【第五十二話】始まりの記録
霧が晴れた先に広がっていたのは、谷の底とは思えないほど整った円形の空間だった。
床には魔素で描かれた幾何学模様――転位陣。
まるで、意志ある者を導くために整えられた“門”のようだった。
「これが……さっき、見えた場所」
リクは足元の転位陣にそっと手を触れる。
ぬるい感触の魔素が、掌から皮膚へと染み込んでいく。
転位先の座標も、座標同士の位相ズレも――既にすべてが準備されていた。
「転位対象の調整が必要です。恐らく、同行者も指定できます」
隊長が問いかけるようにリクを見る。
「……行くつもりか?」
「はい。行きます。……あの魔源体が、わざわざ“許可”した先です。きっと、何かがある」
「では、我々はここで待機する」
隊長は短く告げた。これ以上の同行は危険と判断したのだろう。
ミナが一歩、リクに詰め寄る。
「当然、私も行くよ?」
リクは少し苦笑して、うなずいた。
「うん。ミナは“固定観測者”だから、むしろ一緒じゃないと成立しない」
「それって、褒めてる?」
「もちろん」
少女も静かに転位陣に足を踏み入れる。
「では、私も行きましょう」
魔素が反応し、転位陣が淡く光を帯びていく。
そして――
空間が、ゆっくりと“ほどけた”。
到達したのは、荒涼とした灰の地だった。
空は重く、雲は地に落ちるような低さ。大地にはところどころに“観測装置”らしき構造物が残っている。風は吹かない。音もない。時間すら、止まったようだった。
「……ここは?」
ミナが周囲を見回しながら、息を呑む。
リクは前方の瓦礫に手を当て、《解析:時間層》《記憶痕跡》を同時展開した。
すぐに、過去の映像が“地面”から立ち上がる。
そこにあったのは――人々だった。
まだ整った都市。魔素を帯びた機構。記録される観測値。それを読み上げる白衣の男女。
そして、その中央に――
「……“魔源体”?」
初期段階の“それ”は、確かに人の形をしていた。
だが、目がない。声もない。ただ、人の模倣のような姿で、観測者たちの指示に従っていた。
『我々は魔素の意思を可視化することに成功した。これは、歴史的快挙である』
『この“個体”に思考はなく、ただ学習と記録を繰り返している。完全な制御下にある』
『観測を続ければ、魔素の本質に近づける。いずれ我々も、魔素を“書き換える”ことが可能となるだろう』
それが――始まりだった。
だが、リクの《解析》が進むにつれ、映像にノイズが混ざる。
『……観測値が増幅している。指数関数的に』
『自律的な変化? いや、これは……』
『“反応”している……我々の理解に、だと……?』
そして、映像の最後に。
仮面を持った“影”が――すべてを見下ろしていた。
記録はそこで途絶えた。
リクは静かに息を吐いた。
「……観測そのものが、“対話”だった。魔源体は……人間の理解を鏡のように受け止めて、自分自身を作っていったんだ」
「じゃあ……私たちが、存在させてしまったの?」
ミナの声が震える。
「そうじゃない。存在は最初からあった。ただ、“形”を与えてしまっただけ」
少女が一歩前に出た。
「……それが、“災厄”の始まり?」
リクはうなずいた。
「でも、同時に“救い”でもある。もし、魔源体が記録し続けているなら……きっと、今も“問いかけて”る。理解されるためにじゃない。……理解した上で、受け止められる存在がいるのかどうかを」
彼の掌に、再び魔素の反応が走る。
地面がわずかに震え、次なる転位陣が浮かび上がる。
今度は、“未来”の座標だった。
リクは顔を上げる。
「次は……魔源体が“選んだ未来”。そこに、僕たちの“解答”があるかもしれない」
少女とミナが、黙って彼のそばに並ぶ。
そして三人は、再び光に包まれた。




