おっさん、青春 第4章・第11話 ~散るほうがいい~
雷の跡は
焼け焦げた線は、
まるで最初からそこにあったみたいに、
山の輪郭に溶け込んでいる。
人は、すぐに慣れる。
「もともと、こうだった」
そう言える形に、世界は落ち着く。
……それが、一番怖い。
役所のロビーは、
いつもどおり人が出入りし、
蛍光灯が、均一にロビーを照らしている。
自然の意思は、ここにはいない。
だから――
人間は、安心する。
「吉田さん」
声をかけられて、振り向く。
高木だった。
相変わらず、若い顔。
スーツの着こなしも完璧で、
疲れた様子は、どこにもない。
「……無事だったみたいですね」
「そっちこそな」
俺は、そう返した。
高木は、俺の視線を一瞬だけ外し、
ロビーの大きなガラス窓を見た。
山は、見えない。
「想定外はありましたが、人的被害はゼロです」
淡々とした声。
こいつも昨日の雷を気にしてるんだ。
「だから?」
と言いかけて、やめた。
高木は続ける。
「計画は、微修正で対応できます」
「風向、降水、電位変化」
「すべて数値化可能です」
……来た。
説明の時の
あの独特の間。
白丸の声が、
頭の奥で響く。
――自然は
――「分かったつもり」の人間から壊す
「なあ、高木」
俺は、遮った。
「昨日の雷」
「どう説明する?」
高木は、少しだけ口角を上げた。
「説明できますよ」
即答だった。
「局地的な大気不安定」
「雷そのものは自然現象です」
「意思はありません」
俺は、黙った。
高木は、その沈黙を
「納得」と受け取ったらしい。
「問題は」
「人が過剰に意味を見出すことです」
……ああ。
やっぱり、まだだ。
「吉田さん」
「あなたは、感覚に寄りすぎている」
「感覚、ね」
俺は、ポケットからスマホを出し、
一枚の写真を見せた。
焼け跡の線。
「これも?」
「感覚か?」
高木は、一瞬だけ目を細めた。
だが、すぐに言った。
「線状痕跡です」
「珍しくはありません」
「珍しくない、か」
俺は、スマホをしまった。
そのときだった。
「……あなた?」
後ろから、声がした。
博子だった。
買い物帰りらしく、
エコバッグを肩にかけている。
派手さはない。
若さもない。
でも――
ちゃんと、時間を重ねた人の立ち姿だった。
高木が、思わず口を開く。
「奥様、ですか?」
「ええ」
博子は、にこりともしない。
「再生成は?」
高木が、つい言ってしまった、という口調だった。
博子は、首を振った。
「しません」
即答だった。
「どうして?」
博子は、少し考えてから言った。
「……若返っても」
「同じ人生を、もう一回やるだけでしょう?」
高木の眉が、わずかに動く。
「それは」
「効率が――」
「効率、ね」
博子は、山の方向を見た。
見えないのに。
「桜って」
「散るから、きれいなんですよ」
高木は、何も言えなかった。
「散らない桜があったら」
「それ、もう木じゃなくて」
「設備でしょう?」
静かな声だった。
でも、
雷より、重かった。
博子は、俺を見る。
「あなた」
「あなた、まだ途中でしょう」
「ああ」
「じゃあ」
「ちゃんと終えてこなきゃ」
それだけ言って、
博子は市役所を出ていった。
自動ドアが閉まる。
しばらく、
誰も、喋らなかった。
高木が、ゆっくり息を吐く。
「……非合理ですね」
「そうだな」
「ですが」
高木は、続けた。
「否定できない」
それが、
彼の限界だった。
白丸の声が、
聞こえたような、
遠くで、満足そうな声。
雷は、
まだ落ちていない。
だが。
裁きは、
もう始まっている。
説明できないものが、
説明できる男の中に、
入り込んだ瞬間から
俺は、山の方を見た。
風だけが通る道は、
まだ、完成していない。
でも――
「作らない勇気」を、
初めて、知った。
それで、十分だった。
今は、まだ。




