9‐(5).見解の相違
「……んー? もうちょっと増えてると思ったのに」
聞き覚えのあるその緊張感のない声に、私は我が耳を疑った。
エナと共に向かっていた礼拝堂の出入り口から、片手の指では足りないほどの数の人間が複数入ってくる。悲鳴と混乱に満ちたこの場にはそぐわない堂々とした足取りで先頭を歩くのは、魔人の二人組。赤銅色の髪を撫で付けた婀娜っぽい雰囲気を持つ魔人と、銀髪の体格は良いが姿勢が悪い魔人だ。
私はその魔人を知っている。
その顔を見て、そう遠くはない数か月ほど前にした、すごく怖い思いが蘇ってきた。その怖い思いの原因となったのは、魔人の襲撃。襲撃犯の名前は、レヴィとオルドラ……今まさに目の前に現れた人物だった。
これ以上ないほどの最悪なタイミングに、最悪の登場人物。しかも、どういった関係の人間だかは知らないが複数人を引き連れている。ただでさえ高まっていた恐怖と混乱の感情が、さらに激増した。
先ほどまで一直線に目線上の出入り口へと向かっていたエナが勢い良く方向を転換をする。腕を掴まれているためその動きに振り回され、足を縺れさせながらもなんとかついていく。
方向転換の際に一瞬だけ見えた、緊迫感に満ち舌打ちでもしたそうなエナの横顔。それが今どれだけまずい状況であるのかを物語っていた。ソルもパーシヴァルさんも化け物の方へ行ってしまっている。エナと私だけでは、対処できるかわからないのだ。しかも、あの人数相手では多勢に無勢でもある。
しかし、まだ希望はある。今なら私たちはあいつらに気付かれていない。だったら速攻で逃げれば。
そう思った私の背後から、笑みを含んだ声が。
「やだな、逃げないでよー」
ぞくりと、背筋が震えた。
次の瞬間、小さな人影が二つ私たちの進路上に飛び込んでくる。その人影は、育ちのいい人間が着るような良い仕立ての洋服を着た男児と女児だった。どちらともが一片の表情も浮かべずに、暗器のような小さな武器を私たちに向けていた。
舌を打ったエナが、掴んでいた私の腕を離す。そのまま私を背後に庇うと、大小の剣を鞘から抜き放ち、構えた。遅れて私も剣を抜く。
子供たちからは何の感情も読み取れない。これが敵意のあるものと対峙している人間だろうかと思った。そもそも、あんな小さな子どもたちが武器を持っていることがおかしいのだ。疑問と混乱で頭がいっぱいになる。
そんな精神状態のせいで、背後の気配に気が付くのが遅れた。
「小鹿ちゃん、久しぶり。相変わらず綺麗だね」
肩に手を置かれた。耳元で囁かれる声。
あまりにも驚いてしゃくりあげる様な音のない悲鳴を上げた私は、手に持ったショートソードで背後を振り払う。
後退することで軽やかにそれを避けたレヴィは、愉快そうに喉を鳴らした。
「怖がりなところも相変わらずだ。可愛いね」
魔人の接近を許したことに気付いたエナが、より一層厳しげな表情になり、背で私を押して進路を塞ぐ子供たちとレヴィの両方から私を庇えるよう体の位置を変えた。
その一連の動作を見たレヴィが嘲笑う。
「女の子に守られちゃうお姫様気質なところも変わってないねえ」
「ヤマト、気にしちゃ駄目だからね」
明らかに私を揺さぶる目的で吐かれる言葉だ。エナが鋭く忠告する。
正直プライドなんてろくに持っちゃいない私だったが、かあっと頬が紅潮するのを感じた。馬鹿にされて悔しいというわけではない。不測の事態に混乱して怖がって、まったく以前と同じ轍を踏んでいること、それが問題だった。
今まで何をしてきたんだと自分を叱咤する。こいつらに対抗するべく訓練してきたのに、ショックで動けないのではどうにもならない。
ショートソードを強く握り直して、気を強く持つ。レヴィを睨みつけると、魔人が片眉を跳ね上げ意外そうに、だが面白そうに笑んだ。
「小鹿ちゃんのそんな顔初めて見たかも。ちょっとは強くなったのかな?」
その言葉が終わるや否や、私たちの行く手を塞いでいた子供二人がこちらに向かって躍りかかる。
一瞬後、金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴り響いた。
エナは攻撃を防いだが、飛びかかってきた子供たちの動きは、おおよそ子供の物とは思えないものだった。凄まじい跳躍力だ。数メートルの距離を詰めるのに、ほぼ一瞬。
そんな相手と二対一はいくらエナが強くてもきつい。私は片方を引き受けるべく、女児に斬りかかった。
不意をついたつもりだったが、すぐに反応した女児が暗器を繰り出してくる。両手に小さな武器を持つ相手となど初めて対峙するため、凄まじくやりづらい。
「っ! パース、ソル! 新手ぇーっ!」
ソルとパーシヴァルさんがいる方向を見つけたのだろうか、視線を巡らしたエナが叫ぶ。
その声が届いたのかはわからない。だが小さな舌打ちが背後から聞こえた。女児からの攻撃を防ぎながらだが振り返ることはできないが、舌打ちの主はレヴィのようだった。
続いて声が聞こえる。
「オルドラ、結界」
言葉が終わらないうちに、高い振動音が短く響いた。
異様な雰囲気に体が包まれる。
次の瞬間、目の前にいた女児以外の人間が全て消えた。
「なっ……!?」
消えたのは人間だけではない。音もだ。さっきまで悲鳴と怒号に満ちていた礼拝堂が、しんと静かな静寂に包まれる。
驚く私を尻目に、女児は大した反応も見せずに暗器を振るった。混乱を抑えながら、剣で攻撃を防ぐ。剣撃の音がギィンと礼拝堂に響くたびに、私の焦りは増していった。
何度攻撃を防いだか数えるのも煩わしくなった頃、背後から声が。
「フレーミア、おいで」
レヴィの声だ。私は盛大に体を振動させた。
執拗に暗器を振り上げ続けていたフレーミアと呼ばれた女児は、そう言われてあっさりと暗器を収める。それきり私に興味を無くしたかのように、私の背後に向かって歩き出した。
彼女の進む方向へ視線をやると、そこにはやはりレヴィ。魔人はフレーミアの頭をひとつ撫でると、こちらへと向き直った。満面の笑みだ。こちらは冷や汗が止まらないというのに。
「今日は仕事も兼ねてるけど、小鹿ちゃんのお相手がメインだから安心してね」
そんなことを告げられても、何も安心できない。
非常にまずい。おそらく前回の時と同じく、結界に閉じ込められたのだろう。あれだけ人がいたにもかかわらずこの三人だけを指定して結界に入れるなんて芸当ができるなんて聞いていない。万が一聞いていたとしてもそれの防ぎ方なんぞわからないし、勿論結界からの脱出の仕方もわからないのだが。ああ、八方ふさがりだ。
もうしょうがない。私は開き直ることにした。恐怖も焦りも混乱も捨てきれないが、それを増長させてもしょうがない。開き直るという行為をしようと努力することにした。
とりあえず相手が襲ってこないなら攻撃できない。震える体を隠しながら、対話を試みる。
奴は先ほど仕事と言った。そしてこの最悪のタイミングでの登場。まさか、と勘繰るまでもない。まさか、ではない。ならば、だ。
「仕事、って。あ、あの化け物も、あなたの仕業なんですね」
声が震える。そんな私を見てくすくすと笑うレヴィ。
「そうだよ。でもさ、本当はもっと増えてると思ったんだよね。“腐敗の種はお手軽な兵器生成アイテム。生き物に埋め込むことで便利な生物兵器を作り出せます。他の生き物を殺傷することで種を感染させることができるので、増産効率もバッチリ”なんて……パッケージに騙されちゃった。面白そうだったから買ってみたけど、安物はこれだから。しかも全然美しくないよね」
「何、言って……っ!」
ふざけながら肯定するその口調に、怯えていた自分がどこかにいってしまうほどの怒りを感じた。罵ってやりたいが、頭が沸騰して言葉が出てこない。
(人殺してるんだぞ?! この……っ、最低な奴め)
私の目の前で殺された女性の最後の姿が頭を過ぎる。直接的ではないにせよ、頭を潰されて死ぬなんて壮絶な死に様を彼女に与えたのは、目の前のこの魔人だ。
思わず歯噛みして、あらん限りの力でレヴィを睨みつけた。
「そーんな、睨まないでよ。っていうか俺、小鹿ちゃんに聞かなきゃいけないことがあるんだ」
きつくねめつけても、レヴィは大して堪えた様子も見せない。それどころか、そんなことはどうでもいいとばかりに話を変えて見せる。
「小鹿ちゃん、あの虎男と付き合ってるの?」
「……は?」
突如発せられた場違いすぎる質問に、呆けた声を出してしまう。虎男、とはソルのことだろう。私の近くで虎のエディフはソルしかいない。
しかし、どうして突然そんなことを聞いてくるのか。それも、不貞腐れたような表情で。
「俺が噴水広場であの男に種植え終わったら仲良さそうに二人だけでやってくるし、しかも抱き締められちゃったりしてさ……」
私は瞠目した。レヴィにあのやり取りを見られていたというのも衝撃だが、それ以上のものがあった。
礼拝堂へと向かう前にソルと二人で裏庭へ行ったあの時、既にその時点で、一番最初に化け物へと変貌したあの男の人は“腐敗の種”とやらを仕込まれていたのだ。だから、あんなに様子がおかしかったのだ。何も知らない私があの時気づけるはずはないとわかっていても、後悔が苦く走る。
「ねえどうなの?」
レヴィがイライラと返答を求める。その態度が私には信じられない。
(こいつ……本気で聞いてきてるのか)
人の命を玩具のように扱い、それを責められても歯牙にもかけず、それどころかどうでもよいことのように扱ってみせる。通常の人間ではない。
以前ニーファに、魔人は人の形をしていても人と同じ思考回路を持っていると思わない方がいい、と言われた。人を殺してすぐにこんな脳天気な会話ができる、というのがそれを如実に表している気がした。やっぱり、どこかおかしいんだ。
「……なんで、あなたに、そんなこと」
言われなきゃならないんだ。もう口もききたくなくて、言葉を途中で切る。頭がぐらぐらと煮立ってどうにかなりそうだった。
そんな私の態度を見ても何も思わないのか、レヴィは不機嫌な表情をそのままに言い放つ。
「だって君は俺のものになるんだよ? 他の男となんて関わらないでよ」
今度こそ、私は本気で困惑した。
こいつは一体何を言っているんだ。私が、レヴィのものになる……? 一体何がどうなってそうなったんだ。
恐怖、怒り、困惑と短時間でくるくる感情を回しすぎて目眩を覚えそうだった。そんな私を知ってか知らずか、レヴィは楽しそうに笑う。
「あ、困惑した顔もかわいーね。ほんと俺、小鹿ちゃん好きだなあ……」
うっとりと眼を細められても、反感しか覚えない。
「あなたのものって」
「厳密には、体だけだけど」
「から、だ?」
わけがわからない。自分の眉根がどんどん寄っていくのを感じる。
続けた質問の言葉に答えようとしたレヴィは、はっと気がついてそれを止め、唇を尖らせた。
「待って、小鹿ちゃんはまだ俺の質問に答えてないじゃない。どうなの付き合ってるの?」
「……ないです」
まだ続いていたのか、それは。半ば捨て鉢になりながら答える。
男同士の話だぞ。しかもここは二次元じゃない。さらにやおい世界でもないんだから男同士で付き合ってるもクソもない。それとも魔人は価値観が違うのか。ホモ許容種族か。羨ましいなクソが。
「やっぱり? ああ、良かった」
私の頭の中での悪態も知らず、答えを聞いたレヴィは大げさに安心した様子を見せた。
「いやでも俺、信じてたよ。小鹿ちゃんはそこらの淫売とは違うってね。でも万が一あの虎男に小鹿ちゃんを奪われてたら……」
気分が良くなったのか魔人はおおよそ男子に向けるものではない単語を交えつつ朗々と語る。
だが、ある時点で言葉が途切れた。その途端、レヴィの雰囲気が唐突に変化する。表情はそこまで変わらない。だが、確実にそれまでのふざけた態度とは一線を画していた。それは暗く底知れない、物騒なものだった。
「……嫉妬で殺しちゃったかもなあ」
聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで小さく呟かれた言葉に、ぞっとした。直後、レヴィがにこりと笑う。
手がかたりと震えた。
怖い。何が怖いって、簡単に人を殺してしまう奴が“その気になりかけている”のが怖い。そして私は“その気になる”スイッチに近いところにいるようだった。どうしてそこまで執着されているのかまったくわからないのも、余計に怖い。
震える手を抑えながら、話を続ける。
「……体だけ、ってどういうことですか」
「言葉通りだよ。君が死んだら、ルイカが魂を手に入れて、俺が体を貰う。ほら、余す所なしに使える。素晴らしいよね」
「死体、を?」
言葉通り……そうは言うが、本当にわけがわからない。だって、その言葉の通りに意味を取れば、こいつが欲しいのは、私の死体ということになる。何か使い道があるのか、それとも屍体性愛とかそういう趣味の人なのか。どちらにせよ、私にとって歓迎するべきことではない。
だって、殺される。
一気に顔を青くした私を見て、レヴィが愉快げに喉を鳴らした。
「フレーミア、行って」
前触れなしに発されたその命令に、躊躇うことなく女児……フレーミアが反応した。突然何だと驚く間もなく斬りかかってくる。
剣撃を防ぐために得物を構えてガードした。
一回、二回。
重い金属質な音を立てて暗器と剣が光を散らし合う。
三回目のその音の後、ガードに使っていた剣をバッシュさながら暗器へ勢い良くぶつけた。武器を弾かれ手を跳ね上げられたフレーミアに隙が生まれる。
(ここだ!)
得物をその手から弾き飛ばすべく、踏ん張って一閃。
だが――。
「えっ!?」
フレーミアが想定外の動きを見せる。まさにわざと剣閃の軌道上に飛び込んできたのだ。
私はスイングを途中で止めることも出来ず、そのまま振り抜く。
体を袈裟掛けに斬られ、崩れ落ちるフレーミア。私はそれを呆然と見下ろした。




