第303話 火に油
間もなく晩餐会が行われる大広間。
並べられた十数台の円卓を囲むのは、高価な衣装と装飾品を身に着けたゲネシス帝国とイタプレス王国の貴族たち。その内の一台にヨネシゲたちの姿があった。
(俺たち、場違いだろう……)
ヨネシゲは自分の服装を見つめながら額に汗を滲ませる。
現在、角刈りの服装はポロシャツにジーンズという軽装だ。何も最初からこの服装だったわけではない。トロイメライを出発した当初は王都特別警備隊の青い制服を着ていた。だが、先程のモールス戦で『怒神化』した影響により肉体は膨張。着ていた制服は破れ千切れ、布切れと化してしまったのだ。
(まあ、全裸よりはマシか。それにあまり気にし過ぎていると、服を調達してくれたノアさんに失礼だからな……)
角刈りは隣に座るノアを見る。
彼も緑のシャツと黒いズボンといった軽装ではあるが、特段服装を気にした様子はなく、堂々と椅子に腰掛けていた。
(流石ノアさんだ、堂々としている。それにしても――彼は豹人間化した際に衣服が失われることはなかったな。何かカラクリでもあるのかな?)
ヨネシゲはそんな事を考えながら隣のソフィアに視線を移す。
(まあ、ソフィアは立派なドレスに身を包んでいる。彼女が恥をかくようなことは無さそうだ……)
角刈りは愛妻を見つめながら安堵の笑みを漏らす。
というのも、クラフト夫妻は『晩餐会』で苦い体験をしている。それはヨネシゲたちが初めてトロイメライ王都にやって来た晩のこと。王弟メテオの計らいで晩餐会に出席したものの、王都貴族たちから服装を軽蔑された経験がある。
(――あのような居た堪れない気持ちを彼女には二度としてほしくない。ドレスを用意してくれたエスタ殿下に感謝だな……)
とはいえ、この場に居る貴族たちは寛容な心を持つ者ばかり。ヨネシゲやノアの服装を嘲笑うものは一人も居なかった。ただ――
(ゲネシスの貴族からは少々恐れられているようだな。まあ無理もねえか。怒神オーガになって暴れまわってたからな――)
ヨネシゲは、顔を強張らせるゲネシスの貴族たちに満面の角刈りスマイルを見せるのだった。
大広間の一番奥にある円卓にはネビュラ、エリック、ケンジーの姿。そしてトロイメライ王の両隣には彼好みの若い女性――ゲネシス帝国の令嬢が腰掛けていた。それでも尚、円卓には四席の空席があった。一席はロルフ、残りの三席にはゲネシス皇帝たちが着座する予定だ。
鼻の下を伸ばしながら令嬢たちと談笑を交わすネビュラ。そんな父をエリックが微笑ましく見つめる。一方のケンジーは浮かない表情で空席を見つめていた。
するとネビュラがイタプレス王の様子に気が付く。
「イタプレス国王陛下よ。やはり元気がないようだな。ウィンターの風邪でも移ったか?」
ケンジーは慌てた様子で弁解する。
「い、いえ! 先程から緊張の連続でして、ちょっと疲れてしまっただけですよ。ははははは……」
「そうであったか。気苦労掛けるな」
「と、とんでもない!」
そしてネビュラも空席に視線を向ける。
「それにしても――ゲネシス皇帝陛下は何処へ行っているのだ? 余程客人を待たすのが好きなようだな」
不機嫌そうに文句を漏らすトロイメライ王にケンジーが伝える。
「只今オズウェル殿たちは、自軍の将校たちと打ち合わせをしているようでして。恐らく和平も無事締結されたので、我が国から撤退する指示を出しているのでしょう」
「そうであるか……良かったな、イタプレス国王陛下。これでようやく平穏が訪れるぞ」
「はい……」
続けてネビュラが息子に尋ねる。
「エリックよ。ロルフの姿も見えないが――奴は何処へ行った?」
父からの問い掛けに第一王子は呆れた表情を見せながら答える。
「さて何処へ行ったんでしょうかね? ホント、何を考えているのかわからない野郎ですよ。まあ、あんな堅物なんか放っておいて、晩餐会を楽しみましょう!」
「うむ……」
難しい表情で腕を組むネビュラ。すると彼の両肩に令嬢たちが身を寄せる。
「――トロイメライ国王陛下、先日の武勇、帝国でも噂になっておりますよ?」
「先日の武勇?」
「ええ。なんでも巷で名を馳せる空想少女と共闘して、あの改革戦士団の幹部たちを退けたとか?」
「ゲネシスの帝都でも、トロイメライ国王陛下のご活躍の話題で持ちきりですよ?」
「私、トロイメライ国王陛下のような逞しい殿方が大好きでございます!」
ネビュラの顔がニヤける。
「クックックッ……フハッハッハッハッ! 大したことはない。国を預かる君主として当然のことをしたまでだ。これからもより良き未来のために、王道を歩んでいくぞ!」
「「素敵っ!」」
上機嫌で決意を口にするネビュラ――その表情を目にする度にケンジーは罪悪感に苛まれた。
――プレッシャー城の一室。
ローテーブルを挟み、ソファーに腰掛ける三人の男たち――オズウェルとケニー、そしてロルフだ。
ゲネシス皇帝たちはどこか不愉快そうに眉を顰め、対するトロイメライの第二王子は顔を強張らせながら額に汗を滲ませる。
オズウェルはローテーブルの上に置かれた和平合意書を手に取りながらゆっくりと口を開く。
「和平は締結されたが……散々だったな、ロルフ王子よ」
「散々とは?」
皇帝の言葉にロルフは人差し指で眼鏡を掛け直しながら聞き返す。
「わからぬか? ケニーの件だ。使者として送り込んだ無抵抗な我が弟を不当に拘束するとは――俺の怒りは限界に達しようとしている。どう責任を取るつもりだ?」
ロルフは弁明。
「待ってくれ。ケニー殿下を不当に拘束したのは我が父――ネビュラが勝手にしたことだ。私に責任を求められても困るぞ?」
「何を言っている? 弟の身が危険に晒されてしまったのは、ロルフ王子と王妃殿下の不手際が原因だ」
ロルフが反論。
「お言葉だが……初めからケニー殿下が使者として訪れることを把握できていれば、我々も万全の警備体制を敷くことができた。事前の通告なしに作戦を変更されては困るぞ?」
「我々が悪いというのか?」
眉間にシワを寄せるオズウェルに、ロルフが捲し立てるようにして抗議する。
「貴国に非があるのは事実だろう? そもそも貴国は我が母が立てた計画を逸脱し過ぎだ。台本に『王都の結界を破壊して、民たちを襲え』などとは書かれていない。お陰で王都は大混乱だ。次の作戦に大きな影響が出ている。貴国の方こそどう責任を取るつもりだ?」
鋭い眼光を向けるロルフ。ここでケニーが怒りを滲ませた表情で声を荒げる。
「黙って聞いていれば好き勝手言いやがって! お前たちの作戦が生温いから少し手を加えてやったんだよ! お陰でネビュラを誘き出すことができたんだ。少しは感謝しろよっ! この恩知ら――」
「もうよい」
「兄上……」
オズウェルは弟を制止。ロルフに向き直ると不敵に口角を上げる。
「せっかく和平が締結されたんだ。これ以上ここで言い争っても仕方あるまい。此度の事はお相子ということで水に流そうではないか……どうかな? ロルフ王子よ」
皇帝の提案を聞いたロルフは大きく一回深呼吸。
「――貴国の言い分は理解した。ネビュラを誘き出してくれたことも感謝している。感情的になってすまなかった……」
「では?」
「お互い様だ。今回のことは水に流そう」
「英断だ、ロルフ王子よ。貴方とは長い付き合いになる。早々に啀み合っても仕方ないからな――」
オズウェルがニヤリと笑みを見せると、ロルフが安堵の息を漏らす。しかし、直後皇帝が口にした言葉に王子の顔が強張る。
「――だが、王妃殿下に伝えてほしい。我々を『約束を守らない嘘つき』呼ばわりするのはやめてもらいたいと。心底不快だったぞ」
「――その旨、母にはしっかりと伝える。不快な思いをさせてすまなかった」
「頼むぞ」
どうやら、この場は丸く収まったようだ。
オズウェルはソファーのアームレストに肘を置き頬杖すると、ロルフにある話題を切り出す。
「――政略結婚の件だが……」
『政略結婚』――そのワードを聞いた刹那、ロルフの顔が青ざめる。一方の皇帝は王子の様子に気付いていないようで、薄ら笑いを浮かべながら語り始める。
「全て王妃殿下の思惑通りに事が進んでいる。ウィンターは既にエスタの手の内。否が応でも婚姻を受け入れざるを得ない状況に追い込まれることだろう。まあ、我が妹はあの小僧を随分と気に入っている。奴が心を許せば良き夫婦になれることだろう」
「そうか……」
そして、ロルフが最も恐れていた言葉がオズウェルの口から発せられる――行方不明になっている姫の名を。
「それで――ノエル殿下はどちらに居られる? 少なくとも城内には居ないようだが?」
皇帝に聞かれるとロルフは俯きながら答える。
「まだ……王都に……」
「まだ出国させていないのか? 勿体ぶらずに早く合わせてくれ――我が妻に」
今回のネビュラ追放作戦――和平締結に伴い両国の間で予定されている政略結婚。ネビュラの愛娘ノエルはオズウェルに嫁ぐことになっていたが――
突然、ロルフが頭を下げる。
「すまない! ゲネシス皇帝陛下!」
「おいおい……一体どうしたというのだ?」
王子の突然の謝罪にゲネシス兄弟も困惑した様子だ。そして次のロルフの言葉にオズウェルの顔が一気に険しくなる。
「実は……夕刻頃からノエルが行方不明となっているのだ」
「何だと?」
「現在、全力を上げてノエルを捜索している。すまないが、少し時間をくれないか?」
ノエル引き渡しまでの猶予を求めるロルフ。一方のオズウェルは低い声を響かせる。
「――話が違うではないか……」
「……っ!」
「和平締結後、速やかにノエル殿下を引き渡すという約束だった筈だぞ? 我々を嘘つき呼ばわりしておいて、貴国は簡単に約束を破るか……」
「聞いてくれ、ゲネシス皇帝陛下! 我々は決して約束を破ったわけでは――」
「破っているだろう? 如何なる理由があろうと、貴国は我々との約束を守れなかった――我々を馬鹿にするのも大概にしろ!」
「うっ……」
オズウェルは萎縮するロルフに和平合意書を見せつける。
「和平合意書など単なる紙切れに過ぎない――今すぐ王都に攻め入ることもできるぞ?」
皇帝の脅迫。
ここはなんとしてもゲネシス側の怒りを鎮めて最悪の事態を避けたいところ。誠意を見せなければならない。ところが、ロルフの発言は火に油を注ぐものだった。
王子は人差し指で眼鏡を掛け直すと、毅然とした態度で言葉を返す。
「皇帝陛下。我々を脅しているおつもりか? ならば忠告しよう。具現岩が我々の手中にあることをお忘れなく」
「「!!」」
ロルフの発言にオズウェルとケニーの顔が青くなる。双方の間に沈黙が流れるが、程なくすると皇帝が静かに口を開く。
「ロルフ王子よ……発言には気を付けられよ……」
「その言葉、そっくりそのまま皇帝陛下にお返しする!」
「……っ!」
その刹那、振り子時計の時報が室内に響き渡った。と同時にロルフがソファーから腰を上げる。
「――すまない、私はそろそろ帰国させてもらう。まだ王都制圧という大仕事が残っているものでな」
「………………」
ロルフは扉の前まで歩みを進めると、背後の皇帝たちに視線を向ける。
「ノエルは必ず見つけ出して、皇帝陛下の元にお届けする。もう少し待っていてくれ。では――」
王子はそう告げると足早に退出した。
部屋に残ったゲネシス兄弟。
オズウェルは和平合意書を手にすると――破り捨てた。
「ケニーよ」
「はい、兄様」
「奴もネビュラと変わらんな。穏便に済ませようと思ったが――我慢の限界だ。和平も、政略結婚の話も、無かった事にする」
皇帝は弟に指示を出す。
「先程話した通りだ。お前はモールスたちと協力してエスタの部屋からウィンターを拉致しろ。奴の首を王妃に送り付けてやる」
「わかりました」
「それでもトロイメライ側が誠意を見せなかったら――王都に一斉攻撃を仕掛ける!」
不穏な会話を交わす兄弟。
その部屋の外には赤紫髪の女性――皇妹専属の使用人が扉に耳を当てていた。
「エスタ様にお伝えせねば――」
使用人は足早に主の元へ向かった。
――プレッシャー城・皇妹が使用する客間。
ベッドの上で眠るウィンターを看病するのはエスタ。皇妹は彼の額に絞ったばかりの濡れタオルを載せる。
「薬が効いているようね。だいぶ熱も下がってきたみたいだけど……この子の体内に蓄積された疲労と毒素を取り除かないと意味がないわ」
エスタは、魘されるウィンターの頭を優しく撫でる。
「あらあら……可哀想に。また悪夢を見ているのね――」
その時、部屋をノックする音と女声が室内に響き渡る。
「あら? 何方?」
「私です、テレサです。至急エスタ様のお耳に入れたい事がございまして――」
「どうぞ、お入りなさい」
エスタに促されると扉の向こうから現れたのは、あの赤紫髪の使用人だ。
部屋に入ったテレサがエスタの元に歩み寄ると、耳打ちするようにして要件を伝える。
「――!? なんと……それは本当なのですか?」
「はい。オズウェル様とケニー様の会話――確かにこの耳でお聞きしました」
臣下から聞いた驚愕の報告。エスタは腕を組み、唸り声を漏らしながら思考を巡らす。そして彼女が出した答えとは――
「――テレサ、至急移動の準備を。この子を連れて城外へ退避します」
「かしこまりました」
主から命じられた使用人は大きな鞄を手にすると、素早い動きで荷造りを始める。
一方のエスタは全身を赤紫に発光させて、女夢魔の姿に変身。ベッドで眠り続けるウィンターを抱き上げる。
「ウフフ。この子は私と契約を交わした大切な下僕なんですから……誰にも渡しませんよ。それにしても、駆け落ちなんて興奮しちゃいますね――」
――程なくすると、二体の魔人が銀髪の少年を連れて、プレッシャー城から飛び去って行くのが見えた。
つづく……




