第308話 温もり
イタプレス王国・某所。
木々に覆われた小高い山の中腹には数軒の山小屋が建ち並んでいる。その内の一軒から微かに光が漏れ出していた。
「――エスタ様。それでは早速情報収集に行って参ります」
「お願いしますよ、テレサ。私はその間にウィンターと愛を育んでおりますから」
「――程々に……」
皇妹専属使用人のテレサは一瞬呆れた表情を見せるも、エスタに一礼。メデューサに化けると山小屋を後にした。
使用人を見送った皇妹は、背後のベッドに視線を移す。そこには今も尚眠り続けるウィンターの姿があった。彼女は彼の元まで歩み寄るとその額に手を当てる。
「また熱が上がってきたわ。やはり体内の疲労と毒素を取り除かないと、解熱剤の効果も一時的なものに過ぎないわね……」
エスタはそう独り言を漏らしながらウィンターの額に濡れタオルをあてがう。
皇妹が看病を続けていると、ここで守護神がようやく目を覚ます。だが高熱ゆえかぼーっとした様子だ。
「……エスタ……殿下……?」
「目を覚ましましたか……まだまだ熱が下がりきっていません。このまま安静になさってください」
「……はい……」
ウィンターは掠れるような小さい声で返事した後、エスタに問い掛ける。
「……あの……エスタ殿下……」
「ウフフ、殿下なんて堅苦しい。『エスタ殿下』ではなく『エスタ』と呼んでください」
「……っ……では……エスタ……さま……」
「まあ、それでいいわ……それでなんでしょうか?」
「……はい……ここは……どこなのでしょうか……? 先程と景色が違うようですが……」
ウィンターの質問にエスタはニヤリと口角を上げながら答える。
「イタプレス王都郊外の山中にある山小屋です」
「……山小屋……?」
「ええ。あの後色々とあって大変でしたのよ。危うく貴方の命がお兄様に奪われてしまうところでした」
「え?」
ウィンターは意識を朦朧とさせながらも険しい表情でエスタに尋ねる。
「……エスタさま……教えてください……一体……私の周りで何が起きているのでしょうか……? 陛下やエリック王子……仲間たちは無事なのですか?」
エスタは優しい笑みを浮かべると、守護神の頭を撫でながら返答。
「――安心なさい。でも今はお体に障りますから、余計なことはお考えにならずに――」
不安げな表情で皇妹から視線を逸らすウィンター。程なくすると彼の瞳から大粒の涙がとめどなく零れ落ちる。
「あらあら……ウィンター、どうしたの?」
「……私は……こんな肝心な時に……陛下たちをお守りすることができない……無力な自分に……腹が立ちます……」
銀髪少年は自分の不甲斐なさに悔し涙。エスタはそんな彼の涙をハンカチで拭う。
「――その気持ち……忘れてはなりませんよ」
「……エスタさま……」
「失敗は誰にでもあります。ですが……その失敗を糧にできるかできないかで、貴方の今後が大きく左右されることでしょう。ウィンターにはまだまだ伸びしろがあります。その悔しさをバネにもっともっと成長してくださいな。エスタはずっと見守っておりますよ」
「……はい……」
ウィンターは照れくさそうに小さく頷く。エスタは微笑みを浮かべると、冷水で絞ったばかりの濡れタオルを彼の額の上に載せる。
「……あの……エスタさま……」
「何です?」
「ずっと……私の看病を……?」
「ええ。放っておけないでしょ?」
「……ありがとうございます……」
ウィンターは頬を赤く染めながら礼の言葉を述べる。その最中、エスタが彼の異変を察知する。
「ウィンター、身体が震えていますよ?」
「……はい……あの……さ、寒くて……」
どうやら守護神は発熱による悪寒で身体を震わせているようだ。
「あら、ごめんなさい! 私としたことが! 今温めてあげますからね――」
「エ、エスタさま……!」
エスタはベッドに上がるとウィンターの隣で添い寝。その身体を抱擁する。
「……っ!」
「すぐ温かくなりますからね――」
彼女はそう言いながら彼の身体を優しく摩る。すると皇妹の耳に届いてきたのは守護神の啜り泣く声。エスタが訊くとウィンターが静かに口を開く。
「どうしたの? 大丈夫?」
「こうして……こうして看病してもらったのは……生まれて初めてです……私は……父と兄から……怪我と病は自力で治せと……教わってきました……お前を看病する時間と労力が勿体ないと……」
「ウィンター……」
「……だから……人を頼ったり……甘えることは……極力避けてきました――」
そして彼は自らエスタに身を寄せる。
「……人の温もりって……こんなにも温かいのですね……」
「そうですよ。温もりを求めている今だからこそ、その温かさが身に沁みることでしょう――」
皇妹が更に強く抱きしめる。
「もう貴方に寂しい思いはさせません。私がずっと寄り添い続けますから……」
ウィンターがエスタに疑問を投げ掛ける。
「エスタさま……どうして……どうして……私にこんな良くしてくれるのですか?」
皇妹がウィンターの頭を優しく撫でる。
「私は貴方のことを愛でたくて仕方がないのです――私と似たような生い立ちの貴方を……」
エスタは語る。
「先程もお話ししましたが、私もウィンターと同じで家族からの愛情を受けずに育ってきました。まあ幸いにもお兄様や弟という理解者はおりましたが、そこに愛はありません。家族と言うよりは、帝国を支える為の協力者と言ったところでしょうか」
「エスタさま……」
「まあ、貴方ほど過酷な幼少期を過ごしてきた訳ではありませんが、私はとても愛に飢えています。愛し愛される関係にずっと憧れてきました――」
エスタがウィンターの耳元で甘く囁く。
「ウィンターも愛に飢えているでしょ? お互いに愛し合いませんか?」
「愛し合う……ですか……?」
「ええ。生涯のパートナーとして」
「え?」
「ウィンター、私と結婚しましょう」
「け……結婚……?」
突然の求婚に思考を停止させるウィンター。一方のエスタは妖艶に微笑みながら言葉を続ける。
「はいそうです。私と結婚して、愛を育み、理想の家庭を作るのです!」
「い、いきなりそんな事を言われましても……!」
「ウフフ。貴方に拒否権はありませんよ? 契約をお忘れですか?」
「……っ!」
「それに私は貴方を連れて駆け落ちしてきたのです」
「か、駆け落ち?!」
「ええ。私は貴方を守るためにお兄様を裏切って母国を捨ててきたのですから――責任はとってくださいよ?」
「そんな……無茶苦茶ですよ……」
その刹那、エスタはウィンターの身体に覆いかぶさると、その手首にどこからともなく取り出した手錠を装着。
「ウフフ、愛の束縛です。貴方はもう私のもの。逃がしませんよ……」
不敵に微笑む皇妹。無抵抗の守護神に問い掛ける。
「あら? 抵抗なさらないの?」
「ええ……私に拒否権はありませんから……それに――」
ウィンターが消えるような声で言う。
「……今はこのまま……囚われていたい……エスタさまのおそばに……居させてください……」
エスタは満悦の笑みを見せる。
「ウフフ、なかなかのドMさん発言ですね。でも素直で宜しい――」
皇妹はウィンターの両頬に手を添える。
「いいわよ。今宵は好きなだけ甘えさせてあげる――」
エスタはそう言うとウィンターに顔を近づけて――唇を交わす。
「――エスタ……さま……」
「苦しいでしょう? 今楽にしてあげるから、私に全部委ねて――」
明暗を分ける夜。二人の吐息が交わる。
――トロイメライ王都・国境関所。
赤色の火炎に支配されるイタプレス側のゲート前を、物見台から見下ろす青年は――ロルフだ。
第二王子は人差し指で眼鏡を掛け直しながら、火炎の中に見える馬車を冷たい眼差しで見つめる。
「フッ。さっさと逃げればいいものを――」
ロルフは火炎に背を向けると地上の兵士たちに告げる。
「暴君ネビュラと愚兄エリックは追放した。残るはネビュラの息の掛かった貴族たちの制圧だ! 我々に従う意思を見せる者は生かせ。だが歯向かう者には容赦はいらない――叩き斬れ!」
「「「「「おーっ!!」」」」」
轟く兵士たちの雄叫び。
ロルフは引き抜いた剣を頭上高らかに掲げる。
「天は我々に味方している! 王都に蔓延る不穏分子を一掃し、新しい朝を迎えようではないか! この新王ロルフが……トロイメライに永遠の安寧と繁栄を齎してみせようぞ!」
「「「「「おーっ!!」」」」」
ロルフは誇らしげに口角を上げた。
つづく……




