第350話 便箋
――カルム領・ルポタウン。
その街の中心部にある来賓用の宿泊施設は、現在カルム領主『カーティス・タイロン』の仮屋敷として使用している。
一ヶ月前に発生した改革戦士団による襲撃事件は、カルムタウンに大きな損害を齎した。
カルムタウンは焼け野原、領主カーティスの屋敷も例外なく消失。――そして多くの尊い人命も失われた。
――だが彼らに立ち止まっている暇はなかった。
ルポタウンに拠点を移したカーティスは、早速カルムタウンの再建に乗り出す。領主を筆頭に、領民、支援者たちが一丸となって復興に取り組んでいる最中だ。
その甲斐もあって、焼け野原だったカルムタウンに家屋や緑が戻りつつあった。
急速な復興を可能にしているものが、トロイメライ王国が起源と言われる、空想術を用いた建築や環境再生の技術だ。
人力だけでは数年掛かる街の再生も、僅か半年足らずで完了することだろう。
しかしそれだけが復興ではない。
領民たちへの支援、心のケア、失われた経済力の回復など、まだまだ行わなければならないことが山程ある。
真の意味で復興を遂げるのは何年、何十年も先のことだろう。人々の心に刻まれた深い傷は一生消えることはない。
それでもカルムの人々は前へと進む。
皆が安心して、笑顔で過ごせる、愛する故郷を、後世に残せるように――
――時は正午前。
カルム領主・仮屋敷の一室。
書類の作成を終えた金髪の少年が、机の前で大きく伸びをしていた。
そして徐ろに机の引き出しから取り出した物は二通の便箋。少年はそれを読み始めると、笑みを零しながら独り言を漏らす。
「――フフッ。さすが父さんだよ。もう爵位を授かるなんて……早速先を越されてしまったな」
続けてもう一通の便箋に目を通す。
「――母さんも元気そうで何よりだ。でも無理だけはするなよ。もう母さんも若くはないんだからさ……」
やがて便箋を読み終えた少年は、両親の筆跡を指で優しくなぞる。愛する両親を労るように――
「――父さん……母さん……俺も頑張るからな……」
金髪の少年――『ルイス・クラフト』は、目の前に両親が居るかのようにそう呟いた。
ルイスもまたタイロン家へ仕官。幼馴染であり、憧れの先輩であるアランの下、新たな一歩を踏み出している。
当然、慣れない仕事の数々で行き詰まったり、厳しい言葉を掛けられることもあるけれど、そんな時この便箋を読むと不思議と力が湧いてくるのだ。
「ヨッシャ! 気合い入れていくぞ!」
その直後。
少年の耳には部屋の扉をノックする音と、少女の元気な声が届いてきた。
「ルイス君、入るよー!」
「おう、カレンか。入っておいで――」
金髪の少年――『ルイス・クラフト』が応答すると、扉の外から黒髪ミディアムヘアの小柄な少女――『カレン』がトレーを持ちながら、ニッコリとした表情で姿を見せる。――彼女はルイスの恋人だ。
カレンはルイスが居る机の前まで歩みを進めると、彼の前にサンドイッチとホットココアが入ったマグカップを置く。
「ルイス君、お疲れ様。少し早いけどお昼ご飯持ってきたよ。午後から孤児院の視察でしょ? 今のうちに食べておいた方がいいよ」
「ありがとう。早速いただくよ」
カレンもまた、ルイスの仕官を機にタイロン家の使用人として雇われた。ルイスをそばで支えたいという彼女の意をアランが汲んだ為だ。
ルイスは便箋を引き出しの中に仕舞うと、早速サンドイッチに齧り付く。その様子を見つめながらカレンが尋ねる。
「ふふふ。またご両親からの手紙を読んでいたのね?」
「ははは……ついな。気付くと便箋に手が伸びちゃってさ……」
ルイスは照れくさそうに笑いを漏らしながら頭を掻いた。
父ヨネシゲと母ソフィアから手紙が届いたのは半月前のこと。両親からの手紙を受け取った際、彼は飛び跳ねて喜んだそうだ。
ルイスはその大切な手紙――便箋を自室の机の引き出しに保管。暇さえあれば引き出しからそれを取り出し、穴が開くほど読み返していた。
そんな恋人の姿を毎日のように見ていたカレン。彼女はどこか悲しげに微笑みながらルイスに訊く。
「――ルイス君……やっぱりご両親に会いたい……よね?」
その問いにルイスは苦笑を見せる。
「ははは……カレンには全てお見通しだな……まだ一ヶ月しか経っていないのに、父さんと母さんの顔が見たくてしょうがない……いい歳して恥ずかしいよな……」
「そんなことないよ! ご両親に会いたいと思う気持ちは自然なことだよ? それに……別れも突然だったし……尚更だと思う……」
「そうかもしれないな……」
そう。両親との別れは突然だった。
父ヨネシゲが南都の徴兵から無事帰還し、再び家族が一つになった矢先のこと――ヨネシゲはクボウ家当主『マロウータン・クボウ』から仕官の打診を受けて、これを承諾。ソフィアと共に故郷を旅立った。
だがそれは致し方ないこと。
両親は、愛する故郷と母国を永遠の繁栄と安寧に導くため、クボウ家に仕官したのだ。
正直、両親たちの力は微々たるものだろう。『王国を土台から立て直す』と意気込んでいた父ヨネシゲだったが、それを実現できる保証はない。
そんなヨネシゲを『名門クボウに仕える為にカルムを見捨てた裏切り者』と心無い言葉で批判する者も決して少なくはない。しかし反感を買う覚悟で、両親が下した決断と志をルイスは尊重している。
――例え微力でも、誰かが歩みを進めなければ何も始まらないのだから。
急遽カルムを旅立つことになってしまったヨネシゲとソフィアだが、ルイスにとって誇りに思える両親に変わりはない。
ただ……一つだけ欲を言わせてもらうと、もう少しだけこのカルムの地で、自分の成長を見守ってほしかった――
寂しそうに卓上の一点を見つめるルイス。するとカレンは彼の隣まで歩み寄り、その両肩に手を添える。
「ルイス君、元気出して」
「カレン……」
「私はルイス君のお父さんとお母さんにはなれないけど……寄り添ってあげることはできるよ? 辛いときは私を家族だと思って甘えていいんだからね?」
「フフッ……家族か……」
「……っ!」
自分の発言に気が付いたカレン。恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、目を泳がせる。
「えっと……その……今のは深い意味はなくて……なんて言うか……!」
「ハッハッハッ! 別に恥ずかしがる必要はないだろう?」
ルイスはおおらかに笑うと、彼女の手を握り、その瞳を真っ直ぐと見つめる。
「ありがとな、励ましてくれて。父さんと母さんは離れてしまったけど、俺にはカレンが居る。全然寂しくはないよ」
「ルイス君……」
「早く本当の家族になれるといいな?」
「へあっ?!」
ルイスの一言にカレンは頭から蒸気を噴射。頭部と瞳をグルグルと回す。その様子を見つめながらルイスは笑いを漏らした。
「まったく、カレンは大袈裟だな」
「そそそ、そんなこと言ったって〜」
「だけど――」
「え?」
「本当に一緒になれるといいな」
「うん」
頬を赤く染めながら見つめ合う二人――
――その時。
部屋の扉がノックされる。
「ルイス、入るぞ」
「ア、アランさん!?」
返事を待たずに部屋の中へ入るアラン。ルイスとカレンは手を握ったまま、慌てた様子で彼に視線を移す。
そこにはサラサラの茶髪と橙色の瞳、甘いマスクを持つ美男子――『アラン・タイロン』の姿があった。
彼はルイスが通うカルム学院の先輩にして、カルム領主カーティスの息子でもある。
間もなく卒業を迎え、エリートへの登竜門『王室騎士団』への入団も内定していた。しかし先の襲撃を受け入団を辞退。急遽『副領主』として、父と共にカルムの復興に尽力する道を選んだ。
そんな彼はニヤニヤと笑みを浮かべながらルイスとカレンを見つめる。
「ほほう。相変わらず熱々だな」
「ア、アランさん、これは違うんですよ!」
「そ、そうなんですよ! ちょっと熱くなりすぎて……!」
「やっぱり熱々じゃないか」
「「ははははは……」」
誤魔化しきれず。
二人は頬を赤く染めながら苦笑。
一方のアランはやれやれといった具合で肩を竦めながら、ルイスたちの元へ歩みを進める。
「ルイス、悪いが今日はカレンとイチャついている暇はないぞ?」
「「……っ」」
恥ずかしそうに顔を俯かせるルイスとカレン。アランはそんなカップルを見つめながら要件を伝える。
「――冗談はここまでにして……夕刻から臨時の会議を行う。ルイス、お前も出席してくれ」
「臨時の会議ですか?」
ルイスが尋ねるとアランは険しい表情を見せながら返答。
「ああ。例の事件についてだ……」
「例の事件……ですか……」
アランの返答を聞いたルイスの顔が強張った。
副領主が説明を続ける。
「――知っての通りだが、昨晩の怪現象――悪魔のカミソリ頭領の怨霊によって、民や兵士が襲撃される事案が多発した……」
悪魔のカミソリ頭領――それはかつてカルムタウンを縄張りにしていた犯罪組織の頭領だ。
アランたちの手で組織は壊滅状態に追い込まれたが、頭領は報復を計画。
改革戦士団と結託し、グレースやチェイスと共にカルム学院の学院祭を襲撃。禁断薬『具現草』を注入したチンピラを操り、アランを戦意喪失まで追い込んだ。
最後はヨネシゲや突入してきた猛者たちに追い込まれ自爆。絶命した。
ところが昨晩、その悪魔のカミソリ頭領と瓜二つの姿の幻影が出現。それは就寝中の民間人、夜間警備中の領兵や保安官を次々に襲撃。多くの死傷者が出てしまった。
「――命を奪われた者も少なくはない。カルムを治める者として、決して見過ごすことができない事態だ。
現時点で目撃者の証言をもとに、昨晩の幻影を『悪魔のカミソリ頭領の怨霊』と呼んでいるが……その正体は不明だ。
何者かが召喚した幻影なのか、それとも不穏想素によって生み出された魔物なのか、本当に怨霊という可能性も考えられる……
いずれにせよ、再発防止のために警備を強化する必要がある。その為にはカルム領軍、保安署、そして復興支援でカルムを訪れている他領軍が力を合わせなければならない……」
「つまり……その各代表者には夕刻の会議に集まっていただき、連携を確認するということですね?」
「そういうことだ。俺と父上で事情を説明し、協力を要請する。
本来なら各代表者だけで事足りる会議だが……俺直属の部下であるルイスにも出席してもらう。勿論、俺の秘書もだ」
「アンナ先輩も?」
アンナはルイスと同じ学院に通う先輩生徒だ。
アランとは同級生であり、彼とは卒業後に婚姻を交わすことが決まっている。早速秘書としてアランをそばで支えている次第だ。
(前々からアランさんとアンナ先輩はお似合いだと思っていたけど、まさか婚姻まで決まっていたとは驚いたよ……)
そんな事を考えるルイスの肩をアランが叩く。
「アランさん?」
「これからの時代は――俺たち若き星たちが、先頭に立ってカルムを引っ張っていかないとな!」
「はい!」
互いに力強く頷く主従。
その様子を微笑ましく見つめるカレンにアランが言う。
「――カレン。君も会議に参加してもらうぞ」
「わ、私もですか?!」
「そうだ。会議を滞りなく進行させるために色々とサポートをしてもらう。――君も若き星の一人なのだからな」
「で、でも……私なんかに……務まるでしょうか……?」
不安げな表情で俯くカレン。すると彼女の肩にルイスの手が添えられる。
「……ルイス君?」
「カレンなら大丈夫さ。自信を持て。それに何かあれば俺がフォローするからさ」
「うん、ありがとう……」
恋人同士のやり取りを見届けたアランがルイスに伝える。
「――ということだ。夕刻までには戻ってきてくれ。これから孤児院の視察だったよな?」
「はい。院長から色々と注文を受けているものでして……」
ルイスの返事を聞いたアランが苦笑を見せる。
「フフッ。その件なんだが……またイワナリ院長がご立腹みたいだぞ――」
孤児院の視察――それは院長イワナリの呼び出しだった。
つづく……




