第340話 スズメがさえずる頃に(前編)【挿絵あり】
澄み切った青空、暖かな日差し、爽やかな微風。心地よい陽気の中、広大な草原を歩く銀髪の少年は――ウィンターだ。
普段から鉄仮面と呼ばれることが多い彼も今は穏やかな微笑みを浮かべている。
そんな彼の元にまだ幼い銀髪の少年と少女が駆け寄ってきた。
『ちちうえ〜!』『パパ〜!』
『ふふっ、待っていたよ。さあおいで――』
ウィンターを『父』と呼ぶ少年少女は――そう。彼の子供。ウィンターは愛息子と愛娘を同時に抱きしめる。
そして――
『旦那様』
『エスタ……』
ウィンターを『旦那様』と呼ぶ銀髪三つ編みお下げの女性は『エスタ・グレート・ゲネシス』。ゲネシス帝国の皇妹は、トロイメライ王国公爵『ウィンター・サンディ』に嫁ぎ、二児の母となっていた。
エスタは夫と子供の元まで歩み寄ると、レジャーシートを敷き、その上にお弁当を広げる。
早速ウィンターと子供たちがエスタの手料理を頬張る。
――家族で過ごす幸せなひと時。
すると突然、エスタがウィンターに抱きつく。
『エスタ……子供が見ている前ですから……』
『ウフフ。ウィンター、大好きですよ。絶対に離しませんから……』
『エスタ……』
――そんな、幸せな夢を見ていた。
銀髪少年は心地よい温もりの中、目を覚ます。これ程目覚めが良い朝はいつ以来だろうか?
彼の耳に最初に届いてきたのはスズメのさえずり。
ウィンターが瞳を開くと、視界は窓から差し込むまばゆい朝日で白色の世界と化していた。
しばらくの間、瞼を半開きにして、目を慣らしていると、ようやく視界が鮮明に。
ウィンターの瞳には見慣れない天井が映し出される。
「ここは……?」
まだ回らない頭で記憶を辿る。
「そういえば……」
昨晩の記憶が鮮明になりかけたその時――
「うっふ〜ん♡」
「にゃっ?!」
突然耳元で発せられた女性の艶っぽい声。
ウィンターが咄嗟に真隣に視線を向けると、そこには幸せそうに寝息を立てるゲネシス皇妹『エスタ・グレート・ゲネシス』の姿があった。先程の声は彼女の寝言のようだ。
彼女はウィンターの身体に四肢を絡め、その姿は獲物を捕らえた大蛇の如く。
彼が先ほどから感じていた心地の良い温もりは彼女のものだ。
「ウィンタ〜……絶対に逃さないんだから……むにゃ〜……」
「エ……エスタさま……そんなに……くっついたら……」
直に感じる彼女の身体の柔らかさ――ウィンターの鼓動が跳ね上がる。と同時にある事実に気が付く。
(もしかして……私たちは……服を……!?)
直後、エスタが再び寝言を発する。
「うっふ〜ん♡ ウィンタ〜……まだダメよ〜……今度はちゃんと我慢しなしゃ〜い……むにゃ〜……」
「………………」
その寝言は何処かで聞き覚えのあるセリフ。ウィンターは再度昨晩の記憶を辿る。そして記憶が鮮明になった時――銀髪少年の顔が青に染まった。
「わ、私は……なんてことを……! ど……どうしよう……」
顔面蒼白のウィンター。
思考を停止させていると三度エスタの寝言を聞くことになる。
「むにゃ〜……ウィンター……愛してるよ……ずっと私のそばに……居てください……ね……」
「エスタさま……」
果たして、今の寝言は彼女の本心なのだろうか? もしそうだとしたら――自分に想いを寄せてくれる彼女が愛おしい。
気付くとウィンターは、エスタを抱き寄せる為、腕を伸ばそうとしていた。しかし、手首には手錠型の空想錠が装着されており、腕に力も入らず――愛おしいと思える人が目の前に居るのに、抱きしめられない。
(こんなに歯痒い思いをしたのは初めてかもしれません……)
ウィンターは諦めた様子で大きく溜息を漏らす。直後、先程の寝言とは違う彼女の声が聞こえてきた。
「――ウィンター?」
「エスタさま……!」
「もう起きていらしたんですね……」
エスタが眠い目を擦りながら銀髪少年を見つめる。
「あ、はい。私も今起きたばかりです……」
「そうでしたか。よく眠れましたか?」
「ええ……とても……」
エスタは優しく微笑むと、恥ずかしそうに返答する彼の額に手を当てる。
「お熱も下がったようですね」
「はい。これもエスタさまの看病のお陰です」
「ウフフ。それ以上に施術の効果の方が大きかったと思いますよ?」
「……っ」
施術――そのエスタの施しによって体内の毒素を除去。余命一週間の運命を回避した。しかし施術内容は――恥ずかしくて他人には話せない。
赤面させながら目をぐるぐると回している銀髪少年に、エスタが態とらしく言う。
「あらあら。お顔が真っ赤ですよ? また熱が上がってきたようですね。これはもう一度施術をせねばなりません」
「だ、大丈夫です! 熱はもう完全に下がっていますから!」
「ウフフ。焦っちゃって……本当にウィンターは可愛いですね」
意地悪そうに微笑む皇妹。一方のウィンターは話題を変えるようにして、自身の手首に装着された空想錠を見せつける。
「エスタさま。そろそろこれを外してもらえないでしょうか? 身体に力も入らず、不便でなりません……」
困った表情で願い出る彼に、エスタがニッコリとした笑顔を向ける。
「ウフフ……嫌です」
「え?」
拒否。
エスタはウィンターの拘束を解くことを認めなかった。彼女が理由を口にする。
「せっかく捕らえた獲物をそう簡単に逃がすとお思いですか? それにこの状況を望んだのは貴方ですよ? 昨晩自分で何て言ったか覚えていますか?『今はこのまま囚われていたい。エスタさまのおそばに居させてください』って言ってましたよね?」
「確かに……言いましたね……」
「でしょ? 貴方のドM発言はこの耳にしっかりと焼き付いてますからね」
銀髪少年は両手で自身の顔を覆う。
「昨晩の私は……どうかしていました……恥ずかしい……」
「仕方ありません。昨晩の高熱状態では、まともな判断はできなかったでしょう。まあ……貴方の理性を掻き乱したのは私ですが……」
「もし……時が戻せるなら……」
「フフッ。後悔しても遅いですよ? 諦めてエスタのものになりなさい。既にマーキングも施してありますから」
「マ、マーキング?」
嫌な予感しかしない。
銀髪少年が顔を強張らせていると、彼女がその身体を抱き起こす。そして彼の脇腹の辺りを指差しながら妖艶に微笑む。
「ウィンター。ここをご覧になって」
「――にゃっ?! なんですかこれはっ!?」
ウィンターは絶叫を轟かせる。何故なら自分の横腹にくっきりとした真紅のキスマークが残されているのだから。
「ウフフ、驚きましたか? でもココだけではありませんよ?」
「え?」
エスタがウィンターの肌を人差し指でなぞる。
「ココと……ココと……ココと……そして――」
「ひうっ……」
「ここにも♡」
それは術者しか消すことができない刻印。文字数字ならまだしも、キスマークとなるとウィンターの精神的ダメージは大きい。
銀髪少年は瞳を潤ませながら刻印を施した理由を尋ねる。
「ど……どうしてこんなことを……?」
「浮気対策ですよ。貴方が他の女に肌を曝け出さないように」
「私は浮気なんてしません! それに……これでは、同性の前でも肌を曝け出すことができません……」
「おや? わざわざ同性に肌を見せる必要がありますか?」
「それは……同性の前で着替えたり……一緒にお風呂に入ったりすることもあるでしょう?」
心底困り果てた様子のウィンター。エスタはその肌を撫でながら艶っぽい眼差しで告げる。
「異性であろうと同性であろうと関係ありません。貴方が肌を曝け出していいのは――私の前だけです」
「……っ」
エスタがウィンターの顎を掴む。
「何れにせよ、貴方に拒否権はありません。縄で縛ろうが、マーキングしようが、監禁しようが、全て私の勝手です。私との契約……忘れたとは言わせませんよ?」
銀髪少年は訴える。
「勿論、エスタ様との契約は忘れていません。逃げも隠れもしませんし、浮気なんて以ての外です。エスタ様に助けてもらったこの命と身体を――捧げる覚悟だってできています……」
すると突然、皇妹は女夢魔に変身。ウィンターを押し倒す。
「そう上手いこと言って、私から逃げていった殿方を何人も見てきました。もし本当に……私に全てを捧げる覚悟があると言うなら――このまま大人しく落とされてください」
「え?」
エスタはそう告げると臀部から伸びる尻尾をウィンターの首元に近付ける。
「四六時中、エスタを欲してしまう身体にしてあげますよ。その代わり……一生貴方を愛してあげますから――」
彼女はそう言い終えると、無色の液体が滴り落ちる尻尾の尖端を彼の首元に突き付けた――その時、ウィンターが意外な言葉を口にする。
「そんなことせずとも! 私は既に……エスタさまに落とされています」
「え?」
銀髪少年が続ける。
「既に……私の頭の中は……エスタさまの事でいっぱいです。エスタさまの事を考えるだけで……胸がドキドキして仕方ありません。心を奪われています。ですが、無理やり洗脳されてしまったら……本当の意味でエスタさまを想うことができなくなってしまいます。そんなのは絶対に嫌です……」
「ウィンター……」
「僕は……理性がある状態でエスタ様を想いたい」
真っ直ぐとした瞳で訴えるウィンター。するとエスタが嬉しそうに微笑む。
「そんな事を言ってもらえたのは……初めてですよ……」
彼女はそう言葉を口にしながら、彼の手首と首元に装着された空想錠に手を伸ばし――解錠。
「エスタさま……?」
「ウィンターのその言葉……信用していますからね……」
「嘘偽りはございません。私の本心です――」
彼はそう伝えると、身体を起こし――エスタを抱きしめる。
「ウィンター?」
「やっとこの腕で……抱きしめることができました。エスタさまから受けたご恩は……一生をかけてお返しします」
「ウフフ。どうやって?」
彼女から問われるとウィンターが嬉しそうに語り始める。
「幸せな家庭を作るのです」
「幸せな家庭ですか?」
「ええ。実は先程……ある夢を見ていました」
「夢?」
「はい。子供に囲まれながら、エスタさまと一緒に笑顔で過ごす夢を――」
ウィンターは彼女の肩に手を添えながら真っ直ぐとした瞳を向ける。
「私は……エスタさまと一緒に幸せな家庭を築きたい。――そんな恩返しでは……嫌ですか?」
エスタは口角を上げながら首を横に振る。
「嫌じゃありません……最高じゃないですか……」
そして今度はエスタがウィンターを抱き寄せる。
「その夢、正夢にしちゃいましょう。――子供は何人欲しいですか?」
「え? いや……まだ考えておりません……」
「なら……先ずは一人目……作っちゃいましょうか?」
「……はい……」
見つめ合う男女――高鳴る鼓動、乱れる呼吸、火照る身体。二人の唇が次第に引き寄せられていく――
その時。
突然部屋の扉がノックされる。と同時に皇妹専属侍女の女声が聞こえてきた。
「エスタ様、テレサでございます。只今戻りました」
「ご苦労さまです。少しお待ちになって――」
エスタはテレサを扉の外で待たすと、ウィンターの唇に自身の唇を軽く重ねる。
「ウフフ。お預けですね」
「は、はい……」
そしてエスタはウィンターの身体をシーツで包み込む。
「エスタさま?」
「貴方が肌を曝け出していい相手は私だけですから――」
彼女はそう微笑みかけると、扉の外で待たせていた侍女を部屋の中へと呼び寄せた。
つづく……




