再編成2
そして空軍も大規模な派遣による再編成が行われる事になった。大日本帝国空軍は第二次世界大戦開戦時には、保有機数約4950機を誇る規模であった。世界的に大艦巨砲主義による海軍の戦艦優先思想が根本的にある為に、空軍の役割としては制空権確保と爆撃機による戦略・戦術爆撃となる。だが第二次世界大戦に於いて第二神聖ローマ帝国によるヨーロッパ侵攻と、大日本帝国による中華民国侵攻に於いて空軍は陸軍支援による『対地攻撃』に最良の動きを見せていた。特に中華民国侵攻では大日本帝国空軍による戦略爆撃が、中華民国無条件降伏に貢献しておりその事は皇軍統合作戦司令本部でも注目されていた。
そこで航空機の有用性が見直され、今迄以上に航空機大量生産体制を構築し空軍を大規模に拡大する事になったのである。それにより陸軍の『空の盾』という役割を担う事になった。そしてロシア帝国とオスマン帝国には新たに『航空集団』を再編成により新設し、それぞれにロシア航空集団とオスマン航空集団として派遣する事にしたのである。
中華民国での運用から戦略爆撃を主力とする航空集団と、戦術支援を主力とする航空集団にして編成する事でより大規模にそれぞれの役割分担による行動を可能にしようとしていた。
第二次世界大戦開戦と中華民国での運用により新型機開発は圧倒的といえる程に加速されており、戦略爆撃機・戦術爆撃機・戦闘機・戦闘爆撃機・輸送機と、多種多様な機体が大日本帝国各財閥の軍需企業が開発していた。従来機も大量生産が行われておりロシア帝国とオスマン帝国に、大規模軍事援助として提供されていた。
中華民国侵攻によって世界に見せつけられたのは大日本帝国空軍の凄さは単なる『数』だけで無く、『大量の機体を常に整備し、燃料と弾薬を補給し続け、毎日飛ばし続けた』という、バケモノのような補給能力にあったのである。第二次世界大戦開戦時の大日本帝国空軍の保有機数約4950機という数は世界最大では無く、第二神聖ローマ帝国やアメリカ合衆国に劣る数字だったが常に万全な状態で飛行可能なのは大日本帝国空軍だけだったのである。
そしてその機体総数も第二次世界大戦開戦による大量生産体制構築により、猛烈な勢いで拡大し続けていたのだ。大日本帝国全土の工場が『戦時体制』に移行し、自動車工場等も一斉に航空機生産を開始していた。その生産体制はある種常軌を逸するものであり、『1時間に1機』のペースで戦略爆撃機が完成するような異常な生産能力になっていたのだ。
それは戦時中という事もあり更に加速される事はあっても、衰えを知らぬものだった。そして既存の工場だけで無く各財閥の軍需企業は工場の新設も行っていたが、単に工場を増やしただけでなく、『生産の標準化』も徹底して行われた。各財閥傘下の自動車企業も航空機生産に参入し自動車の大量生産ラインを航空機製造に応用し、巨大な工場で文字通り『流れるように』機体は作り上げられていった。そして増殖を続ける航空機を運用する為に操縦士の訓練課程も確立された。
機体だけ増やしても操縦士がいなければ意味がない為に大日本帝国は広大な土地を使い、数万人の操縦士を同時に育てる巨大な訓練インフラも同時に皇軍統合作戦司令本部が作り上げたのであった。




