。

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