第373話 真実(後編)
――その日からだ。
妻が描いた物語をのめり込むように読み始めたのは。
気付けば、一日の殆どの時間を妻が描いた物語と共に過ごすようになる。――未だに受け入れ難い現実を忘れる為に。
何より、妻が描いた物語、妻の筆跡を辿っていると、すぐ隣に妻が居るような気分になれるのだ。もっと言えば――物語の果てで妻に会えそうな……そんな気がしてならなかった。
中でも俺の心を奪った作品は、所謂ファンタジーに分類される物語『英傑アーノルド 〜憂いのトロイメライ戦記〜』だ。
この物語は、カルムのヒーローと呼ばれる主人公『アーノルド・マックス』が、娘『サラ』や、アーノルドのライバル『ソード』と共に、世界征服を目論む『サミュエル』を討伐するといった内容だ。
しかし残念なことに、物語は途中で終わっており、その先の展開と結末は不明。作者である妻が亡くなってしまった以上、物語の果てを永遠に知り得ることができなくなった。
一方で物語の続きを想像することが俺の密かな楽しみとなる。
『あの場面でアーノルドは退いたが……俺だったら迷わず突き進むぞ……そうすればサミュエルもスマートに討伐できる筈だ……』
白紙部分を埋めているうちに――独自の物語が構築されつつあった。
『ヨッシャ! いっそのこと主人公は俺にしよう。俺がカルムのヒーローとして世直ししてやるよ!
そうなるとやっぱりソフィアとルイスも登場させたいな……姉さんたちも出てきたら賑やかになりそうだ!』
妻の描いた舞台で繰り広げられる俺だけの物語――そこには理想の光景が広がっていた。
(できれば俺もこの物語の中に入り込みたい……)
人はそれを空想、或いは妄想と言ったりする。気付けば俺は四六時中物語の空想に耽っていた。
やがて独自の空想世界は夢の中にまで出現するようになった。
困ったことに、記憶の整理が行われる夢の中では、思わぬゲストを招いてしまうことも――
『ダミアンっ!! ソフィアとルイスには指一本も触れさせないぞっ!! 怒りの鉄拳を喰らいやがれっ!!』
俺は夢の中で、妻子の命を奪った凶悪犯を――何度も殺した。
――でも足りなかった。
気付いたら普段の空想でも奴を登場させて、最大級の制裁を与えていた。
『これ以上の蛮行は許さねえ! この拳で叩き潰してやる!』
そして奴を抹殺した後は――
『あなた、ありがとう! 助かったわ!』
『流石父さんだ! まだまだ俺なんか父さんの足元にも及ばないよ……』
『シゲちゃん! 今回も出来したわね!』
『ヨネさんが居ればカルムは安泰だ!』
妻が、息子が、姉が、皆が……俺のことを褒め称えてくれた。
そして何より――
『ソフィア! ルイス! ただいま!』
『あなた、おかえりなさい』
『おかえり、父さん!』
――亡き妻子に会える……とても温かい場所だった。
空想の世界は俺の逃げ場であり、居場所となりつつあった――
――そんなある日のこと。
俺は妻子の助ける声で目を覚ます。
『ソフィア! ルイス! 今助けに行くぞっ!』
俺は妻子の声を追い掛けて、暗闇をひたすら走り続けた。
その先で目にした光景は――地獄だ。
妻子は助ける間もなく炎で焼かれ、一瞬のうちに灰と化す。
絶望する俺の前に現れたのは――あの悪魔だ。
『ハッハッハッ!! ウケる~! 最高だなっ!!』
『ふざけるなっ!! 二人がお前に何をしたっていうんだよ!? こんなの人間のすることじゃねぇ!! お前は悪魔だっ!!』
『フッ、悪魔か。上等だぜ!』
そして奴が俺にも牙を剥く。
『俺を殺すつもりか!?』
『生きるか死ぬかは、おっさん次第だ。せいぜい抗ってみせろよ!』
悪魔が放った炎が俺を襲う。
『熱い熱いっ!! 助けてくれっ!!』
『ハッハッハッ!! いい気味だぜ! 俺のことを何度も殺した報いだ。地獄の業火、思う存分味わうんだな!』
(――ソフィア、ルイス、許してくれ。またお前たちを守ることができなかった……)
絶望、悔しさ、怒り、悲しみ、恐怖――俺は多くの感情を抱きながら意識を手放した。
――そして俺は……あの病院で目を覚まし……君と再会した――
「――これが……俺がここに至るまでの経緯です……」
語り終えたヨネシゲ。
その閉じられた瞳からは一筋の涙が流れ落ちる。
一方でその現実離れした衝撃的な内容に、一同が言葉を失う。
――静まり返る会議室。
角刈りはゆっくりと瞳を開くと、声を振り絞りながら皆に伝える。
「――信じてくれとは……言いません。ですが……これは紛れもない事実なんです。
俺はソフィアとルイスを失ったショックから物語の世界に逃げ込みました。結果……この世界に思わぬ悪影響を与えてしまったようです。
マスターが言う通り……俺はこの世界にとって……元凶と呼べる……存在なんでしょう……
俺が物語から……アーノルドたちを排除しなければ……このような事態には陥らなかったんだ……」
「あなた……」
悲痛で顔を歪める夫を、ソフィアは涙を零しながら見つめることしかできなかった。――慰めるにしても言葉が見つからない。
すると角刈りが愛妻に悲しげな微笑みを向ける。
「ソフィア……今話した通りだ。
俺は元の世界で……君とルイスを……全てを……あの男に奪われてしまった……
もう二度と君に会うことができない筈だったが……」
ヨネシゲは愛妻の頬を伝う涙を指で拭ってあげる。
「こうして君と再会できたことが……本当に夢のようだよ……」
「で、でも……私は……!」
「言わないでくれ!……わかっている……わかっているさ……君が元の世界のソフィアではないことくらい……」
「あなた……」
「だけど……君はさっき言ってくれた……『貴方が誰であろうと関係ない。だって貴方は貴方だから』……と。それは俺だって同じことだ――」
ヨネシゲはソフィアの両手を握る。
「俺にとって……君は君だ。君という人物を――愛している」
「私もよ……あなたを……愛している……」
夫妻は愛を誓い合う。
一同の注目を浴びる中だったが、周りの視線など気にならなかった。
今はただ……最愛の人の瞳を真っ直ぐと見つめる。
つづく……




