第366話 束の間の休息④(シュリーヴ伯爵家)
客間の一角。
皆が憩いのひと時を過ごす中、再会を喜び合う家族の姿があった。
中年女性の母親と青年の息子二人は座卓を囲み、いずれも開いているのかわからないほどの細目を更に細くしながら、談笑を交わす。
――ただ一人、頑固親父だけは、眉間にシワを寄せて、大きく見開いた瞳を吊り上げながら、少し距離を置いた場所で三人に背中を向けていた。
母が息子に尋ねる。
「――ドランカド、お茶のおかわりはいかが? お菓子は足りてる? 母の分もあげるわよ?」
「ああ、大丈夫だよ……ありがとな……お袋……」
茶色い髪を持つ、穏やかな印象の女性は――ドランカドの母『プリモ・シュリーヴ』だ。彼女は約三年ぶりに再会を果たした息子に世話を焼いていた。
その息子、老け顔の真四角野郎――長男『ドランカド・シュリーヴ』が気恥ずかしそうに頬を掻く。
そんな兄をからかうように、漆黒の控えめアフロヘアーがトレードマークの、『二丁豆腐』の異名を持つ弟――次男『トウフカド・シュリーヴ』が問い掛ける。
「兄上、もしかして……照れているんですか?」
「てっ?! 照れて――いるな……」
ドランカドは認めるとその頬を真っ赤に染める。一方の豆腐野郎は高笑い。
「ハッハッハッ! 兄上は昔から顔に出るタイプなんですぐにわかりますよ!」
「くっ……トウフカドよ、兄ちゃんをあまりからかうもんじゃねえぞ?」
そんな兄弟のやりとりをプリモが微笑ましく見つめる。
「貴方たちがじゃれ合っているところを……こうしてまた見ることができて……母は幸せですよ……」
「お袋……」
そう言葉を漏らしながら涙する母をドランカドが険しい表情で見つめる。すると兄の肩をトウフカドが叩く。
「トウフカド?」
「母上は……兄上のことをずっと心配されていたのです。兄上が王都を発った……あの日からずっと……」
弟からそう告げられた真四角野郎がプリモに向き直る。そして――
「――お袋……色々と心配を掛けちまって……すまなかった……」
プリモは顔を上げると首を横に振る。
「ドランカド……貴方が謝る必要なんてないわ……貴方が悪いわけではないんですから……」
母の言葉を聞き終えたドランカドが申し訳無さそうに顔を俯かせる。その刹那、プリモは息子の身体をそっと抱き寄せた。
「お、お袋?」
「まだ……言っていなかったよね……『おかえりなさい』を……」
「……っ」
母の温かい言葉。だがドランカドは辛そうに顔を歪める。何故なら自分は父から勘当された身。『おかえりなさい』を言ってもらえる立場ではないのだ。
一方のプリモにそのような事情は関係ない。今抱きしめている青年は、自分が産んだ紛れもない息子なのだから。
「理由はともあれ……貴方はこうして私たちの元へ帰ってきてくれた……」
「いや……それは……」
「もう……母の元を離れてはなりません……シュリーヴ伯爵家には貴方が必要なんだから――」
その刹那。頑固親父がプリモの言葉を遮る。
「俺は認めんぞ!」
「だ、旦那様……!」
「その男はとうの昔にシュリーヴ伯爵家を追放した。今更バカ息子の力を頼ろうとする程、俺も落ちぶれちゃいねえ!」
シュリーヴ伯爵家当主――頑固親父ことドランカドの父『ルドラ・シュリーヴ』が物申した。透かさずプリモが説得。
「旦那様、もうよろしいではありませんか。ドランカドを許してあげてください。そもそもこの子には何一つ落ち度はございませんのよ? この子は……仲間を守るために戦っただけなのですから!」
「落ち度ならある! 如何なる理由があろうとコイツは当時の長官の命令を無視したのだ! まったく……シュリーヴの名に泥を塗りおって!」
「そうかもしれませんが……全ての原因を作ったのはゴードン侯爵ですよ!? 旦那様とドランカドは、責任をなすりつけられたのです!」
「確かにそうかもしれんが……少なからず俺たちにも責任がある! けじめをつけなければならんのだ!」
「旦那様はそんなくだらないことの為に親子の縁を切ったというのですか!?」
「く、くだらんとはなんだ!?」
両者一歩も引かず。
客間の一角で繰り広げられる口論をヨネシゲたちが心配そうな表情で窺っていた。
すると真四角野郎が母の肩に手を添える。
「お袋、もういいから……やめようぜ……」
「ドランカド……」
「ありがとな、俺を庇ってくれて。お袋の気持ちは俺の心に届いたからさ。――ジジイも済んだ事をこれ以上蒸し返すんじゃねえよ」
「くっ……バカ息子がっ! あれは……まだ終わっちゃいねえんだよ!」
「わかっているさ。だが……皆の迷惑になる。もうやめようぜ……」
「ぬう……」
父母の言い合いを制したのは渦中の息子ドランカドだった。
真四角野郎が母に語り始める。
「お袋……残念だけど、今回ばかしは頑固親父の言う通りだ。俺はシュリーヴ伯爵家を追放され、王都を去ることになった。これはシュリーヴ伯爵家――貴族としてのけじめだ。シュリーヴ伯爵家に……もう俺の居場所はない」
「ドランカド……」
沈んだ様子の母を気遣うように、真四角野郎が表情を緩めながら語り続ける。
「ヘヘッ……二度と王都には戻らないつもりだったけど、事の成り行きで戻ってきちまったぜ。嫌な予感はしてたが……案の定、見たくもねえジジイの顔を拝むことになっちまった……」
途中、頑固親父が不機嫌そうに眉を顰めるが、息子の話を静かに聞き続ける。
「お袋には申し訳ないが……俺はもうクボウ家の一員だ。マロウータン様に忠誠を誓っている家臣なんだ。もう……シュリーヴ家に戻るつもりはない……」
「ドランカド……!」
「だがお袋は……俺のたった一人の母親だ。その事実だけはこの星がひっくり返っても揺らぐことはない。こんなバカ息子だけど……これからも見守ってくれると励みになるぜ!――お袋、元気そうで安心したよ……」
真四角野郎は優しい微笑みをプリモに向ける。彼女は今にも泣き出しそうな表情で息子の顔を見つめていた。
一方の頑固親父は立ち上がると、客間を退出しようとする。
「ち、父上……どちらに?」
「フン、外の空気を吸ってくる!」
トウフカドが尋ねるとルドラはぶっきらぼうに答える。そのまま出入口に向かって歩みを進めるが、一度足を止めて愛妻にこう言った。
「少なくとも……ウィルダネスの悲劇が終わるまでは……コイツを許すわけにはいかんのだ……」
「だ、旦那様……!」
ルドラは振り返ることなくその場を後にした。
母子の間に流れる沈黙――それを破ったのはトウフカドだった。
「――ああ見えても父上は、兄上のことをとても心配しておられる……」
「あの頑固ジジイがか?」
「ええ。兄上が命令違反で断罪されなかったのも……父上が当時の長官や大臣に何度も頭を下げてくれたお陰なのです……」
「………………」
「あっ、今話したことは内緒ですよ?」
「ああ……誰にも言わないさ……」
意外な事実を告げられたドランカドは険しい表情で顔を俯かせる。そんな息子を見つめながらプリモが儚げに呟く。
「――いつの日か……また家族で笑い合える日がくるといいわね……」
「そうですね……」
相槌を打つ豆腐野郎の隣では、真四角野郎が座布団を枕代わりにしながら横になる。
「俺……少し寝る……トウフカド、時間になったら起こしてくれ……」
「あ、はい……」
するとプリモは羽織っていたカーディガンをドランカドの身体に掛ける。
「お袋……?」
「束の間の休息だけど、ゆっくりとおやすみなさい……」
「ああ……おやすみ……――」
ドランカドは、カーディガンから伝わるどこか懐かしい温もりに包まれながら、眠りに落ちるのであった。
つづく……




