第382話 サンディの湯 〜女湯〜(前編)【挿絵あり】
――サンディ家屋敷・女湯。
そこは男湯と同じく、温泉が引かれた大露天風呂である。
――要するに、男湯と竹柵一枚で仕切られた空間ということだ。
いずれにせよ立派な風呂場ではあるが、女湯の使用頻度は数年に一回程度――国内外から女性の来賓が訪れた際のみだ。
現在、サンディ家の家臣団、使用人、兵士は全て男性で構成されている。
先代、先々代当主の時代には侍女が多く在籍しており、女湯も毎日使用されていたが、今ではめっきり出番が無くなった。
とはいえ、急遽訪れた彼女たちが癒やしのひと時を過ごせるのも、日々のメンテナンスを怠っていないためである。
――そして、湯けむりの中には、当面の間この女湯を利用することになる、彼女たちの姿があった。
風呂椅子に腰を下ろし、ヘチマのスポンジを手にする金髪ロングヘアーの女性は――ヨネシゲの愛妻『ソフィア・クラフト』だ。
その年齢を感じさせない色白の美貌と曲線美、たわわな膨らみは、男性のみならず女性の視線も釘付けにさせてしまう。
ソフィアはスポンジにボディーソープを馴染ませると、泡立てて自分の身体を洗う――のではなく、太ももの上に腰掛ける黄色の珍獣の胴体を洗い始める。
「閣下さん、早速身体を洗ってあげますね!」
「うむ! 優しく丁寧に頼むぞ!」
両腕を上げてソフィアに身を委ねる珍獣――『イエローラビット閣下』の身体が泡に包まれていく。
一方のソフィアは、汚れ切った黄色い体毛をスポンジで丁寧に擦るが、時には力強く、ゴシゴシと頑固な汚れを落としていく。
「お……おお……これは……いいぞ……ソフィア、腹回りは特に優しく頼む……」
「優しくですね? では……手洗いで失礼しますね――」
「ぬほっ?!」
閣下の要求に応えるソフィア。彼女は珍獣の身体を軽々と持ち上げると、自身の胸元で抱きかかえながら、その黄色い腹を素手で撫でるように洗う。
豊かな谷間に挟まれながら洗われる閣下はご満悦の表情を見せる。
「フッフッフッ……長旅の疲れが癒やされるわい……」
「ウフフ、なら良かったです」
その後も全身を隈なく洗われたイエローラビット閣下は、ピカピカの状態で浴槽にダイブ――泳ぎ回る。
ソフィアがその様子を微笑ましく見つめていると、女湯に漆黒のロングヘアを持つ美魔女――マロウータンの愛妻『コウメ・クボウ』が、手ぬぐいを肩に掛けながら姿を見せる。
「おーほほっ! お待たせ、ソフィアさん」
「奥様、お先に入らせていただいております」
コウメはソフィアの元まで歩み寄ると苦笑を見せる。
「ソフィアさん、あんまり閣下を甘やかしちゃダメよ? あの珍獣はすぐ調子に乗っちゃうから」
「ふふふ……程々にしておきます。でも、大人しく洗われる閣下さんは可愛らしかったですよ?」
「おーほほっ! ダメよ〜、あんな珍獣を子猫や子犬と同じ目で見たら。そのうち痛い目に遭わされちゃうわよ?」
「ふふっ、気を付けないといけませんね」
コウメはソフィアとそんな会話をしながら風呂椅子に腰を掛ける。すると透かさずソフィアがスポンジ片手に彼女の背後に回る。
「奥様、お背中をお流しします!」
「おーほほっ! ありがと。ではお言葉に甘えて――」
するとコウメは、スポンジを手にしたソフィアの手を掴む。
「奥様?」
「スポンジは不要よ。『愛情手洗い』でお願いしますわ」
「ええっ?!」
赤面させながら驚くソフィアにコウメが言う。
「ほら、以前私がしてあげたように洗ってちょうだい」
「えーとっ……その……――」
ソフィアの記憶が蘇る。
それは王都クボウ邸で暮らすことになった初日――コウメと風呂に入った時のこと。彼女はクボウ夫人の『愛情手洗い』で全身を隈なく洗われてしまったのだ。
ソフィアは唾を飲み込む。そして――
「わ、わかりました……やらせていただきます……『愛情手洗い』を!」
「おーほほっ! そうこなくちゃ! さあ、来て! ソフィアさん!」
「はい!」
意を決したソフィア。
彼女はボディーソープを馴染ませた両手をコウメの身体に向かって伸ばすのであった。
――その隣。
黒髪ショートヘアの女性『シオン・クボウ』が、同じく黒髪ミディアムヘアの少女『カエデ』に背中を洗われる。
そしてカエデがシャワーを使い、シオンの背中を丁寧に洗い流していく。
「――お、お嬢様、な、流し足りないところは、あ、ありませんか?」
「………………」
「お、お嬢様?」
カエデが尋ねるも返事がない。
それもその筈。シオンは顔を蕩けさせながら思いに耽り、自分の世界に入り込んでいるのだから。
するとカエデはシオンの耳元に顔を近付けると、大きな声で呼び掛ける。
「お……お嬢様っ!」
「へあっ?!」
案の定、シオンが驚いた様子で飛び跳ねる。一方のカエデは頭を下げながら訊く。
「す、すみません……あの……な、流し足りないところは……ありませんか?」
シオンがハッとしながら返答。
「あっ、私の方こそごめんなさい……大丈夫よ、ちゃんと洗い流せてるわ」
「よ、良かったです――」
安堵の笑みを浮かべるカエデだったが、シオンにあることを尋ねる
「あ、あの……」
「どうしたの?」
「あ、はい……も、もしかして――ヒュバート王子の事を考えていたのですか?」
「……え? あはっ、あはははは……バレていましたか……」
「は、はい……幸せそうなお顔をされていましたので……」
「ええ……とても幸せなことを……考えていたわ……」
的を射るカエデの言葉。シオンは恥ずかしそうに頬を赤くしながら、頭を掻くのであった。
「――では、カエデちゃん。今度は私が背中を洗ってあげるわ」
「い、いえ! そ、そんな! わ、私なんかが、も、申し訳ないです!」
「フフッ、今日は無礼講だから、遠慮はしないの」
「は、はい……では……お言葉に甘えて……――」
シオンの厚意を受け取ったカエデ。風呂椅子に座ると、令嬢が間髪入れずにスポンジで彼女の背中を擦り始めた。
程なくすると少女の口から濁った声が漏れ出す。
「――あ"あ"〜……」
「あら? カエデちゃん、おじさんみたいな声を出してどうしたの? あっ、もしかして痛かった?」
「い、いえ! ち、違うんです! そ、その……気持ち良すぎて……思わず声が……」
「フフッ、そうだったの? じゃあ、このままの力加減で大丈夫そうね?」
「は、はい……」
そしてシオンがしみじみと話す。
「――こうして、カエデちゃんの背中を洗うのも、あの日以来ね……」
「え、ええ……お嬢様が旦那様と一緒に戻られた……あの日以来です……」
「南都もそうだったけど……王都に到着してからも色々とあったわ……波乱万丈と言いますか……でも……お陰でヒュバート王子と出会えました……」
「き、奇跡の出会い……い、いえ……運命の出会いだったかもしれませんね?」
「フフッ……きっと……運命の出会いだったのでしょう……私はそう信じております……」
「素敵です……」
「ありがとう……まるで壮大な物語の主人公になった気分よ……――」
ここで突然、シオンのスポンジを持つ手が止まる。不思議に思ったカエデが振り返ると、そこには悲しそうに俯く令嬢の姿があった。
「……お嬢様?」
「……いえ。今の表現は不謹慎ですわね。ここに至るまでの間、多くの尊い命が失われました。更に王都は改革戦士団に奪われ、多くの民が人質に取られております……
――果たして……民を守る立場にある私が……民を差し置いて……幸せを手にしてもよろしいのでしょうか……?」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべるシオン。
――直後、彼女の全身が温もりに包まれる。
「カ、カエデちゃん!?」
シオンが驚くのも無理はない。カエデが自分のことを優しく抱擁しているのだから。――お互い、一糸纏わぬ姿で。
そして少女ははっきりとした口調で優しく語り始める。
「――考えるのはもうお終いですよ。
せめて今日だけは幸せを噛み締めてください――いえ、これからもずっと……幸せを噛み締めてください。
幸せになることは誰もが持つ権利なのです……
そして……お嬢様の民を想うお心は、私も含めて、多くの人が知っております。断言します、お嬢さまの民を思うお心は本物です!」
「カエデちゃん……」
「ですから……今は目の前に訪れた幸せをいっぱい、いっぱい……噛み締めてください。
お嬢様のお心が幸せで満たされたら、溢れ落ちた幸せを、民たちにおすそ分けしてあげてください。
ご自身が幸せにならなければ……周りの人たちを幸せにはできませんから……」
カエデの言葉を聞き終えたシオンが嬉しそうに微笑む。
「フフッ……惚れちゃうじゃない……カエデちゃん……――」
「……っ?! はわわっ?!」
シオンもまたカエデの身体に腕を回し、力強く抱きしめる。
「私……カエデちゃんに乗り換えちゃおうかしら……?」
「お、お嬢様?! ダ、ダメですよ! そんなの!」
「あっはっはっ! 冗談よ――」
シオンは、混乱するカエデから身体を離すと、その瞳を真っ直ぐと見つめる。
「ありがとう、カエデちゃん。お陰で自分を見失わずに済んだわ」
「良かったです」
「カエデちゃんの言う通り、ヒュバートと幸せな家庭を築き上げて、溢れ落ちた幸せで民たちを救ってみせるわ!」
「それでこそお嬢様です!」
二人は互いに顔を見合わせるとニッコリと微笑んだ。
――その直後のことだ。
出入口の引き戸がゆっくりと開かれる。
シオンとカエデが出入口に視線を移すと、そこには全身にバスタオルを巻き付けた王女――『ノエル・ジェフ・ロバーツ』がモジモジした様子で風呂場内を窺っていた。
ところが、ノエルは引き戸を閉め始めると、そのままフェイドアウトしようとする。
だが、王女を呼び止めるようにシオンの大声が轟く。
「お義姉様!」
「!!」
『お義姉様』――呼ばれ慣れない言葉にノエルが顔を強張らせる。
ちなみに年齢はノエルの方がシオンより一つ下である。しかし系譜上ではノエルの弟ヒュバートと結婚したシオンが彼女の義妹となる。
そんな義妹はノエルの元へ駆け寄ると、心配そうに尋ねる。
「お義姉様、どうされましたか? 一緒に入りましょう?」
「あ、はい……実は……私……誰かとお風呂に入ることは……初めてでして……あの……恥ずかしくて……」
無理もない。箱入り王女だった彼女が人前で裸を晒す機会など皆無である。
一方のシオンは義姉に微笑みかけると、その手を優しく握る。
「シオン殿下?」
「お義姉様、ここには殿方も居りませんし、恥ずかしがる必要なんてありませんよ?
それにここに居る女子たちとは、当面の間一つ屋根の下で暮らすのですから、家族同然の存在です。
裸の付き合いでより一層親睦を深めましょう!」
「……わかりました。シオン殿下――」
「フフフ……殿下ではなく『シオン』とお呼びくださいな、お義姉様」
「わかりました。では……シオンも、私のことは『ノエル』と呼んでいただけると嬉しいです……」
「はい! わかりましたわ、ノエル!」
自然と表情が緩むシオンとノエル。
そしてノエルの緊張も解れたのか、自らバスタオルを外し、義妹と共に大露天風呂へと足を踏み入れた。
――だがしかし。
艶っぽい声が大露天風呂に響き渡る。
義姉妹が視線を向けた先には――ソフィアに愛情手洗いされるコウメの姿があった。
「ソ、ソフィアさん……いい……いいわよ……ダーリンよりも丁寧だわ……今度は……前の方も……念入りに……アハッ……!」
「お、奥様……声が……大き過ぎます……」
一連の様子を目撃したノエルが顔を引き攣らせる。
「ねえ、シオン……これが……裸の付き合いですか?」
「違います。断じて否定します。あれは過剰すぎるスキンシップです……」
シオンは痴態を晒す母を見つめながら、呆れた表情で頭を押さえるのであった。
――竹柵の向こうから女湯を覗き見るゴシック服の女性。彼女は女性陣の胸を眺めながら勝ち誇った笑みを見せる。
「クックックッ……大きい人も居るけど……私の圧勝ね……」
だがその表情がすぐに歪むことになる。何故ならば、憎悪の対象――銀髪三つ編みお下げの女性が女湯に姿を見せたからだ。
「チッ……目障りな女が戻ってきたか。おまけに私より大きいとは……許すまじ!」
ゴシック服の女性は、怒りで声を震わせながら、テレサに首根っこを掴まれながら連行されてきたエスタを睨むのであった。
一方、大露天風呂内の物陰では、ご機嫌の様子で浴槽を泳ぐ珍獣に狙いを定める白猫――『ニャッピー』の姿があった。
「アホ面こいて泳いでいられるのも……今のうちザマスニャ……――」
この時、女湯には――トラブルメーカーが集結していた。
つづく……




