第291話 越境の夜(前編)
ドリム城の廊下を急ぎ足で移動するのは――第二王子ロルフだ。彼は父ネビュラと兄エリックと合流するため、北門を目指していた。そこから馬車に乗車し、和平交渉の地――隣国イタプレスへと向かう――台本の1ページを演じる役者の一人として。
ロルフは先程母と交わした会話を思い返していた。
『――母上。ノエルの事、ゲネシス皇帝陛下に何とお伝えしましょうか? 正直に『行方不明』とお伝えしても不信感を抱かれるだけです』
『――そうですね。皇帝陛下には『ノエルは体調不良』とお伝えしてください。但し、お伝えするのは和平調停が交わされた後にですよ?』
『はい……しかし、皇帝陛下はそれで納得するでしょうか? 本来であれば和平が交わされた直後に双方の姫の交換――政略結婚の手続きを行う予定になっております。直前になってノエルが居ないと知ったら嘸お怒りになられることでしょう。やはり今からでもお伝えした方が――』
『いえ、それはなりません。ただでさえ、トロイメライ側はケニー殿下を拘束しております。そこに『ノエルを引き渡せない』などとお伝えしたら――下手をしたら此度の計画は頓挫してしまいます。少なくとも陛下とエリックが越境するまで、ノエルの件を皇帝陛下にお伝えする訳にはいきません』
『――わかりました……』
『ロルフ。私たちの悲願達成の為には多少狡猾でなければなりません。言い方は悪いですが……例え相手がゲネシスであっても欺く覚悟も必要です。これは私たちにとっての頂上戦争なのですから――』
――回想を終えたロルフは大きく息を漏らす。
直後、前方からある少女の声が聞こえてきた。
「ロルフ王子!」
「――ボニー嬢?」
ロルフの前に姿を現したのは、赤髪巻き毛の公爵令嬢――「ボニー・サイラス」だった。
ボニーは駆け足でロルフの元まで駆け寄っていく。
「ロルフ王子……間もなく出国ですね……」
「ああ、行ってくる」
不安げな表情を見せるボニーにロルフが微笑み掛ける。
「案ずるな。無事、ゲネシスと和平を交わし、明日の朝までには戻って来る。君は城で待っていてくれ」
「はい。お気を付けて……」
瞳を伏せるボニー。するとロルフは彼女の両肩に手を添える。
「ボニー嬢」
「はい、何でしょうか?」
不思議そうに顔を上げる令嬢に王子が真剣な眼差しを向ける。
「無事、ゲネシスとの和平が交わされた暁には――私と交際してほしい。結婚前提にな」
「え?」
突然の求愛。
ボニーは困惑と疑いの表情を見せる。
「ロルフ王子……それは……私がヒュバート王子に振られたから……同情なさっているのですか?」
ロルフは否定。
「違う、これは私の真心だ。君が愛おしい。君をもっと愛でたいのだ」
だがボニーは表情を曇らす。
「お気持ちはとても嬉しいですけど……私の兄が……」
王子は令嬢が懸念することを瞬時に理解する。
「兄ウィリアムが国王派で、私が王妃派だからだろう?」
「ええ……」
「そんなのは関係ない。君の兄は国王派だが、これからは共に手を取り合って、より良い国造りをしていくつもりだ。啀み合う時代は――もう終わりだ」
そしてロルフがボニーに答えを求める。
「して――私との交際、前向きに考えてくれないか?」
「――はい。私でよろしければ……」
ボニーは頬を赤くしながら答えるのであった。
――王都特別警備隊基地・総司令官室。
二人の少年がテーブルを挟んで向かい合う。
「はい、解熱剤だよ。これでいいかい?」
「ありがとうございます」
王都特別警備隊・総司令官を務める第三王子「ヒュバート・ジェフ・ロバーツ」から解熱剤を受け取るのは、王都守護役「ウィンター・サンディ」だ。
ウィンターは解熱剤を早速服用。その様子を見つめながらヒュバートが尋ねる。
「風邪かい? きっと疲れが溜まっているんだろう……」
「はい……陛下の護衛を終えたら、しばらくの間休養を取らせてもらいます」
「その方がいい。それにしても――君が僕を頼るなんて珍しいね」
「――解熱剤など、ノアたちには頼めません。余計な心配を掛けてしまいますからね……」
表情を曇らせながら俯くウィンター。一方のヒュバートは鼻で笑う。
「フフッ。僕なら心配しないと思ったかい?」
「い、いえ。そういう訳では……!」
慌てた様子で顔を上げる守護神に王子が言葉を続ける。
「わかっているさ。立場上、君は部下に弱みを見せる訳にはいかない。部下に不安を与えることは、部隊全体の士気に関わってくるからね――僕も特別警備隊の総司令官を任されて、君の気持ちが少し理解できたよ――」
ヒュバートはウィンターの肩に手を添えながら訴え掛ける。
「だけど、友として言わせてもらうよ――無理だけはしないでくれ。君はそこまで身体が強い方ではないからね」
「王子……お気遣い痛み入ります――」
ウィンターはヒュバートに一礼。別れの挨拶を交わした後、時を凍てつかせて瞬間移動。その場から姿を消した。
直後、部屋の扉をノックする音。
ヒュバートが応答すると扉の外から姿を現したのは――彼の秘書シオンだ。
「ヒュバート王子、お茶をお持ちしました――あれ? サンディ閣下は?」
「たった今、城に戻ったところだよ」
「そうでしたか。サンディ閣下も大変ですね――」
シオンはそう言いながらヒュバートに茶と菓子を差し出す。
「さあ、王子も多忙な夜が待っております。今のうちに一息入れてくださいな」
微笑みかけるシオン。
するとヒュバートは突然立ち上がり――フィアンセを抱き寄せる。
「ヒュ、ヒュ、ヒュバート王子?!」
突然のことにシオンは顔を真赤にしながら困惑する。ヒュバートは彼女の耳元で囁くようにして言う。
「――間もなく父上と兄上、ウィンターたちが越境する。母上と叔父上が残っているとはいえ、王都――いや、トロイメライはかつて無いほど手薄な状況に陥ってしまう。何かあってからでは遅いからね。そうならない為にも僕がしっかりしないといけない――」
ヒュバートはシオンから身体を離すと、その瞳を真っ直ぐと見つめる。
「だけど僕一人だけでは力が足りない。マロウータン殿やバンナイ――そして、君の力が必要不可欠だ。今夜は眠れない夜になると思うけど、僕に力を貸してほしい!」
シオンは微笑みを浮かべながら言葉を返す。
「ウフフ、安心なさってください。元よりそのつもりですわ。私も、父も、各小隊長たちも、全身全霊をかけて王子をお支えする所存でございます。愛する民を、王都を、私たちの手で守り抜こうではありませんか!」
「うん、そうだね――」
見つめ合うシオンとヒュバート。
「シオン嬢……」
「ヒュバート王子……」
次第に二人の顔が引き寄せられていく――
ゴーン。
『ホッホー、ホッホー、ホッホー……――』
それは振り子時計の時報。
壮大な鐘の音と共に鳥の鳴き声が響き渡る。
その音を耳にしたシオンとヒュバートはハッとした様子で身体を離す。
「そ、そろそろ、父上たちが出国する時間だ。け、警備を強化しないと!」
「ご、ご安心ください! 既に各小隊とクボウの兵が王都全域に展開しております! 警備体制に抜かりはありません!」
「そ、そうだったね! 僕たちは各小隊と連絡を取り合って、不測の事態に備えておかないといけない。どんな些細な情報も重要だ。シオン嬢、早速伝令の準備を!」
「かしこまりました!」
頬を赤く染める二人。互いに力強く頷くと各々の仕事に取り掛かった。
つづく……




