幕間 7‐(11.5).神のみぞ知る
「……ねえお姉さんたち。なんで俺ら呼ばれたの?」
身支度のため、鏡台の前で侍女数人に囲まれた状態で、ソーリスは問う。
先程まで彼は風呂に入れられていた。他人に風呂の手伝いをされるなんて幼い頃を思い出すようで嫌な気分になったが、侍女たちの勢いに逆らえなかった。
彼女たちのアグレッシブさときたら、並の人間では絶対に体現出来ない。何か特殊な訓練でも積んでいるのだろうか。
「うふふ、光之方様の思し召しでございます。私たちは理由など聞ける立場にございませんわ」
「そうですわ。……ああソーリス様、男の方なのに、お肌がきめ細かくっていらっしゃるのね。素敵だわあ」
「勇壮で、甘い顔立ち……着飾ったヤマト様と並ばれたら、どんなにか素晴らしいでしょう」
四方八方から投げかけられるうっとりとした声と恍惚の表情。
他人を着飾るだけだというのにどうしてそうまで嬉しそうなのかとソーリスは不思議に思ったが、その言葉の中に引っかかるものを見つけた。
「ヤマトと? ……ねえ、俺ら二人、ダンスパーティーに参加させられるので間違いないわけ?」
こうやって身支度を整えられているのだから、それは間違いないのだろう。
声を掛けられた侍女はほんのりと頬を赤らめて答える。
「ええ、それはもうその通りでございます。お二人が寄り添う姿が目に浮かびますわあ」
(……寄り添う?)
それはおかしくないだろうか。ソーリスもヤマトも、男だ。
「寄り添う、って……男二人だろ?」
「ですから、そうなってもおかしくありませんよう、ヤマト様にはドレスを着ていただきますの。ヤマト様の身支度のために、光之方様付き侍女の中から特別選抜チームを組みましたのよ」
もちろん、私たちも選抜された者ですが。と言葉を続ける侍女だったが、ソーリスはそんなこと聞いてもいなかった。
侍女の言葉の前半部に、信じられない文章があったからだ。
「ヤマトに、ドレス……!? ちょっ、なんでそんな話に……」
いくら美しくても、ヤマトは男だ。そんなことは、明らかに普通ではない。
だが、侍女たちは驚くソーリスに一瞥をくれると、まるで歌いだすように語りだした。
「先程も言いましたが、私たち理由は知らされておりませんの。ですが、光之方様のご命令ですもの、きっと崇高な理由があるに違いありません」
「そうですわ、きっとそうです。私たち、とても使命感に燃えておりますの。神の思し召しに沿った行動をとることができる……なんて幸せなことなんでしょう」
「それに、ヤマト様の神の造形物のごとき美しさ……ああまで神々しい男の方、私見たことがありません。ああいった方こそ着飾られて、多くの者に愛でられるべきですわ!」
「そしてその傍らには、ソーリス様のような美男子が必要不可欠……! 神に愛されし姫と、それを守る勇壮な騎士! ああ、素敵だわ、素晴らしいわ」
凄まじい勢いで連ねられた言葉にあっという間に置いていかれて呆然とするソーリス。ああ、なんだか女というものが今日この瞬間だけで一気に理解できなくなった。
しかし、彼女らの話を聞いているとまるでそれが当たり前であるかのような錯覚すら覚える。これは洗脳というものではないだろうか。
(……どっちにしても、もうここまで来た手前逆らえねーし……)
ソーリスは覚悟を決めた。ヤマトには悪いが、彼にも覚悟を決めてもらおう。
それにしても、ヤマトに、ドレス……どう想像しても、ソーリスの脳裏には天使しか登場しなかった。大の男に女装をさせると聞いてこれだ。いかに自分が彼に参っているかがわかる。
(俺も相当重症だな……)
侍女たちのお喋りと身支度のために顔だの髪だの引っ張り回されて疲れきったソーリスは、待合室に戻され、ヤマトの身支度が終わるのを待っていた。
普段ソーリスは窮屈な服を着ないから、首元の苦しさにイラつく。服の生地が厚すぎて動き辛いことにイラつく。
衝動を殺しきれぬまま苛々と尻尾を左右に振っていると、がちゃりとドアの音がした。
またか、とソーリスは思う。
先程から侍女がばたばたと出入りしては黄色い悲鳴を上げて去っていくのだ。自分は見せ物ではない。三度目くらいから視線をいちいちくれてやるのも億劫になり、無視をしている。
(鬱陶しい。いらいらする。早くヤマト来ないかな……)
ドアを開けてやってきた人物は、また黄色い悲鳴を上げて去っていくのだろうと思っていた。しかししばらくして気付く。黄色い悲鳴がいつまでたっても上がらない。
静まり返っているドア付近を不審に思い、ソーリスが振り返ると――。
室内の魔光灯に眩く照らされてなおそれ以上の光を放っているかのような……そう、世界の愛を一身に受けて生まれ出でたような存在がそこに立っていた。
「ヤマ、ト?」
呆然と、おそらく彼であろう名を口の端にのせる。
「あ、う、うん俺……」
近寄り難いほどの神々しさを放つ存在は、聞き慣れた、自信のなさそうな声で返答を返した。
声は、ヤマトだ。しかし――。
彼は、先程ソーリスが冗談のように想像した“天使”を軽く凌駕してみせた。
いつもは無造作に流しているオリーブ色の髪を綺麗に結い上げ、肌の露出が少ない純白のドレスに身を包む彼は、天に仕える者ではなく、天に君臨する者としての威風すら纏っているように見える。
(“天使”なんかじゃない……これは“女神”だ)
女神の化身が何か喋る。早々に天上の音楽のようなその声に魅了されたソーリスは、最早自分がどういった会話をしているのかわかってはいない。
花の女神、ナトゥーラ。ソーリスは神話の中のその存在を思い出していた。
5人いる女神たちの中でも一際美しい姿をもつというナトゥーラは、優しい心と類稀なる力をもってして世界中の草花に愛を与えるという。
普段は宗教や神など信じてはいないソーリスだったが、今ならば花の女神の存在を信じることができた。
だって、それは今目の前にいるのだから。
頭上と胸元に咲く真っ白な花飾り。それが、目の前の彼、ヤマトを汚れなき花の女神たらしめていた。
陶然と、ソーリスは花の女神を見つめ続ける。
あまりに陶酔しすぎて、ヤマトが歩けばその足跡に花が咲き乱れる様な幻影すら見え始めた。ああ、でもありえなくはない。だってあれは女神だ。そのくらいの奇跡、簡単に顕現してみせるだろう。
女神が振り返る。女神がソーリスに向かって何か言う。だが、それが自分に向けられているとはソーリスは思えない。だって、女神は天上の存在だ。
つきりと、胸が痛んだ。
女神は天上の存在。自分のような地を這いずる存在とは、決して交わることは――。
「ソル!」
びくり、とソーリスは体を震わせた。
目の前には、怪訝そうな顔をしたヤマト。あまりの彼の美しさに半分トリップしていたソーリスがやっとのことで意識を取り戻す。
「……う、うわっ、ちょっ……あ、あっ、な、なんでこんなことになってんだろうね! 2人でダンスパーティーって……男同士でなんで片方女装させてまで……って侍女たちもういねーし! お、俺文句言って……」
まずい、頭が混乱している。
動揺のあまりぐらぐらと揺れる視界の中、自らの混乱を自覚したソーリスだったが、堰を切ったように流れ出した言葉は、自身でも止められなかった。
そんな彼を、ヤマトが制する。
「あ、そ、ソル。待って待って」
ああ、声色はいつものヤマトだ。ソーリスは思った。自信のない様子で紡がれる言葉も、彼そのものだった。
「ソル、嫌かもしれないけどさ、もう着替えちゃったんだし……お城の中で問題起こしたら流石にまずいよ」
「……で、でもさ……ヤマト、嫌じゃないの?」
いつものように発されるヤマトの気配りの言葉。それに対して、ソーリスは尋ねた。しかし同時に、自らが発した疑問の声を自らで嘲笑う気持ちが浮かび上がる。女神が女神であることを拒否するわけがないのに、と。
直後ソーリスは慌ててその考えを打ち消した。何を考えているのだ自分は、と。まだ平静とは言い難い精神状態が思考を蝕んでいることを、ソーリスは感じた。
だが自らの混乱と戦うソーリスのことなど知りもせず、女神はあっけらかんと言い放った。
「え? あ……うん……似合ってるし」
……その言葉に、ソーリスは、瞠目した。
なんだか今までの考えが一気に馬鹿らしくなった。今さっきまで天上の存在だったヤマトが、地面まで降りてきた気もする。
なんというか……うん、ヤマトだ。さっきからそう考えてはいたのだが、この言葉で完璧に目が覚めた。
(……ああー)
ソーリスの口から大きなため息が漏れる。そしてそのあたりに配置されていたソファに座り込んだ彼は、思い切り脱力した。
(ふっつーに、ヤマトだよなぁ……俺、何考えてんだろ)
女装を似合っているからと言って簡単に受け入れてしまうヤマトも少し問題なような気がするが、今まで付き合ってきて彼の受け入れ範疇が相当の広域であることを知っているため、不思議には思わなかった。
それにしても、自分は馬鹿だ。ソーリスはそう思った。勝手に相手を神格化して、勝手に自分と隔絶して。独りよがりにも程がある。
ヤマトは、外見以外は通常と何も変わってはいないではないか。
「そうだけどさ……ああ、なんか俺ばかみたい……」
ソーリスは頭を抱えた。そんなソーリスを見てヤマトは慌てたように言い連ねる。
「ご、ごめんソル。大丈夫だよ、ちょっと我慢すればすぐ終わるって。相手が男の俺で不満かもしれないけど、そこは犬に噛まれたとでも思って……」
ああ、当たり前だが、本当の本当に、ヤマトは何も変わらない。この的外れ具合なんて、顕著にそれを証明している。
「……逆だよ」
「え?」
ソーリスはとりあえずヤマトには聞こえないようにその意見だけを否定してみせ、これからのことを考えることにした。
「なんでもない! ヤマト、踊れる?」
「はっ……! 踊れない……!」
ダンスパーティーではダンスをしなければならない。これも当たり前だ。
だが、ヤマトは自ら宣言した通りダンスを踊れないようだった。一気に焦りの表情に顔を歪めたパートナーに、安心させるよう言葉を掛けた。
「……大丈夫だよ、俺リードできるから。多分覚えてる」
その言に、あからさまに安心してみせるヤマト。
「そっか、良かった……って、ごめんね。任せっきりになっちゃうかも」
「気にしないでいいよ。元々俺のせいでこんなとこ来ることになってるんだから」
ソーリスは考える。自分が闘技大会で優勝できなければ、ヤマトのこの美しい姿を拝むことは出来なかったのか。
そうだとすると――。
(マジで、優勝して良かった)




