第345話 マスター(前編)
明かされたマスターの素顔。
ヨネシゲは自分と瓜二つの顔を見つめながら言葉を失う。彼だけではない。改革戦士団の面々を除いた全ての者が驚愕の表情を見せていた。
総帥は呆然と立ち尽くす角刈りを睨みながら、静かに口を開く。
「――お前は……己の欲求を満たす為だけに、私から家族と居場所、そして『アーノルド・マックス』という存在を……全てを奪い去った。
どうだね? 物語の主人公になった気分は? 人の妻も寝取ることができて、さぞ愉快なことだろう?!」
「………………」
マスターのセリフを聞いたヨネシゲが押し黙る。
(もしここが……本当にソフィアの描いた物語の世界だとして……俺が物語の登場人物を置き換えて読んでいたことが反映されている世界だとしたら……マスターが言っていることは理解できる……)
ヨネシゲが転移してきたこの世界――それは現実世界でソフィアが生前に描いていた物語の世界で間違いは無いだろう。彼女の物語を読んでいた自分の記憶が何よりの証拠だ。
そのソフィアが描いた物語『英傑アーノルド 〜憂いのトロイメライ戦記〜』は、カルムのヒーローと呼ばれている主人公アーノルドが、娘の『サラ』や、主人公のライバル『ソード』と共に、世界征服を目論む地獄の空想術師『サミュエル』を討伐する旅に出る――世界を救う物語だ。
ところが、物語は未完。執筆したソフィアは他界。物語の結末、全容を知っているのは彼女のみだ。故にヨネシゲがこの世界に降り立ってからは、覚えのない人物名や地名が数え切れない程登場していた。
しかし、明らかに物語と異なる点が存在する。それは物語の主人公――つまりカルムのヒーローこと『アーノルド・マックス』のポジションを自分が担っている点だ。
何故そのような現象が起きているのか?――考えられる原因は『ヨネシゲによる物語の改変』だ。
ヨネシゲは物語を読む際、主人公を自分と置き換えて読んでいた。そして主要人物である主人公の妻ジャスミンは『ソフィア』、娘のサラは『ルイス』、ソードも数多の友人と置き換えて物語を読み進めていた。
――もし、自身のアレンジが、ソフィアの物語であるこの世界に反映されていたら?
(――当然、俺が主人公のポジションを担えば、既存の主人公『アーノルド』という存在は必要がなくなる。彼だけではない……『サラ』も『ソード』もだ……)
この事実はブルーム夜戦の際、対峙したサラから告げられた。しかし当時は生きるか死ぬかの瀬戸際。敵方である彼女の発言は頭の片隅に置く程度だった。何より現実離れした話で半信半疑だった。
――だが、目の前の状況を目の当たりにして、角刈りの疑心が確信に変わった。マスターが嘘を言っているように思えない。彼の憎悪に満ちた瞳を見れば一目瞭然だ。
全てが事実なら――自分は取り返しのつかない事をしてしまった。
ヨネシゲは押し潰されるような罪悪感に襲われる。
角刈りが顔を青くさせながら俯いていると、ソフィアとドランカドがマスターに反論する。
「それは何かの間違いです! 私の夫は人から大切なものを奪ったりするような行動は絶対にしません!」
「ソフィアさんの言う通りだ! 言い掛かりにも程があるぞ!」
「ソフィア……ドランカド……」
自分の事を庇ってくれる愛妻と相棒を、ヨネシゲは申し訳無さそうに見つめる。一方のマスターは肩を竦めながら苦笑を浮かべた。
「まあ……お前たちが理解できないのも無理はない。何故なら――お前たちの記憶もこの男によって改竄されてしまったのだからな」
「ど、どういうことです!?」
顔を強張らせながら尋ねるソフィアに総帥が語り始める。
「――元々その男は異世界の住人……いや、地獄からやって来た悪魔だ。奴は異世界から我々が住む世界を玩具のように弄くり回していた愉快犯なのだよ」
「い、一体……何を言っているの……?」
唐突なセリフにソフィアたちの思考が追い付かない。マスターは彼女たちの様子など気にも留めず語り続ける。
「お前たちは、ヨネシゲの欲を満たす為だけの操り人形に過ぎない。この世界の主人公『ヨネシゲ』を称賛し、ご機嫌を取るだけの存在なのだよ。
お前たちは知らず知らずのうちに、異世界の悪魔によって記憶を書き換えられてしまい、『ヨネシゲ』という存在を記憶に刷り込まれてしまった。
その過程で失われた記憶も数多あることだろう。大切な人と過ごした記憶も、その男の都合で全て削除されている――」
ここでソフィアが声を荒らげる。
「私の夫は異世界の悪魔なんかではありません! 私の夫ヨネシゲは――家族の為、仲間の為に、命を掛けて戦う男の中の男です! あなたの言うような愚行など決していたしません!
それに私は操り人形ではありません。私は私の意思で、ヨネシゲを信じ、愛しています。
夫と過ごした日々は、私が確かに歩んできた、かけがえのない記憶の一部です。これを改竄だなんて……いい加減言わないでください!」
彼女の抗議を聞き終えたマスターが高笑いを上げる――演技でもない素の笑い声で。
「ハッハッハッ! 可愛そうにのう。完全に洗脳されているようだ。流石、ヨネシゲ一番のお気に入りの傀儡は言うことが違うな!」
「っ……」
悔しそうに唇を噛むソフィアにマスターが言う。
「――お前は元々、我が妻『ジャスミン』という存在だった。嘗てお前の脳内には、私と過ごしたかけがえのない日々の記憶が刻まれていたのだ。しかしその記憶は理由もわからないうちに改竄されてしまった――『ヨネシゲ・クラフト』によってな……
そして記憶を改竄されたお前は、ヨネシゲの妻ソフィアを名乗り始めた――」
マスターが角刈りに向き直る。
「それにしても随分と悪趣味ではないか? 我が妻の容姿をそのまま残し、中身だけ改竄してしまうとはな。――そんなに我が妻の容姿が好みだったか?」
「違う! ソフィアの容姿は……俺が知るソフィアそのものだ!」
「フッ……貴様の妻の容姿など興味はない。問題なのは……そのソフィアという女が我妻と同じ容姿をしていることだ――」
マスターはサラの肩に手を添えながら言う。
「――故に我が娘サラは、先日ソフィアの姿を目にして酷く動揺してしまった。おまけに最愛の母と同じ容姿を持つ女に娘であることを否定されてしまったのだ。偽物だと理解していても、この子が受けたショックは計り知れないことだろう。
そして、私もそのうちの一人だ。あの時、ソフィアの命を奪うことなど造作もなかったが――最愛の妻ジャスミンと同じ容姿のその女を……殺める事はできなかったよ。覚悟を決めていた筈なのに……我ながら情けない話だ……」
「そんな……信じられない……」
「残念ながら全てが事実なのだよ」
酷くショックを受けた様子のソフィア。すると角刈りは愛妻を庇うようにマスターを怒鳴りつける。
「いい加減にしろよっ!」
「何だと?」
「例えどんな理由があろうと、今俺の隣にいる彼女は他の誰でもない『ソフィア・クラフト』その人だ。彼女には、彼女だけが歩んできた『ソフィア』という人生があるんだよ! 俺の事を悪く言うのは構わねえ。けどなあ……ソフィアを傷付けるような発言は――俺が絶対に許さねえ!」
鬼のような鋭い眼光でマスターを睨むヨネシゲ。片や総帥は呆れた様子で言葉を漏らす。
「ほほう、まるで被害者面ではないか? よくそのような台詞が言えたものだ――」
マスターが力強い声で訴える。
「よいか? 本当の被害者は我々だ。勘違いも大概にしろ。
お前に理解できるか? ある日突然……見知らぬ人物を演じることになり……家族を奪われ……貴様の欲求を満たすために……毎日傀儡たちと茶番劇を繰り広げる……この苦痛を……!」
続けてマスターがもう一つの真実を口にする。
「――だが、そんな私に転機が訪れた。私の前に救世主が現れたのだ」
「救世主だと?」
「ああ。後に私が師匠と呼ぶことになる人物だよ――大空想神『サミュエル』様だ」
「!?――お、おい……サ、サミュエルってお前――!」
マスターは、何か言いたそうにするヨネシゲの声を遮りながら、尚も語り続ける。
「師匠は、私を貴様の束縛から解放してくれ、滞りなく動けるようにくださった。
師匠もこの世界を恨んであられてな。この腐った世界を創り変えることを望んでおられる。
そして師匠は私に全てを教えてくだった――この世界の理を! この世界の正体を! この世界がヨネシゲによって汚染されていることを!」
――理解不能。
延々と非現実的な言葉を口にするマスターに、一同困惑の面持ちで立ち尽くしていた。
ただ一人――ヨネシゲだけが、額から大量の汗を冷や汗を流しながら、マスターの言葉を一言一句聞き漏らさないよう、耳を傾けていた。
(――どういうことだ!? なんで物語の主人公である『アーノルド』が、ラスボス『サミュエル』の弟子なんだよ!?)
ヨネシゲの脳内は混乱で支配されていた。
つづく……




