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想いはいつまで憶えられているのだろう?  作者: 並矢美樹
パンドラの箱の底には
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43/45

写真



 かなり後年のことになるが、父が若くて死んで、その後長生きした母が呆けて、気がついたら隠されていた場所がゴミ箱みたいになっていた。

 高齢者のゴミ屋敷というのはテレビでは見ていたが、自分がその現場に立つことがあるとは思わなかった。

 そもそも母の住む私の実家は、仕方なく後を継ぐことになった商売の店でもあるのだから、私は別居していても毎日そこに通っていたのだ。 ただし、私が見るのは店の中と、仕事の合間や食事の時に使う居間がほとんどで、別居にして少しの頃から他の部屋などはほとんど見ることがなかった。 そして呆けてきたのがまだ判然としない時期には、母は私が他の場所を見ることを嫌うようになり、それに対して言い合いをするのも面倒に思えて、私は仕事をするのに必要な場所以外に踏み込むことをしなくなっていたのだ。


 そんなこともあって、母が呆けて、いやこの書き方だと差別的な言葉とされてしまうのだろうか、言い換えて、認知症が確定してどうにもならなくなってから、実家の惨状を急に知ることとなったのだった。

 不思議に思われるかも知れないが、こんな風になる経過は、もう少し後で書くことになる。

 今はその時のゴミ処理、と一言で括ってはいけないのだが、その処理で困ったことについてだ。


 父は今の基準で考えると若くして死ぬことになったのだが、母はその遺品をほとんど全てそのままに残していた。

 店舗併用の多くの家族で住むことを前提にした家は大きく、母が1人で住むだけになっていたから、物を置いておくスペースに困らなかったこともあるだろうが、さすがに死んで30年以上経つ人の物が、そのまま沢山残っているのは、ちょっと異様さを感じさせられた。

 ま、実質的にはほとんど全てゴミである。


 その中で、あまりの量の多さに驚いたのが、古い写真である。

 教師をしていた時代の教え子だと思われる子供の写真が、それこそ山のように出てきたのだ。 当時の様々な行事の記録のような物は分かるが、日常のスナップ写真のような物も沢山あった。

 今のように、スマホやデジカメで気軽に撮影できるのとは、時代が違う。 全てまだ高級だったカメラに、安くないフィルムを入れて撮影し、カメラ店で現像焼き付けという手間とお金をかけた物なのだ。

 そんな物が、アルバムとして整理されている物も中にはあったが、多くはただ紙袋やビニールの袋に適当に投げ込まれていた。 割と冷暗な場所に保管されていたから、保存状態としては悪くないのではないかと思ったのだが、何十年もの年月を経た写真は、白黒ではあっても色が薄くなっていたりして鮮明さを失くした物も多かったし、くっついてしまって剥がれない物も多かった。


 当時の学校教育の日常風景とか、遠足、修学旅行と思われる旅先の風景とか、ちょっと資料として面白いと思わなくもないのだけど、その膨大な写真を所有していた本人はとっくの昔に死んでいて、いくらかはその写真のことが分かったであろう母も、もう認知が進んで何も分からない。 きちんと整理されていて、それぞれの写真の撮影時期と場所が判れば、それでも資料になるのだろうが、ほとんどが乱雑に纏められているだけで、纏めた本人以外では訳が分からない。

 少し勿体無いと思いながら、全てゴミとして処分するよりなかった。


 大量の写真をゴミとして処理しているうちに、一つ疑問に思ったことがあった。

 この大量の写真はいったい誰が撮影した物だったのだろうかという疑問だ。

 ま、考えるまでもなく、大量に残っている印画紙に現像された写真だけでなく、触ると経年劣化でポロポロと崩れてしまうフィルムまで出て来たのだから、撮影者は明らかに父である。

 私がそれでも疑問に感じてしまったのは、父がカメラで撮影しているという記憶を、咄嗟には思い出せなかったからだ。


 それは少なくとも、私が完全に物心ついてから、つまり小学生になった頃以降、父がカメラを持って写すという行為を見たことがなかったからである。

 だけど待てよ、記憶をもっと遡ってみると、父は明らかにカメラマニアであったのではないかと思うことがある。

 小さい頃のことを、よくよく考えてみると、私は父に写真を撮ってもらったことが、確かにある。 その撮ってもらった写真を見た記憶もある。

 いつ見たのだろう。 考えてみて、祖母あいの葬式の後、その祖母あいが大事にしていたビスケットの缶の中に写真もあって、その中に私や妹の幼い時の写真があった。 それを私は思い出した。


 だがやはり疑問もある。

 捨てるのに苦労した大量の写真の中に、父の撮った家族の写真は全くなかったのだ。 古いアルバムには、父の学生時代に撮ったと思われる写真さえあったのに、父の遺品と思える物の中に、家族の写真はなかった。

 後日、母の方の遺品のアルバムの中に、私と妹の幼い時の写真がほんの数枚見つかったけど、それはたぶん父が撮った物では無い。

 すっぱりと父の撮ったはずの写真は、祖母が保管していた数枚を除き、家族の写真は失われていたのだ。


 もう少し、頭の中の記憶を探ってみると、やはり父はカメラマニアであった疑惑が濃くなる。

 父は、私を連れてカメラ店で時間を過ごすことがあった。 その時にカメラ店の主人が父に見せて、父の欲が大いに刺激されていたのが、NikonFだった。

 なぜ覚えているかというと、その当時としては一眼レフという独特の形もあるのだが、レンズやカメラの後部がバカっと外れることに、幼い私は興味津々だったので、その記憶はしっかりとあるからだ。 NikonFだったということは、後年になってから知ったのだけど。

 そして父の愛機はオリンパスpenSだった。 これも覚えている。 そしてたぶん、それ以前に使っていたカメラもあって、ライカだったように思うが、こっちははっきりしない。

 penSを愛用するようになったのは、それ以前に使っていたのの倍の枚数が撮れるから、という理由だったのも、何故か覚えている気がする。 penSはハーブサイズ、つまり例えば12枚撮りのフィルムロールで、24枚撮れたので経済的だったのだ。


 なんだ、結構カメラと結びつく父の記憶があるじゃないか。

 それはそうだよな、保育園の遠足に、母の代わりに祖母が付き添うので、その埋め合わせに子供用のカメラを父は私に買ってくれた。

 そんなことをする父親本人が、カメラに興味がなかった訳がない。 カメラ屋で時間を潰せるようになるほど、そこの店主と仲良くなる訳がない。


 しかし、それからすぐに、パタっと父は写真を撮るという行為を全くしなくなってしまっていて、家族に関しての写真は処分してしまったのだろう。

 そうやって思い返してみると、兄が施設に入所していた時には、私や妹もカメラで撮っていたような気がする。

 兄が戻ってきてすぐが、私の保育園時代だから、まだその時はカメラに関心を持っていたはず。


 でも、小学校に入った時の入学時は、その記念の写真を母がpenFではない、何か小さいカメラで、私を撮った気がする。

 私の保育園の遠足から、小学校の入学までのわずかな間に、きっかけとなる何かがあったのか、どういう心境の変化だったのか、私には想像することも出来ない。

 ただその頃から、父は写真を撮らなくなったし、過去に私を含めた家族を撮った物は、手元にある物は全て処分してしまったという事実だけだ。


 家族関係もこの頃から徐々に問題が表面化して来始めた気がする。

 それは私や妹が成長し、自我が芽生え始めてきたからだけじゃなかったと、今では思う。


 今になって少し思うのは、父は兄が施設を退所することに反対だったのではないか、という可能性だ。

 施設で生活させることに耐えられなかった母に、押し切られる形で、元の家庭内で暮らさせる状況に戻すことになったが、それを父は良い選択だと思っていなかったのではないだろうか。


 可哀想だから、という理由でまた家庭内のみの生活にすることが、もう年齢としては中学生になる兄に撮って良いことなのか。 そしてそんな兄と共に生活することが、下の子たちに対してどんな影響を与えるのか。

 それにも増して、もしかするとこのまま兄は若死にするということにはならないのではないかという、希望とそれ以上の不安。

 父は、その当時の男として、家庭に対する責任に雁字搦めになって、不安と焦燥に駆られていたのではないだろうか。


 これは父が死亡した年齢を大きく既に超えている私の、勝手な想像でしかない。

 カメラで撮ることを止め、写真を捨てたことも、そんな心の現れだったのかも知れない、なんて思うのは。


 だけど、やはり戦後すぐのまだ世の中が貧しかった時代に、カメラを趣味にしていたのは、やはり私の父は一面どうしようもないボンボンだったのでは、とは思う。


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