第370話 帰領報告
――サンディ家屋敷の一室。
六畳ある和室では、二人の男性が座布団に腰を下ろしながら、向かい合う。
その一人。金色短髪の青年――サンディ家臣『ノア』が、緊張した面持ちで帰領後の報告を終える。
「――以上で報告を終わります」
「ご苦労、色々と大変だったな」
一礼するノア。
その向かい側――白髪の老年男は、髪と同色の口髭を撫でながら、部下に労いの一言を掛けた。
和服に身を包む穏やかな印象の老年男は、先々代の当主から仕えるサンディ家の重臣『ヒョーガ』である。
重臣は湯呑みを手に取ると、緑茶を啜りながらノアの報告を整理する。
「王妃殿下が決行したクーデターは、改革戦士団の王都乗っ取りという結果で終わり、陛下たちが王都を追われてしまった。……そして、体調不良で倒れた旦那様は、自身を連れ去ったゲネシス皇妹と共に帰領……仲睦まじくしておられた。予期せぬ出来事ばかりで、まだ頭の中が混乱しているよ……」
「はい。私もです……」
ヒョーガは落ち着いた口調で言い終えると茶をもうひと啜り。その様子を見つめながらノアが重臣に尋ねる。
「――ちなみにヒョーガ様。私たちが不在の間、こちらの方で何か変わった出来事は……?」
「ふむ――」
ヒョーガは湯呑みを置くと、先程までとは打って変わり険しい表情を見せながら答える。
「――悪い知らせが二つばかしある」
「悪い知らせですか……?」
「左様」
ヒョーガの一言にノアの顔が一気に強張る。青年が固唾を飲みながら次なる言葉を待っていると、重臣の口がゆっくりと開かれた。
「先ず一つ目だ。三日前にスター殿下から書状が届いた」
「スター殿下から……書状ですか?」
嫌な予感しかしない。ノアの額から冷や汗が流れ落ちる。
「ふむ。その書状には『ネビュラを追放し、新王政を発足した。直ちに王都へと出向き、新王に忠誠を誓え』という旨が記されておってな。同じ書状を王国各地の貴族にも送っているようだ」
「な、なんですって……」
顔を青くさせるノア。身を乗り出しながら重臣に訴える。
「こ、これは……改革戦士団の罠です! 絶対に王都へ出向いてはなりません! 奴らはスター殿下を利用して、各地の貴族を洗脳して――トロイメライを乗っ取るつもりなんです!」
「ああ。私も突然の書状に驚いておったが、お前からの報告を聞いて全てが繋がったよ。敵方は相当恐ろしいことを企てておるな……」
「ヒョーガ様! こうしてはいられません! 今すぐ各地の領主たちを制止しなければ……!」
「案ずるな。このような怪しげな書状一通だけでは貴族たちも動かんだろう。まあ……念の為、各地の有力貴族たちには伝書想獣を飛ばし、慎重に判断するよう注意を促した。また彼らには近隣貴族たちにも注意喚起するよう依頼している……」
「さすが、ヒョーガ様です……」
ノアがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、重臣から衝撃的な事実が告げられる。
「ただ……書状にはこうも記されておった。――『忠誠を誓わない者は即刻抹殺する』と……」
「!!」
「先程も申した通り、書状に書かれた脅迫文を読んだくらいで動転するほど、トロイメライの貴族たちはヤワじゃない。とはいえ……改革戦士団が見せしめとして、貴族を一つ滅ぼすような真似をすれば――」
「恐れをなした貴族たちが新王政――改革戦士団に従い始める……ですね?」
「うむ。そうなる前に各地の貴族が連携しておかねばならん。その為には陛下の力が必要不可欠。陛下自ら各地の貴族たちに協力を呼び掛けねばならん。今こそ王族と貴族が一つとなって脅威に立ち向かわなければ――トロイメライは終焉を迎えることだろう」
「そのような結末は何としても避けねばなりません!」
「勿論だ。陛下には早急に動いていただく」
ヒョーガはお茶で喉を潤した後、二つ目の凶報をノアに告げる。
「そして二つ目だ。王族と貴族の結束が求められる状況で、非常に悪い知らせだ……」
「その……悪い知らせとは……?」
青年が恐る恐る尋ねると、重臣の口から衝撃の事実が告げられる。
「我々と幾度となく激戦を繰り広げた宿敵――アルプの『タイガー・リゲル』が病に倒れ、危篤状態とのことだ」
「なんですとっ?!」
驚愕したノアが思わず立ち上がる。一方のヒョーガはそんな部下を見上げながら語る。
「タイガーは、王族と貴族が結束する上でキーマンと呼べる男だった。
タイガーが陛下に付けば、各地の貴族たちもたちまち陛下に味方することだろう。あの男はそれだけの影響力を持っているが……どうやら天命の時が訪れたようだ。もう猛虎を頼ることはできん。
そうなると旦那様や、西国の有力者『ダルマン』が中心となって、『改革戦士団包囲網』を形成する他あるまい。そういった意味で旦那様が皇妹殿下の手に落ちなくて本当に良かったよ……」
「いや、既に落とされているような気がしますが……」
「ん?」
「い、いえ! 早急に対応せねばなりませんね……」
「そうだな……」
二人の会話が途切れた刹那。部屋の外から家来の声が聞こえてきた。
「ヒョーガ様、会議の準備が整いましてございます」
「あいわかった。すぐに向かおう――」
ヒョーガは返事すると膝元に置かれた、濃青の鞘に収められた刀を手にして立ち上がる。
「さて行くかね」
「はい!」
青年と重臣は顔を見合わせながら頷くと部屋を後にした。
――同じ頃、ヨネシゲたちが控える客間にも、サンディの家臣が訪れていた。
「――会議の準備が整いました。皆様、お部屋のご移動を――」
準備完了の知らせを受けた途端、一同の顔が引き締まる。
「――皆の衆、行くぞよ」
「承知です!」
白塗りの掛け声に力強く応えた角刈りたちは、座布団から腰を上げると、会議室目指して移動を始める。
その最中、ヨネシゲは五日前の出来事を思い出す。――マスターと対面した際の記憶を――
(――マスターには色々と話されてしまった。皆、さぞ驚いたことだろう。
恐らくこのあとの会議では、俺とマスターの関係性について問われる筈だ。そうなった場合は……包み隠さず真実を告げよう。――この世界はソフィアが描いた物語であることを……俺がその世界を改竄してしまったことを……そして、俺が現実世界からやって来た転移者である事を……)
冷や汗が滲み出る拳を握りしめる。
(果たして……この真実を皆が理解してくれるだろうか? マスターが蛮行に走る原因を作ってしまったこの俺を……転移者であるこの俺を……皆が受け入れてくれるだろうか? ソフィアがこの俺を……拒絶しないだろうか――)
角刈りが立ち止まる。
そして自分から遠ざかっていく一同の背中を凝視しながら、顔を青く染めた。
(この世界の異物として扱われるのが……怖い……ソフィアや仲間を失うのが……怖い……)
角刈りの呼吸が乱れ始めたその時――彼の握りしめられた拳が、温もりに包まれる。
「あなた……大丈夫?」
「ソフィア……」
そう。その温もりは角刈りの拳に添えられた手――愛妻ソフィアの手から伝わるものだった。
心配そうに夫の顔を覗き込むソフィア。一方のヨネシゲは愛妻に心配をかけまいと、作り笑いで誤魔化す。
「ナッハッハッ……思い返してみれば、こういう会議に参加するのは初めてでな……ちょっと緊張しちまってさ……」
「大丈夫だよ……心配しなくて……」
「ありがとう!」
「――どのような真実が待ち受けていようと……私はあなたの味方だから……」
「え?」
「あの時のことを……考えていたんでしょ?」
ソフィアが口にした予想外の言葉。
呆気に取られる角刈りに愛妻が思いを語る。
「マスターが言っていたことは……本当なのかもしれない。だとしたら……私が知らない貴方があるんだと思う。だけど……貴方が誰であろうと関係ない。だって……貴方は貴方だから。貴方と過ごした時間……貴方がくれた愛は……全てが本物だから。私は貴方がくれた……かけがえのないものを……これからもずっと、ずっと……全部受け止めるよ……――あなたのことを愛しているから……――」
気付くとソフィアの顔が目の前に――唇と唇が重なる。
「ソフィア……」
「だから……もう……そんな暗い顔をしないで――」
ソフィアはニッコリとした笑みを見せると、角刈りの手を引く。
「さあ、会議が始まっちゃうわよ! 私たちも急ぎましょう!」
「お、おう、そうだな……!」
ソフィアは夫の手を握ったまま歩き出す。一方のヨネシゲは、先導する愛妻の背中を見つめる。その瞳からは熱いものが零れ落ちた。
(ありがとな……ソフィア……君が味方でいてくれれば……もう恐れるものはない……!)
ヨネシゲは空いている片方の手で眼鏡を取り外し、その腕で涙を拭う。そして眼鏡を掛け直すと、満面の笑みを浮かべながら愛妻の隣に並ぶ。
「ヨッシャ! 会議室まで競争だ!」
「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ! 廊下は走っちゃダメよ!」
「ガッハッハッ! ドンマイ!」
角刈りが短い足で小走りを始めると、彼女は早歩きで夫の後を追った。
つづく……




