6‐(9).猪突猛進で行こう
響き渡る悲鳴と怒号の中心地に辿り着いた私は、まず己の目を疑った。
(でかあああ!)
単刀直入な感想を脳内で叫ぶ。あまりの大きさにだいぶ遠い地点からでもその存在が確認できていたのだが、近づいて見上げると本当にでかい。
まさに山のような巨体……歩みを進めるたびに地響きを鳴らすのは、三階建てのビルくらいはありそうな大きさのキリングボアだ。
「前方にいる奴は背後に回れー! 突進経路に身を置くな!!」
年配の戦士が注意を喚起する。目の前にいるこの巨大ボア、大きくなっても突進しかできないのは変わらないらしいのだが、なんせ、でかい!
戦士たちが背後に回り込んで果敢にも斬りかかっては、分厚い毛皮に阻まれている。一筋の剣閃すら通りはしない。魔法剣士らしき人物が零距離で炎の魔法を放っても、なにか不思議な作用が働くのか、焦げ付きすら残らなかった。蟻が象に噛みついても全く効果はないのと一緒で、まず桁が違うのだ。
リビルトさんとギルさんは騎士団で招集を掛けられたようで、私に離れているよう言い含めて行ってしまった。
だが、離れていた方が怖い。暴れ狂う大きなボアの巨体から繰り出される突進は常識では考えられないほどのスピードで進む。万が一遠くにいて突進の予備動作が見えなければ、突然あの巨体が猛スピードで突っ込んでくることになるのだ。だったら、その姿を完全に確認できるくらいの近くにいて逐一観察していた方がましだ。
ボアの前方から身を逃そうと逃げ惑う戦士たち。だが、背後を取られることに苛立つ巨大ボアがくるりくるりと頻繁に向きを変えるせいで、そのたびに蜘蛛の子を散らすような騒ぎとなっている。
気付けば、後ろについてきていたはずのヴィーフニルがいない。どうやら、あまりの人の流れの多さにはぐれてしまったようだった。
青い髪の少年を探してキョロキョロと辺りを見回していると、今の探し人ではない、ワインレッドと青色のコンビが目に映った。
(シビルちゃんと、ラーサーくん……? ボアのあんな近くで座り込んじゃって、大丈夫なの?)
緊急時だというのに、何をしているのかと思ったら……よく見てみると、シビルちゃんが足を挫いているようで、ラーサーくんが手を貸して助けようとしている。
あまりにも場所が悪い。巨大ボアとの距離は目と鼻の先と言っていいほど近いのだ。まだ向きを決めかねているらしいボアがすぐに突進を始めるということはないだろうが、満足に動けないのならば急いで退避しなければまずいだろう。
だがまだ体格がそう変わらない二人であるから、ラーサーくんはシビルちゃんに手を貸して2人で逃げ出すのにえっちらおっちらと苦慮しているようだ。これは、手伝いに行かなければ。
私が走り出そうと思った、その時。
「突進だ! 逃げろぉーッ!!」
まさかのタイミングで、巨大ボアが突進の予備動作を開始したらしい。怒号と悲鳴が溢れだし、ボアの突進経路からどんどん人がいなくなっていく。
しかも悪いことに、シビルちゃんとラーサーくんがボアの視線の直線上にいるではないか。
「マジで……ッ?!」
あまりの事態に、口をついて驚きが飛び出た。
この事態に2人も気付いたらしく、彼らは焦って突進経路から抜け出そうとするが、パニックに陥っているのか芳しい速度とは言えない。明らかにスピード不足だ。
今は後ろ足で地を蹴って力を貯めているボアも、いつ走り出すかわからない。走り出したら凄まじいスピードで直線上のものを撥ね飛ばしていくだろう。
(これは、まずい、非常にまずい!! あんな巨体にもろに撥ねられては、確実に死んでしまう!)
どうしよう、どうすればいいと考えるが、焦った頭ではまとまるわけもなかった。
(あの巨大ボアさえ止められれば……! だが攻撃は効かない! だったら、防ぐことはできないか!? あれを受け止めるって?! もの凄い人数集めればいけるかもしれないけど、そうしている間に三回くらい突進されてお陀仏だ! ……いや待て、私は力を持ってる! 魔法だ!)
数ある覚えた魔法の中から、防御魔法をリストアップして思い浮かべる。
(えーとえーと、『防壁展開』じゃ衝撃は殺せない、あんなのに激突されたら衝撃だけで死ぬ! 一番すごいやつ、それも、攻撃も衝撃も全部防げるやつ……だったら、あれしかない!)
自分にできる限り最大限の『加速』を掛け、巨大ボアと逃げ出そうとする2人の間まで走った。
「ヤマト……?!」
背後から驚いた声が聞こえる。
「早く逃げて!!!」
彼らに一声掛けて、今にも走りだしそうなボアを睨み据え意識を集中させた。
(収束……魔力密度を出来る限り濃く、衝撃を散らすためにとにかく大きなシールドを作れ……ッ!!)
割れない盾、強い盾と念じながら、魔力を練り上げ続ける。
防壁魔法は発動自体は簡単だが、魔力の量と密度の濃さがもろに性能に影響する。
ひたすらに体の中の魔力を流し込んでまとめ、極めて高い密度の塊を作り上げた。
今だ!
「展開……『完全防壁』ッッッ!!!」
グォォン、という音と共に、現れた光色のシールド。全てを防ぐ完全なる盾。光の壁の展開と時を同じくして、巨大ボアがついに走りだす!
――ドオオオォォォォン!!
凄まじい衝撃がシールドに伝わる。接触部分にひび割れを感じた私は、魔力をどんどん送り込み衝撃に耐えうるよう盾を保つ。
視界を覆う土煙に涙目になりながらも、ひたすら、耐える!
やがて土煙が晴れると、シールドにギリギリと牙を押し付ける巨大ボアのどアップが視界いっぱいに映りこんだ。悲鳴を上げそうになるが、堪えて力む。
想像を絶するほどの力が『完全防壁』を通して伝わってきていた。これは、きつい。
(きっつ、い……ッ!! 血管切れるぅーッ)
ふぐぐ、とか、うぎぎ、とか、あまりかっこよくない呻き声が口の端から漏れた。そのぐらいきつい。
しかし大変なことに気付いた。この後どうするかについて何も考えていなかったのだ!
(ああー!!!! どうしよーっ!!!!)
心の中で悲鳴を上げ、またもシールドにひび割れを感じたのでさらに魔力を流し込む。魔力の残量はまだ十分あるが、この状態が一昼夜続いたりしたらどうなるかはわからない。
どうしよう、本当にどうしよう。なんでこんな巨大ボアと力比べ状態に……ッ!
土煙のせいではない涙目状態に陥った。
「後少しだけ耐えろ!」
「うわっ」
「わあっ」
だが涙目になっていた私の背後から、突然声が掛けられる。イクサーさんの声だ。いやそれにも驚いたのだが、シビルちゃんとラーサーくんの声が聞こえたことの方が驚きが大きい。まだ逃げていなかったのか!
なんにせよ、イクサーさんが彼らを逃がしてくれたようだし、指示をくれた。後少しだけ耐えればいいのだ。後少しだけ……ッ!
歯を思いっきり食いしばる。奥歯を噛みすぎて顎が痛くなってきたが、かまっていられない。
(ああ! 後少しって思っちゃうと、なんか余計きつい!)
奮起すべく、ふんぎぎぎ、と先程よりも情けない踏ん張り声を上げる。
そろそろ血管切れるかな、なんて情けないことを思った瞬間、突然ボアの大きな片牙がスパリと切り落とされた。
ぐらりとバランスを崩す巨大ボア。
何事が起きたのか、驚いて切り落とされた牙に視線を移せば、そこにはソルがいた。普段見たことのないような鬼気に満ちた表情をした彼は、大剣を構えて巨大ボアに斬りかかる。
「こっち、向けっつーの!!」
もう一撃、剣撃が、今度は巨大ボアの横っ面に叩きつけられる。凄まじい太刀筋でもって切り傷をつけられたボアが、苦悶の声を上げて標的を変え、方向転換した。
それと同時にシールドに掛かっていた負荷が全て消え去り、『完全防壁』が消失する。
ほっと息をついたのも束の間、巨大ボアがソルに襲いかかった。
「ソル、危ない!」
「げっ!」
悲鳴のように声を上げるが、自分は何もできない。
ソルの頭上に影が落ちる。巨体が両前足を上げ、体で彼を押し潰そうとしていたのだ。
走って影の範囲から抜け出そうとするソル。上空からボアの上半身が迫る。影と日向の境界近くで、ソルが大きく跳躍した。
だが、影から体が出きってしまう前に跳躍のスピードが減速する。
(だめだ……ギリギリ足りないッ)
最悪の可能性が頭を過ぎり、目を瞑った。
だが、一瞬後に聞こえたのは悲鳴でも何でもなく、ソルの「ぐえっ」という声。場にそぐわない間抜けな響きに首を傾げる。目を開いてみると、巨大ボアのぎりぎり間近に、イクサーさんとソルが転がっていた。
「油断するな、馬鹿者っ」
「……うるっせーよ!」
罵り文句をお互いに一言ずつ交わして、2人が動く。イクサーさんは直ちにボアの背後へと回り込み、ソルは立ち上がってボアの巨体を掛け上がった。
どうやら間一髪のところでイクサーさんがソルを引っ張ったようだ。私は安堵でぺたりと座り込む。ばくばくと鳴る心臓を押さえて息をつくと、体が浮き上がった。
誰かに担がれたようだと認識して、自分が覆いかぶさっている背中を注視すると、目に映ったのは豪奢な黄金の髪。
ジェネラルさんだ。彼は私を拾い、ボアから遠く離れた箇所まで運んでくれた。地に降ろされてすぐ、声を掛けられる。
「大丈夫か?」
「はいぃ」
「よくやったな、ヤマト」
ガシャガシャと頭を撫でられ、思わずへへへと笑った。
「だが……あまり無理をしないでくれ。寿命が縮まる」
「あ、はは……無我夢中で」
「それと、あんなデカブツを相手にするよりもあの2人を抱えて逃げた方が良いぞ」
「……無我、夢中で…………すいません……」
苦笑交じりに言われて初めて気がついた。確かに、その方が余程速いし安全だったうえ、誰かの手を煩わせることもなかっただろう。馬鹿力もあることだから、運ぶのだって余裕だ。
返す言葉もございませんとばかりに項垂れる。パニック状態の時って、本当に頭真っ白になるんだなと痛感した。
項垂れた私の頭をぽんぽんと叩くジェネラルさんの手を感じながら、未だ聞こえてくる悲鳴と怒号に耳をすませる。
その中にひとつ、毛色の違う怒鳴り声があった。
「魔術師ギルドはまだか!?」
「それが、まだしばらくかかるとのことで……」
「なんだと……!?」
魔術師ギルドがどうかしたのだろうか? 声の主を探してみれば、それはちょうど今私たちのいる場所に近寄ってきている騎士団の責任者的な人だったようだ。リビルトさんも一緒にいる。いつも爽やかな笑みを浮かべている彼は、今厳しげな表情になっていた。
責任者的な人がジェネラルさんに向かって一礼し、お頼み申し上げます、と言葉を発する。
「どうした」
「申し訳ありませんジェネラル殿、有力な魔術師ギルドたちがこの地域から離れた箇所にばかり配置されており、到着が遅れているのです。そちらの魔術師殿のお力を貸していただきたく願います!」
そちらの魔術師殿、とは誰のことかと思って辺りを見回したが、私とジェネラルさん以外に周囲に人はいない。
と、いうことは。
(……私!?)
もしかしなくても、さっきの『完全防壁』が目に留まったのだろうか。
「……ヤマト、まだ余力は残っているか?」
「あ、はい! 魔力は大丈夫です!」
思案顔のジェネラルさんが私を振り返る。魔力量はまだ大丈夫だ、やりたくはないが先程のレベルの『完全防壁』くらいなら展開できる程度に残っている。
いいかよく聞け、と前置きがなされ、話が始まった。
「あの巨大モンスターは、光属性を苦手としている。毎年出現するのだが、魔術師ギルドによる光属性攻撃魔法の集中砲火でしか倒せた例がない」
で、その魔術師ギルドが遅れてるって……ちょっとまずいですよね!
しかしなるほど、『完全防壁』は光属性だ。それで私に当たりをつけたのか。
「光属性の攻撃魔法は覚えているか?」
「は、はい! あ、でも『聖矢』か『聖槍』しか」
「十分だ。手加減なしで『聖槍』を一発、あいつにお見舞いしてやれ」
「わ、わかりました」
言葉だけでなく、手も震える。考えなくてもわかるが、結構な勢いで現状の命運を背負ってしまったようだ。
そんな私の緊張した様子が見て取れたのだろう、ジェネラルさんが安心させるように肩に手を置いて言った。
「そんなに気負わなくてもいい。失敗したとしても、そのうち魔術師ギルドが来るから」
「はい……」
だが、成功させられるのならばその方が良いに決まっている。落ち着いてやろう、落ち着いてだ!
「詠唱に何分かかる?」
「あ、そんなに時間はかかりません」
「わかった。では、俺が隙を作るから放ちやすいタイミングで放て」
「は、はいっ」
私の頭をひとつ撫でたジェネラルさんは、責任者的な人に向き直った。
「ヤマトが頑張ってくれるそうだ。他の人間を退避させてくれ。俺が囮になる」
巨大ボアの全体が見渡せる箇所で、意識を集中させる。既にジェネラルさん以外の戦士はボアの周囲にはおらず、彼一人が山のような巨体を相手に剣を振るっていた。
発動地点として狙うはボアの頭上だ。上から一気に突き刺せば、避けることも難しいだろう。
膨大な魔力を集束させた後、練り上げて形を成し、鋭く鋭く磨き上げていく。
刃の属性は光、光り輝く7本の槍をイメージし、詠唱者の敵だけを貫く聖なる気を纏わせる。
(できた……!)
今までにないくらい魔力を込めた槍が完成した。巨大ボアの頭上では、息苦しく感じるほどの大気が渦を巻いているはずだ。
「『聖槍』……!」
掛け声とともに、槍の形を成した魔力を思い切り破裂させる。
――ギィィィィ……ィ……ン
共鳴する金属音と共に、天を突くと形容できるほどの巨大な槍がボアの頭上に忽然と現れた。光り輝きながら聳え立つその姿に、あちらこちらから感嘆の声が漏れる。
いち早く発動に気付いたジェネラルさんは既にボアから距離を取っていて、魔法に巻き込まれない場所をキープしていた。
そして、纏わりつく小さな敵がいなくなってやっと頭上の不穏な気配に気づいた巨大ボアが、その場から逃れようと歩き出す。
だが、遅い。
確実に仕留められるよう、矛先をその山のような巨体に向ける。私が手を振り降ろすのと同時に、光の槍が一斉に突き降ろされた!
――ブギイイイイイイィィィィッッッ!!!
断末魔が響き渡る。
7本の槍に思い切り貫かれた巨大な猪の最期の叫びを終わりまで聞くことなく、私の体はふらりと傾いた。
(あっ、やべ……力はいらね)
倒れて地面に打ち付けられる痛みを覚悟したが、力強い腕にがしりと掴まれ支えられたため、それは杞憂に終わる。
「! 大丈夫ですか!?」
間近からの焦ったような声。目にブラウンの瞳が映った。
「……す、すいませんリビルトさん、何度も何度も」
思えば、彼にはなんだか倒れかかってばかりだ。申し訳なくなって謝ったのだが、リビルトさんは怒ったような顔をした。
「何を言っているんですか、あなたは……! 体に異常は!?」
「あ、大丈夫です……単に、疲れただけで」
少し気押されながら答える。ただ単に、思い切りやりすぎたが故の息切れだ。
リビルトさんは、そうですか、と安心したように息を吐いた。
魔法詠唱時のトランス状態から頭が回復してくる。そのうち、自分の使った魔法が正常に動作したのか確認したくなった。
ちらりと視線をやったそこには。
(うおおっグロッ!!! 何アレ……思いっきりやったらああなるの……こわっ)
池のような血だまりを作り、地に磔にされる巨大ボア。完璧に、絶命状態だ。
少しすると槍が消え、巨体が倒れ込む。ドォォォンと体の芯まで震えるような地響きが鳴り、砂嵐のような土煙が巻き上がった。




