第341話 スズメがさえずる頃に(後編)
イタプレス王国南部の山中。
廃墟と化した山小屋から一人の少年と二体の魔人が飛び去っていく。
銀髪の少年は、一体の魔人――女夢魔の手を握りながら、エスコートするようにして南の方角を目指す。銀髪少年と女夢魔の後方をもう一体の魔人メデューサが追従するように飛行していた。
その女夢魔――エスタは、銀髪の少年ウィンターの手を取りながら尋ねる。
「ウフフ。本当によろしいのですか? 私なんかお持ち帰りしちゃって?」
皇妹の問い掛け。ウィンターはいつもの無表情で、進路前方を見つめたまま返答する。
「今のエスタさまには帰る場所がありません。このままゲネシスに帰国されたら……皇帝陛下から厳しい罰を受けてしまうことでしょう。――エスタさまの帰る場所を作ることが私の責任です」
「お優しいのですね。こんな私の身を案じてくれるなんて……」
つい先程。ウィンターはエスタたちから真実を告げられる。
今回のクーデターの全容、現在の王都の状況を包み隠さず説明された。当然、ゲネシス側がトロイメライ王妃レナの作戦に一部加担していたことや、政略結婚の事実も知ることになった。
ウィンターに対して献身的な振る舞いを見せていたエスタだったが、考え方と見方によっては、これまでの彼女の行動は『欺き』と見做されても不思議ではない。いや、元々そのつもりだった。
だが今は違う。
ようやく巡り会えた愛しのパートナー。彼と愛を育み、彼と幸せな家庭を築きたいと心の底から思っている。故に――彼から嫌われることを酷く恐れていた。
エスタは平常心を装いながらウィンターに尋ねる。
「――ですが、私は王妃殿下の作戦に加担して、尚且つ貴方を攫って監禁したトロイメライ側の敵ですよ? その事実はどうやっても拭い去ることができません……」
一方のウィンター。
エスタの気持ちを察したのか、彼女に身体を向けると、優しい微笑みを見せながら言葉を返す。
「――例え……どのような理由があろうと、エスタさまは私の『命の恩人』に変わりありません。これもまた紛れも無い事実です。――そのことは、陛下に包み隠さず報告させていただきます。きっと……陛下なら事情を理解してくれる筈です」
「もし、理解してくれなかったら?」
エスタが投げ掛けた質問に、銀髪少年は真剣な眼差しを向けながら答える。
「エスタさまが、母国を捨てる覚悟で私を守ってくださったように……私もトロイメライを捨てる覚悟で、エスタさまをお守りします。エスタさまを見捨てるような真似は絶対にいたしません」
「ウィンター……」
「勿論、そうならないために尽力しますので……ご安心ください」
言葉を終えた銀髪少年は、年相応の笑みを浮かべる。片や女夢魔は感激で瞳を潤ませていた。
「そのような事を言ってもらえて……エスタは幸せ者です……ウィンターのこと……信じていますからね……」
エスタはそう言葉を漏らしながら銀髪少年の身体を抱き寄せる。一方のウィンターは急に恥ずかしくなったのか、顔を赤面させて、口をもごつかせながら彼女に伝える。
「で、ですので……陛下たちの御前で不埒な行動は控えてくださいよ? 暴走されたら……庇いきれませんからね……」
するとエスタはいつもの調子で笑いを漏らす。
「ウッフッフッ……失礼しちゃいますわ。まるで私が痴女みたいな言い草ですね? 仮にも私はゲネシスの皇妹。普段から気品ある行動を心掛けているんですよ?」
「説得力ありませんね……」
ウィンターが半目でじっと見つめながらエスタの返事を聞いていると、後方から魔人メデューサ――テレサの声が聞こえてきた。
「ウィンター様、ご安心ください。エスタ様の暴走は、私が食い止めますゆえ……」
「テレサ殿、ありがとうございます。頼りにしております」
変人扱いされて不服なのか? 不機嫌そうに頬を膨らませるエスタにウィンターが言う。
「これもエスタさまの為ですから」
「ウフフ、わかりましたよ。当面の間は淑女を演じましょう」
彼の言葉を聞くと、皇妹はいつもの妖艶な微笑みを見せた。
「――それにしてもウィンター。だいぶお顔色が良くなりましたね。昨日とは別人みたいですよ?」
「ええ。こんなに身体が楽で、力が漲ってくる感覚を味わうのは数年ぶりでしょうか? いえ……もしかしたら初めてかもしれません……」
「ウフフ。それは良かったです。やはり朝の施術も効果は絶大のようですね」
「にゃっ?!」
朝の施術。つい先程の記憶を思い出し、頬を赤く染めるウィンターだったが――
「……こんなに身体が楽になるなら……毎朝……施術をお願いしても……良いかもしれませんね……」
ここでエスタが悪意ある笑みを浮かべる。
「ウフフ。あんなに無垢だったウィンターも、随分と私に毒されちゃいましたね。実は先ほど行ったものは――施術ではありませんのよ?」
「え……? そ、それって……?」
「ウフフ♡ 貴方がハァハァドキドキして辛そうでしたから、鎮めてあげたのですよ。――スッキリしたでしょ?」
「……っ」
「ウィンターが望むなら、毎朝――」
「そ、その話はもうお終いです! 王都へ急ぎますよ! 飛ばしていきますからね!」
「――ちょ?! ちょっと待ちなさい!」
ウィンターは皇妹の言葉を遮った直後、飛行速度を一気に上げる。その後をエスタが追い掛けていく。
二人の様子を後方から見つめていたテレサが呟く。
「――やれやれですね。ですが……あんなに楽しそうに笑うエスタ様は初めて見ました。お二人共、とてもお似合いですよ。エスタ様のお相手は色々と大変ですが……ウィンター様、どうかエスタ様を見捨てないでくださいね――」
テレサは微笑みを浮かべながら、主君たちの幸せを願った。
――その頃、リアリティ砦。
南西の方角で今も尚燃え盛るドリム城。一同、その様子を見守る中、無情にも周囲には朝を知らせるスズメのさえずりが響き渡っていた。
国王ネビュラはドリム城から立ち昇る黒煙を見つめながら、謀反を起こした妻と息子の安らかな眠りを祈る。
「――お前たちの責任は……この俺が全て引き受ける。お前たちに汚名を着せるような真似はしない。お前たちが望んだ未来も必ず築き上げてみせる。だから……安心して成仏するがよい……」
黙祷を捧げる国王。その隣では王族の面々が静かに涙を流す。
また、ヒュバートにはシオン、ノエルにはドランカドが寄り添い、悲しみを共有していた。
その様子を険しい表情で見つめながら、クボウの主従――角刈りと白塗り顔が言葉を交わす。
「ヨネシゲよ。此度のクーデター、起きるべくして起きたものだと、儂は思うておる」
「はい……」
「クーデターを起こした王妃殿下とロルフ王子を咎めるのではなく、何故クーデターが起きたのかを反省するべきじゃ」
「ええ。私もマロウータン様と同じ考えです。我々貴族一人一人が考えを改め、責務を全うしない限り、同じことがもう一度起きることでしょう」
「うむ。そうならない為にも、儂らが全ての貴族たちに睨みを利かせねばならぬ」
「ええ。陛下が信を問うたお陰で、王都内の貴族はかつて無いほどの結束を見せています。しかし、まだ地方には陛下を快く思わない貴族たちが多く存在します。彼らともコンタクトを取り、関係改善を図っていかねばなりません」
「忙しくなりそうじゃのう……」
「全ては……トロイメライの安寧と繁栄の為です……」
会話を終えた主従。再び燃え盛るドリム城へ視線を戻すと、トロイメライの再建を誓った。
――時同じくして、王兄屋敷。
卓上の水晶玉を見つめる改革戦士団・総帥『マスター』と、トロイメライ王国・王兄『スター・ジェフ・ロバーツ』。
その背後で整列するのは――つい先程まで、ドリム城にて最期の時を待っていた王妃『レナ』、第二王子『ロルフ』、公爵令嬢『ボニー』、大臣『アトモス』だった。――いずれも瞳に正気が宿っていない。
間もなく開始される一大作戦。
ダミアンら改革戦士団の面々は、期待に満ちた表情を浮かべながら、部屋の片隅で実行の時を待つ。
スターが顔を強張らせながらマスターに訊く。
「――おい、マスター。俺は聞いていないぞ? 何故クーデターを引き起こした王妃たちがこの屋敷に居るのだ?!」
その当然とも言える質問に総帥が愉快そうに答える。
「オッホッホッ! スター殿下――いえ、陛下! ここは陛下の寛大なお心で王妃殿下たちの過ちをお許しくださいませ!」
「し、しかしだな……」
顔を引き攣らせるスターの耳元でマスターが囁く。
「――王都民が求めているのは慈悲深い君主です。こうしてアピールしておくことも、ネビュラを打ち崩す為に重要なことですよ」
「……わかった……」
渋々応じるスター。彼の返答を聞いたマスターが、ベランダで待機中のサラに命じる。
「サラ、始めろ……」
「了解」
その刹那。
サラは上空に向かって空想杖を構えると、白色の光線を放った。
「――あなた! あれを見て!」
「あ、あれは……!?」
ソフィアが指差す先。
ドリム城の北側、ヨネシゲたちが居るリアリティ砦から見て西の方角。その地上から上空へ向かって伸びる一筋の光線。王都の朝空はたちまち白色の光で支配された。
「一体何が起きてやがる?!」
突然の異常事態。
ヨネシゲたちは額に汗を滲ませながら、白色の空を見上げる。いや、彼ら彼女らだけではない。王都に居る全ての者の視線が上空に向けられた。
――その時。
王都全体に不気味な重低音の笑い声が響き渡る。
『オッホッホッホッ!』
「なんだあ?! この笑い声は!?」
「ウホッ、気色悪い笑い声じゃのう……」
ヨネシゲやマロウータン、他の多くの者たちが笑い声に不快感を抱く。
ただ二人だけ――ソフィアとグレースが顔を真っ青にさせていた。
「あ、あの笑い声は……!」
「お、おい、ソフィアどうした!? 大丈夫か!?」
ソフィアは過呼吸に近い状態で動揺。透かさず角刈りが愛妻を抱き寄せる。
「ハァ……ハァ……ハァ……あの笑い声は……!」
「ソフィア! 落ち着けっ! しっかりするんだ!」
すると元・改革戦士団戦闘長――今は王都のヒーロー『ビューティー』ことグレースが、ヨネシゲの元まで歩み寄る。そして普段の口調で角刈りに言う。
「――ヨネさん。ソフィアさんが困惑するのも無理ないわ……」
「グレース先生!? 一体どういう事だい!?」
角刈りが尋ねると妖艶美女の口から衝撃的な事実が告げられる。
「だって……この笑い声の主は……カルムタウンを焼き払ったあの男――改革戦士団総帥『マスター』のものなんですから……」
「マスターだとっ!?」
改革戦士団総帥『マスター』――その名と蛮行の数々は愛妻ソフィアから聞いていた。
(この笑い声の主が……ソフィアとルイス、姉さんにトム、リタを痛み付け、カルムタウンを焼き払った男……!)
そして再び不気味な笑い声。
『オッホッホッホッ! 王都の皆さん! お空にご注目ください!』
一同、上空を凝視。
角刈りは怒りの眼差しで白色を睨む。すると巨大なスクリーンと化した大空に一人の黒尽くめ男の姿が映し出された。
オールバックの黒髪と紺色のフェイスベール。
その中年男を見つめながらグレースが声を震わせる。
「ヨネさん……あの男が……マスターよ……」
「あいつが……マスター……!」
そう。王都の空に映し出された男こそ、改革戦士団総帥マスターだった。
つづく……




