第301話 和平交渉
オズウェルが口にした『宣戦布告』という言葉に一同顔を強張らせる。だがネビュラは嘲笑気味に口角を上げながら皇帝に言う。
「ククッ……宣戦布告だと? 血迷ったか? ゲネシス皇帝陛下よ」
「何?」
眉を顰めるオズウェルにトロイメライ王が続ける。
「今回、我々を和平交渉のテーブルにつかせたのは貴国の方だろう? なのに早々に口にした言葉が『宣戦布告』とは笑わせてくれる」
不敵に顔を歪めるネビュラ。
一方のオズウェルは鼻で笑いながら反論。
「フッ。血迷ったのはトロイメライ国王陛下の方ではないか? 和平交渉を前にして、我が弟を不当に拘束するとは――どう考えても我々と喧嘩をしたいようにしか思えないが?」
「フン! 先に喧嘩を売ったのは皇帝陛下だぞ? 王都に危害を加えてタダで済むと思ったか?」
二人の口論は激化。
オズウェルは全身に濃紫のオーラを纏いながらネビュラを脅すようにして言う。
「あまり俺を怒らすなよ。今ここで国王陛下の命を奪うことは容易いことだ」
対するトロイメライ王も一歩も引かず。魔王を脅迫する。
「そんなことしてみろ。ゲネシスは終焉を迎えることになるぞ? 具現岩はトロイメライの手中にある事を忘れるなよ」
「おのれ……!」
オズウェルは怒りを露わにしながらネビュラを睨む。
ここで第二王子ロルフが強い口調で父を注意。
「父上っ! なんてことを申される!? 和平を結びにきたのですよ!? 私たちは戦争をしに来たのではありません!」
「だそうだ、ゲネシス皇帝陛下」
ネビュラは悪びれた様子もなく。息子の言葉をそのままオズウェルに返す。
トロイメライ王の態度に怒りのボルテージを上げるオズウェル。その彼を宥めるのは妹のエスタだ。
「お兄様も落ち着いてください。ここで交渉が決裂してしまえば、今日まで費やしてきた時間と労力が無駄となってしまいますよ?」
魔王は皇妹の説得に聞く耳持たず。
「決して無駄ではない。今こうしてトロイメライ王都の目と鼻の先に、我らゲネシスの総戦力が集結しているのだ。おまけにトロイメライの絶対的守護神は体調不良で倒れている。トロイメライを落とすには、今が絶好の機会ではないか?」
兄の言葉にケニーも同調。
「姉様。兄様の言う通りです。奴らに俺たちを怒らすとどうなるか思い知らせてやらねば!」
睨み合うネビュラとオズウェル。
和平交渉決裂の危機にあの青年が立ち上がる。
「オズウェルどの〜っ!」
「!!」
オズウェルの身体に抱きつくのは――イタプレス王ケンジーだ。彼は瞳を潤ませながら上目遣いで想い人を見つめながら説得を試みる。
「オズウェル殿! 戦争など絶対になりません! |ゲネシスとトロイメライ――両国が衝突すれば、多くの尊い命が失われます。それを避ける為の此度の和平交渉ではありませんか?!」
「ケンジー……」
「確かに両国は長年啀み合っていた仲。双方が一度顔を合わせれば、口論になることくらい安易に想像できます。しかしオズウェル殿とトロイメライ国王陛下は一国の君主。このような場で感情的になってはいけませんぞ!」
「俺は決して感情的になど――」
否定する魔王の言葉をケンジーが遮る。そしてイタプレス王が予期せぬ言葉を口にする。
「感情的になっております! もし……オズウェル殿の怒りが収まらないのであれば――このケンジーを好きなだけ痛みつけてください!」
「はっ?!」
突拍子もないケンジーのセリフにオズウェルは呆然。彼だけではない。議場に居た全員が驚きの表情を見せる。だがケンジーは構わず言葉を続ける。
「僕の身一つでオズウェル殿の怒りが収まるというのであれば――このケンジー、人肌脱ぎましょう!」
「待て、ケンジー! 落ち着くのだ!」
イタプレス王は瞳を輝かせながらそう言い終えると、上着を脱ぎ始めようとする。透かさず魔王が制止。彼は大きく一回深呼吸を終えると、ネビュラに向き直る。
「――まあ良い。此度は親友に免じて、貴国の行いを許そう」
魔王の言葉にネビュラは薄ら笑いを浮かべる。
「クックックッ……英断だ、ゲネシス皇帝陛下よ。我々もこれ以上貴国との争いは望んでいない」
国王と皇帝の態度が軟化したところでケンジーが和平交渉へと誘導する。
「それでは、ゲネシス皇帝陛下、トロイメライ国王陛下。両国の安寧と繁栄の為に――和平交渉を始めましょう」
ゆっくりと頷くネビュラとオズウェル。
トロイメライとゲネシスの和平交渉がついに始まる。
早速オズウェルが和平の条件を提示する。
「我々ゲネシスがトロイメライに求めることは二つ――」
その二つの条件――
「一つは今後永久的にゲネシスの領土を侵さないこと――」
当たり前ではあるが、今後一切ゲネシスの領土に侵攻しないことを求める。
「もう一つは、トロイメライ王都の地下に埋まる具現岩の効果を制限しないこと――」
『具現岩の効果を制限しないこと』――要するに具現岩から放出される『具現体』の制限を行わないことを要求。具現体の空気中濃度が下がってしまうと、オズウェルら「バーチャル種」は生命を維持できない。ゲネシス人にとって具現岩の制限は非常に恐ろしい事だ。
一通り条件を伝え終えた魔王がトロイメライ王に問い掛ける。
「――以上が、我々ゲネシスがトロイメライに要求することだ。難しい話ではないであろう?」
ネビュラは満足げな表情で答える。
「ああ。寧ろ、たったそれだけの条件で貴国と和平を結べるとは安いものだ」
すると魔王がトロイメライ側に条件を尋ねる。
「――それで? 貴国の要求を聞かせてもらおうか」
オズウェルに訊かれたネビュラが条件を口にする。
「我々の要求も決して難しいものではない。貴国には、和平を締結するにあたり、追加で条件を求めないことを約束してほしい」
「それだけか?」
その容易な要求にオズウェルは拍子抜けした様子。ネビュラはニヤリと口角を上げながら言葉を続ける。
「それだけだ。まあ強いて言えば――これからは共に歩み寄り、対話を重ねて、より良い関係を築いていこうではないか」
トロイメライ王の要求を聞いた魔王が満悦そうに笑う。
「フフッ。貴国の要求、受け入れようではないか」
どうやら合意に至ったようだ。その様子を確認したケンジーが交渉の場を締める。
「どうやら、話は纏まったようですね。ならば早速、調印式に移らせていただきます」
その後、滞りなく調印式が執り行われ――トロイメライ王国とゲネシス帝国の和平が締結された。
――そして固い握手を交わすネビュラとオズウェル。
二人が握手を交わす様子を見つめながら、誰よりも安堵の息を漏らすのは――第二王子ロルフだ。
(全て上手くいったぞ。作戦は成功――いや、まだだ。ノエルの件を皇帝陛下にお伝えせねば……)
ロルフは悩ましそうに人差し指で眼鏡を掛け直した。
この歴史的和平合意は『イタプレス合意』と呼ばれることになる。
――その一方で『幻の和平合意』と揶揄されることになるとは、誰も予想していなかっただろう。
つづく……




