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『地元に戻ると、俺がストーカーになっていた』  作者: こうた


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第1話 梅田で、初恋の女に会った

 大阪・梅田。


 夕方六時を過ぎても、街には人が溢れていた。


 仕事帰りの会社員。


 買い物袋を抱えた女性。


 学校帰りの学生。


 そんな人々が行き交う通りの一角に、小さな洋菓子店がある。


 店の名前は――『パティスリー・シエル』。


 フランス語で「空」を意味する名前だ。


「ありがとうございました。またお越しください」


 最後の客を見送った俺は、店の時計を確認した。


 午後七時半。


「ふぅ……今日も終わったか」


 厨房に戻る。


 ショーケースには、まだいくつかのケーキが残っている。


 モンブラン。


 フランボワーズのムース。


 ショコラケーキ。


 そして、店の看板商品であるフランス仕込みの苺のタルト。


 開店当初は、こんなに売れるとは思っていなかった。


 今では週末になると行列ができる。


 雑誌にも何度か掲載され、テレビの取材まで来た。


「しげる、今日も売れたね」


 後ろから声がした。


「エレーヌか」


 振り返る。


 そこには、長い金髪の女性が立っていた。


 身長は俺よりかなり高い。


 モデルのようなスタイル。


 青い瞳。


 フランス人らしい整った顔立ち。


 彼女の名前はエレーヌ。


 俺の婚約者だ。


「今日、ほとんど売れちゃったじゃない」


「ありがたいことやな」


「日本に来てから思ったけど、大阪の人って本当に甘いもの好きね」


「大阪だけやないと思うけどな」


「そう?」


「せやけど、大阪人は美味しいもんには厳しいで」


 俺が笑うと、エレーヌも笑った。


「あなたも大阪人になったわね」


「俺は生まれは新潟やけどな」


「新潟……」


 エレーヌの表情が少し変わった。


「佐渡島、だったわよね?」


「ああ」


「いつか一緒に行きたい」


 俺は一瞬、黙った。


「……まあ、そのうちな」


「またそれ?」


「なんやねん」


「あなた、佐渡の話になると、いつもそうやって逃げる」


「……」


「何かあるんでしょう?」


「別に何もないって」


 そう言いながら、俺は冷蔵庫を閉めた。


 佐渡。


 その名前を聞くだけで、胸の奥に嫌な感覚が蘇る。


 俺は18歳のとき、故郷を出た。


 それ以来、一度も帰っていない。


 帰りたいとも思わなかった。


「しげる?」


「ん?」


「……ううん。何でもない」


 エレーヌはそれ以上、聞かなかった。


 その優しさに、俺は救われていた。


 彼女と出会ってから、俺は過去を考えなくなった。


 東京へ行った。


 フランスへ渡った。


 パティシエとして働いた。


 そして今、梅田で自分の店を持っている。


 婚約者もいる。


 俺は幸せだった。


 本当に、そう思っていた。


 ――その女性が店に入ってくるまでは。


 カラン。


 閉店間際のドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ」


 反射的に声を出す。


 女性が一人、店内に入ってきた。


 白いブラウス。


 落ち着いた色のスカート。


 肩まで伸びた黒髪。


 派手さはない。


 だけど、なぜか目を離せなかった。


 女性がショーケースを見つめる。


「……苺のタルト、まだありますか?」


「はい。ございます」


 俺はショーケースへ向かった。


「こちらですね?」


「……はい」


 女性が顔を上げた。


 その瞬間だった。


 時間が止まったように感じた。


 俺の手が止まる。


 息が詰まる。


「……え?」


 12年。


 忘れたことなんて、一度もなかった。


 だけど、もう会うことはないと思っていた。


「……みさき?」


 女性の目が大きく開いた。


「……」


 何も言わない。


「みさき……だよな?」


 彼女の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「……しげる、君?」


「ああ……」


 声が震えそうになる。


「久しぶりやな」


 ようやく出した言葉だった。


 みさきは何も答えなかった。


 ただ、俺を見つめている。


 懐かしさ。


 驚き。


 そして――恐怖。


 俺は、その表情を見て戸惑った。


「……どうしたん?」


 一歩近づこうとした。


 その瞬間。


 みさきが一歩後ろへ下がった。


「来ないで……」


「え?」


「お願い……」


「みさき?」


 みさきの手が震えている。


「なんで……」


 小さな声だった。


「なんで大阪にいるの……?」


「いや、俺はここで店やってるから……」


「違う」


「え?」


「どうして……私のところまで来たの?」


 意味が分からなかった。


「何の話や?」


 みさきは俺を見つめた。


 その目には、12年前にはなかった感情が浮かんでいる。


 恐怖。


 警戒。


 そして――怒り。


「……まだ私を追いかけてるの?」


「……は?」


 頭の中が真っ白になった。


「何を言ってるんや……?」


 みさきは唇を震わせながら言った。


「私、ずっと怖かったんだよ……」


「……」


「佐渡を出てからも……ずっと……」


 俺は何も言えなかった。


 みさきは涙を浮かべながら、俺を見る。


「どうして……今さら私の前に現れたの?」


「待ってくれ」


 俺は首を振った。


「俺は――」


 言葉が出てこない。


 俺は12年間、一度も佐渡に帰っていない。


 もちろん、みさきのあとを追ったことなんて一度もない。


 それなのに。


 みさきは俺を見て、怯えている。


「俺は……何もしてへん」


 みさきは首を横に振った。


「……嘘」


「嘘ちゃう」


「じゃあ、どうして……」


 みさきの目から、一筋の涙が落ちた。


「私のこと、ずっと見てたんでしょう?」


「……何を言ってるんや」


 その瞬間。


 俺の頭の中に、12年前の光景が蘇った。


 佐渡。


 高校。


 みさき。


 そして――


 あの日、俺を責めた同級生たちの顔。


 俺は思わず目を閉じた。


 忘れたかった。


 ずっと忘れていたかった。


 なのに。


 12年経った今。


 過去は、俺の前に戻ってきた。


 しかも――


 俺をストーカーだと言う、初恋の女性と一緒に。


「俺は、何をしたことになっているんだ?」

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