幕間 7‐(4.5).鬱は伝播する
神結祭を前にして行われた大規模モンスター掃討作戦。ソーリスにとってこの作戦は、彼の人生の価値観を語る上で大きなターニングポイントとなっていた。
良くも悪くも……いや、この作戦が無かったら良かったのに、とすら思っているソーリスにとっては、悪くも、としか表現できないかもしれないが……良くも悪くも、この作戦はソーリスの価値観に激変をもたらした。
激変、そう激変だ。
そもそも、ヤマトと毎日一緒に過ごすうえで、確実な心理的変化は感じていた。しかしその違和感を片づけるために、布の綻びを縫って直すような作業で誤魔化していた。
だが、大規模掃討作戦へと参加したことでヤマトの世界が広がり、人との交流も増えた。彼が次々と周囲を惹きつけてしまうことへ苛立ち、既に縫い跡だらけだった布に新たなる綻びが生まれた。
しかもそれは彼と共に行動するのを禁じられたことで破けやすくなった。日に日に大きくなるのを毎日必死で縫っては安堵の息をついていたというのに。
作戦の最終日、それが全く意味のない作業だったと知ることになる。
ヤマトがカヴァリエの新人を助けるために巨大ボアの突進経路上に飛び込んでいき、一歩間違えば彼が死んだかもしれないような事態に直面した時、心底恐怖を感じた。
想像を絶するような大規模な魔法を使い、自分で立つこともままならないヤマトが騎士に支えられているのを見た時、例えようのない暗い感情を感じた。
頼りなげに力をなくした腕を掴みながら、感情のままヤマトを怒鳴りつけた時にはもう既に、友人に抱くには性質が悪すぎる感情が自分にあることを認めていた。
必死に縫い合わせていたはずの綻びは結局、大きな大きな激変へと繋がってしまったのだ。
ヤマトに抱く感情を認めてしまったことによって激変をもたらされたソーリスの中の価値観、それは「男同士は性愛の感情を抱かない」という内容のもの。
確りとヤマトに対して“それ”を抱いてしまった自分は、その価値観を肯定することはできなくなってしまった。
だが……自らの価値観は変わっても、世間の、ひいては自分が懸想している相手の価値観までもが変わろうはずもない。
どうして言うことが出来ようか、男である自分が、同じ男であるヤマトのことを「好きだ」なんて。
◇ ◇ ◇
(落ち込んでるから何かと思ったら……なんかあったわけじゃなくてよかったけど、繊細っつか、神経細すぎっつか)
ソーリスは溜息をつく。原因は、隣でカクテルグラスをいじりながら、闘技大会に出場することがどれだけ嫌か、目に涙を溜めて語っている美貌の“友人”だ。
前々からわかってはいたが、本当に彼は目立つことを嫌う。それならばどうして大規模掃討作戦であんな大きな魔法を見せたか、との疑問もわいたが、思い返せばすぐに解決した。あれは、“ジェネラルにそうするよう言われたから”だ。
普段の態度からして、ヤマトがジェネラルに抱いている感情はただの憧れだとわかっているのに、こんなことにも暗い感情が湧いてしまう自分に嫌気がさす。
「楽しんじゃえばいいのに」
「ソルみたいに度胸ないんだよ、俺」
少し意地悪な気分になって、全く彼の意向に沿いはしないであろう言葉を返してやれば、不貞腐れたような顔でふいとそっぽを向く。
ここで、以前ならば戸惑ってしまう類の感情を抱いた。しかしその感情がなんだかわからずに戸惑ったのは過去の自分だ。自覚してしまえば、実に簡単なことだといえよう。
(……かっわいいなあ)
だが、度胸、という言葉にひとつ引っかかる。自分はそんなに度胸のある人間だろうか。もし本当にそう言われるほどの心の強さを持ち合わせているのであれば、今こんなに悩んだり、取るに足らないひとつのことに暗い気分になったりしないはずで。
(ああ、だめだ)
思わずヤマトから視線を反らし、自らのウイスキーグラスの水面を見つめる。普段なんでもない時であれば大丈夫なことなのに、心にひっかかりがある今だとどんどん深みにはまってしまう。良くない兆候だ。
なんにせよこのまま沈黙したままでは不自然だろう。軽口でもなんでもいい、何か発言しなければ。そう思ったその時。
「ソルゥ! なんでいるのお?」
「……ん、エイミーか」
ソーリスにとってはよく見知った顔、今はコロナエ・ヴィテのギルドハウスに滞在している、アーラ・アウラ所属の虎のエディフ、エイミーが姿を現した。
(運悪いな……)
今日の前夜祭を共に過ごそうと誘いをかけられたのを断った相手だ。あまりにしつこいので、理由を言うのも嫌になって適当に誤魔化して逃げた。
「あたしが誘っても来てくれなかったのにぃ」
「ああ悪い、今日はコロナエ・ヴィテのメンバーで飲む予定だったからさ」
今となっては、しっかりと理由を説明しておけばよかったと思う。それでも、無理矢理ついてきたかもしれないが。
右隣を占拠し、尻尾を絡みつけてくる彼女。あからさまなモーションだ。ソーリスはあまりこういう類が好きではない。
「じゃ、明日はぁ?」
「明日はヤマトと回る」
左隣にいたヤマトを指し示しながら、明日も一緒に過ごすつもりはないことを伝えた。断るだしにしたことを心の中でヤマトに詫びつつも、どうせ誘うつもりだったから、後で謝ればいいか、くらいに思う。
彼女の、男が自分の誘いを受けるのは当たり前、くらいの態度も苦手だった。こういう手合いは軒並みプライドが高い。自らを美しいと思い、化粧をして、着飾って、さらにそれを誇る。ヤマトとは真逆だ。
そこまで考えて、自然に自分がヤマトとエイミーを比べたことに苦笑した。
だが一気に機嫌を悪くしたエイミーが、不愉快そうにヤマトを品定めしだす。
(……しまった、墓穴だったか)
大型肉食獣の獣人は他種族と比べて体格のよい者が多く、ソーリスのように一見細身なタイプは珍しい。しかも冒険者なんて職業をしているのであればその傾向は顕著で。かくいうエイミーも、身長ならばヤマトと同程度だ。
そしてヤマトはというと、同じヒューマンを集めた中で見ても中性的な顔立ちをしていた。必要な筋肉はついているといっても、この程度ならば少し骨太な女性だと主張しても通しきれる。現に、ヤマトが女性だと勘違いされることは今までに多々あった。
そんなことから、エイミーがヤマトを一見して男と気付けず、恋敵だと認識して敵意を持つのは少なからず予想できることであったのだ。明日の祭はヤマトと回ると言葉にする際、それを考慮に入れるべきであったとソーリスは反省した。
「ヤマトって……男みたいな名前ね。エディフでもないし。……化粧っ気もゼロじゃない。ソルってこんなのが好みだったの?」
案の定、少し見ただけでわかるくらい美しさで負けていることに余計苛立ったらしいエイミーが棘がたっぷりと生えた口調でヤマトを扱き下ろしだす。
扱き下ろす、といっても、名前と、種族と、化粧をしているかどうかについての中傷しかできていないのが滑稽だった。それでは負けを認めているようなものだ。
しかしソーリスは少し焦る。突然乱入してきたエイミーのせいで、気分が落ち込んでいるらしい彼が嫌な思いをしたら大変だ。止めなければなるまい。
だが、エイミーが発した、“好み”という言葉が頭に残ってしまって、少し頭が混乱する。うまく言葉を紡げなかった。
すると、ヤマトがくすりと笑った。予想外の展開に、思わず停止する。
「あはは、俺男です」
最初のくすりからボルテージを上げ、心底おかしそうに笑うヤマト。今日の昼過ぎぶりの笑顔だ。
その言葉を受けたエイミーが、素っ頓狂な声を出して驚く。直後、自らの誤解を自覚したらしい彼女が、しおらしい態度で俯いた。
「あっ、ご、ごめんなさい! あたしてっきり……」
「ほら、もういいだろエイミー。俺今日は友情モードなの」
「そうみたいね。……お兄さん、誤解してごめんなさい。また今度あたしとも遊びましょ」
これを好機とばかりに、急いで追い払った。
捨て台詞にヤマトへの色目を残していった彼女は気に入らないが、今はどうもしない。
ふん、と鼻を鳴らすと、ちょいちょい、と手振りで注目を求められ、ヤマトの指がエイミーの後姿を指し示すのを見た。
「……恋人、とか?」
「ぶっ」
思わず咽る。先程までの状況のどこをどう見たらそう思えるのか。
「ごほっ、何言ってんの? 友達だよ、友達」
「なんだ……」
なかなか咳が治まらずに四苦八苦しながらも、思い切り否定した。
(恋人かとか、聞いてくんなよ……! 俺がこんだけ悩んでるの、誰のせいだと……その張本人が……)
ヤマトに非がないのはわかっているが、どうしてもイラついてしまう。
しかし問題は、彼の相槌だ。つまらなそうに答えた彼に、やはり暗い感情が浮かぶ。
「……俺に恋人、いた方が良かった?」
「うえ? あ、別にそういうわけじゃないよ」
肯定してくれるな、と思いながら発した問いはなんとか否定されたものの、彼は何故か楽しそうに笑いだした。先程までの憂鬱そうな表情は、そこにはない。
「ヤマト、なんか機嫌直ってる?」
「うん、ちょっとさっき面白かったから」
「……俺の彼女だって思われたのが?」
「そうそう」
(……面白かった、って。俺の彼女だと思われて、面白かった、って)
ソーリスは項垂れる。
(……脈無しっつか、ほんっと意識されてないな……いや、わかってるけどさ)
あたふたするのは自分ばかり、そのことが暗い気分に拍車を掛ける。
「……あ、ごめん。ソルは嫌だったよね」
「……いや、そうじゃないよ」
案の定、彼は全く違う方向に気を遣っているし。
「そう? ……っていうかさ、エイミーさん、だっけ? あのお姉さんが好みがどうこう言いだしたときに、否定してくれれば良かったのに」
「否定する前にヤマトが笑い出したからさ、何かと思っちゃって」
否定してくれれば良かった、そうは言うが。
……好みだ、というのも嘘ではないのだ。そんな一言で表せてしまうほどの簡単な問題ではないが。
しかしそんなこと言えるわけもなく、適当に誤魔化すしかなかった。
苦い思いを抱えたまま、絶対にヤマトには聞こえないくらいの小さな声で虚空に呟く。
「……否定しなかったんじゃなくて、否定できなかったんだよ……ばか」
「ん、なんか言ったー?」
もう既に幾分か酔いが回っているらしい彼のへにゃりとした締まりのない笑顔に、なんでもない、と返した。彼の性質上、親しい仲でなければ絶対に見せないであろう顔だ。
その、親しい、という思いの質が彼と自分では全く違うのだと考えたりするにあたっても、いちいち苦しくなる。
この先どうすればいいのだろうか、自分の苦悩が一生続いてしまうような気がして、より一層暗い気分になるソーリスなのであった。




