第379話 初夏の風
――時は少し遡る。
それはヨネシゲたちがリッカの街に出掛けている最中のことだ。
サンディ家屋敷の一室では、テーブルを挟んで向かい合う二つの一族――王族とクボウ家の姿があった。
その面々は二人の男女――ヒュバートとシオンが書類にサインするところを静かに見届ける。
やがて二人がサインを終えると、宰相スタンが書類を確認。――ニッコリと微笑んだ。
「――書面上の手続きは全て完了しました。只今をもって、ヒュバート王子とシオン殿下は正式な『夫婦』となります」
その言葉を聞いたヒュバートとシオンが顔を見合わせながら嬉しそうに笑みを零す。一連の様子を見守っていた一同も安堵の表情を浮かべた。
国王ネビュラが新婚夫婦に祝福の言葉を送る。
「ククッ……結婚おめでとう。これで晴れて夫婦だな。父として、とても嬉しく思っている」
「「ありがとうございます」」
「お前たちはトロイメライの希望だ。これからは夫婦として共に支え合い、王国の安寧と繁栄の為に励んでくれ。お前たちの働きに期待しているぞ!」
「「はい!」」
元気な返事で応える夫婦。
するとネビュラが申し訳無さそうな表情で言う。
「本来であれば、この流れで婚姻の儀を執り行いたいところだが、急遽決定した婚姻故に儀式の準備が整っていない。それに……このような情勢だ。盛大に祝ってやる事もできん。全てはこの俺の力不足だ……許してくれ」
頭を下げるネビュラにヒュバートとシオンが気遣うように声を掛ける。
「父上。頭を上げてください。僕はシオンと婚姻を結ぶことができて、それだけで満足していますから」
「ええ、これ以上望むものは他にございません」
「すまんな……父としてはもっと祝ってやりたいところなのだが……」
「父上……」
「陛下……」
雰囲気が暗くなりかけたところで、マロウータンが扇を広げながら高笑いを上げる。
「ウッホッハッハッハッ! 今日はめでたい日じゃのう!」
白塗り顔はヒュバートに向き直ると深々と頭を下げる。
「ヒュバート王子。娘をよろしくお願いしますぞ」
「うん。シオンは……僕が必ず幸せにしてみせるよ」
ヒュバートは拳を強く握りしめながら義父に宣言するのであった。
――その後。
屋敷の庭園には散歩するヒュバートとシオンの姿があった。
「広い庭だね」
「はい、流石サンディ様のお屋敷です」
「こうして、君とのんびり散歩するのは、初めてかもしれないね?」
「そうですね……まあ、強いて言えば、ヒュバート王子がドリム城を案内してくれた時以来でしょうか?」
「まあ、あの時は急ぎ足だったからね。散歩とは呼べないよ」
「でも、ヒュバート王子と一緒にお城を回れて私は楽しかったですよ?」
「うん、僕も楽しかったよ」
思い出を振り返る二人。
ヒュバートがしみじみと語り始める。
「思い返せば……君と出会ってからは試練の連続だった」
「そう……ですよね……」
申し訳なさそうに瞳を伏せるシオンにヒュバートが優しく微笑みながら語り続ける。
「いや……悪い意味で言っているわけじゃないよ。前にも言ったけど、君は僕の強みだ。君が居なかったら、数々の試練を乗り越えられなかったと思う。それこそ役目を捨てて逃げ出していただろうね……」
シオンが言葉を返す。
「それは私も同じです。私が強い心を持ち続けられたのも、ヒュバート王子が居てくれたからですよ」
するとヒュバートがくすりと笑いを漏らす。
「フフッ……」
「どうかされましたか?」
「いや……君は僕が居なくても十分強い女性だと思うよ? 肝が据わっていて、男の僕より頼りになると思うけど」
シオンが頬を赤らめる。
「わ、私はこう見えても、結構か弱いんですからね?」
「そうかな? 本当にか弱い女性は自分でそんなことを言わないと思うけど?」
ヒュバートの言葉にシオンが頬を膨らませる。すると王子は意地悪そうに微笑む。
「フフッ……怒った顔も可愛らしいね」
「なっ?! 王子……わ、わざとですね……?」
「ごめんごめん……可愛いからつい意地悪したくなっちゃってね」
「……っ」
恥ずかしそうに赤面させながら俯くシオン。一方のヒュバートは彼女の手を握ると真剣な眼差しを向ける。
「ヒュバート王子……?」
「シオン……君のことは誰にも渡さないし、傷一つも付けさせやしない。全身全霊をかけて君を守っていくよ。君からしたら頼りない男かもしれないけど、末永く一緒に居てくれたら嬉しいよ……」
「勿論、天命を迎えるその時まで、ヒュバート王子と一緒に人生を歩んでまいります!」
「ありがとう」
「私の方こそ少々扱いづらいじゃじゃ馬かもしれませんけど……明るい未来のためにも、全力で王子をお支えしてまいります!」
「シオン、今日からよろしくね」
「ヒュバート王子……こちらこそ、よろしくお願いします」
互いの思いを伝え終えた夫婦。
ここでヒュバートからある依頼をされる。
「シオン、一つお願いがある」
「はい、なんでしょう?」
「『ヒュバート王子』ではなく『ヒュバート』と呼んでほしい……」
恥ずかしそうに言うヒュバート。シオンも頬を赤く染めながら応える。
「わかりましたわ……ヒュバート……――」
「シオン……――」
引き寄せられる二人――その唇が重なる。
昼下がりの庭園に、初夏の風が吹き抜けた。
――その頃。
屋敷の一室では、国王の大声が轟いていた。
「俺は認めんぞ!」
「陛下、どうかお認めください。エスタさまは……私の命の恩人なのです」
ネビュラと向き合う男女は――ウィンターとエスタだった。
ウィンターは自身とゲネシス皇妹との婚姻を認めてもらう為、国王を説得。だが決して首を縦には振らず。膠着状態が続いていた。
一歩も引かない臣下にネビュラが苛立った様子で言葉を続ける。
「皇妹殿下がお前の恩人であることは十分理解している。だがそれとこれとは別の話だ。
常識的に考えてみろ? ゲネシス帝国は此度のクーデターに少なからず関与しているんだぞ? その皇妹とこのタイミングで結婚したいと言われても、認められるわけがないだろう!?
それに元を辿ればレナと皇帝陛下が仕組んだ政略結婚だ。今ここでお前たちの婚姻を認めれば、それこそ皇帝陛下の思う壺ではないか?!」
「確かに……そうですが……」
ウィンターは唇を噛む。
勿論理解はしていた。エスタは自分にとって複雑な立ち位置となる人物。ましてや王国の現状を考えるとネビュラが婚姻を認めないのは当然のことである。
銀髪少年は自身の考えの甘さを痛感していた。
すると彼に代わり皇妹が口を開く。
「確かに私とウィンターは、兄と王妃殿下が決めた政略結婚で結ばれる予定でした。
ですが、それはゲネシスとトロイメライ、両国に安寧と繁栄を齎す為のものであり、政略結婚自体に野心などございません。
今更私とウィンターが結ばれたところで、兄が得をしたり、損をするようなことはないでしょう」
ネビュラが不機嫌そうな表情で踏ん反り返る。
「フン! トロイメライを敵視していた皇妹の言うことなんぞ信用できるか!」
「ウフフ。その言葉、そっくりそのまま国王陛下にお返ししますよ」
「何?」
「ま、とはいえ、つい先日までトロイメライを敵視していたことは事実。それこそこの子は私たちにとって最大の天敵でした。
ですが……ウィンターという人物を知り、また国王陛下の改心ぶりを目の当たりにして、私は考えを改めました。
これだけは言っておきます。今の私は――トロイメライの味方です」
そしてエスタが力強く訴える。
「今こそ、トロイメライとゲネシスが結束する時です。
具現岩が眠る王都を改革戦士団に奪われてしまったことは、我々ゲネシスにとっても脅威です。
それにトロイメライがこの状況に陥ってしまった原因はゲネシス側にもあります。その責任は果たさなければなりません。
そこで私が橋渡し役となって、ゲネシスとトロイメライの調和を図りたいと考えております」
しかしネビュラが指摘。
「調和を図るだと? 皇妹よ。貴女は皇帝陛下を裏切って我々に味方をしているのだろう? だとすれば、そんな妹にあの冷酷な兄が耳を貸すとお思いか?」
「確かに兄はドライな一面がありますが、話せばわかる男でもあります。おまけに両国を取り巻く情勢が急変しています。十分対話の余地があると思いますよ?」
「うむ……」
そしてエスタが考え込むネビュラの顔を覗き込む。
「ですので……ウィンターとの婚姻を認めてくださいな」
ところが――
「今の話を聞かされたら、尚更婚姻など認める訳にはいかん。我々が勝手に婚姻を認めたら、それこそ皇帝陛下は対話に応じてくれないだろう?」
皇妹が微笑む。
「では……対話に応じる考えがあるのですね?」
「それもまた……一つの選択肢だ」
「もし仮に、兄との対話で利害が一致した場合は……ウィンターとの婚姻を認めてくださいますか?」
「それは……その時考える」
国王の返事を聞いたエスタが席から腰を上げる。
「わかりました。それでは早速、兄に文を送りましょう。国王陛下が対話を望んでいると……」
一方のネビュラも慌てた様子でその場から立ち上がる。
「待て待て! まだ決めたわけではないぞ?! 勝手な真似をするな!」
「膳は急げというでしょう?」
そしてエスタが妖艶に微笑む。
「それに……早くしないと子供ができちゃいますよ?」
「な、何?!」
「婚姻前に他国の皇妹を孕ませたりしたら……これはもう国際的大問題ですよ?」
「冗談はよせ……間違ってもそのようなことは――」
「あ、ごめんなさい……ひょっとしたらもう――」
エスタは自分の腹を優しく撫でる。
「ウィンター! お前って奴はっ!」
「い、いえ! まだそこまでは……」
「そこまでだとぉ?!」
臣下を怒鳴りつける国王をエスタが宥める。
「まあまあ……ウィンターを責めないでください。その子を襲ったのは私ですから」
「くっ……おのれ……」
ネビュラは怒りを抑えながらエスタに尋ねる。
「もし、皇帝陛下が対話に応じなかったら……貴女はどうなさるおつもりだ? 言っておくが、そうなった場合、トロイメライに置いておくことはできないぞ?」
その質問にエスタは口元に指を当てながら考える。一方のウィンターは不安げな表情で彼女の答えを待つ。
「――そうですね。その場合は……兄に頭を下げて母国に帰りますよ」
国王が更に問い掛ける。
「もし……お許しにならなかったら?」
「どこか遠くに……移り住みますよ。せっかく手にした幸せを捨てて……」
エスタは悲しげに微笑みながら言葉を終える。直後、ウィンターが彼女の手を握る。
「エスタさま……!」
「ウィンター、そんなに悲しい顔をしなくても大丈夫ですよ。そうならない為に私も尽力しますから」
「はい……」
不安と悲しみが入り混じった表情――臣下が初めて見せる姿をネビュラは険しい表情で静観するのであった。
つづく……




